一滴の星
「君は、本物の光を知っているかい?」
「本物の、光?」
麹の雪の向こう、そこに立つ私と同じ年頃の男が言った。
ふっさりとした麹雪は、つーんと鼻の奥を刺激するから、私の顔はとにかくしわくちゃだったろう。
彼は私の手をとり、石段を上らせる。
「おいで。興味があるのなら」
勿体ぶる言い方。
冷たく突っぱねても良かったけど、手を握られちゃ行かざるを得ない。
***
そこは麹雪のない、渇いた地だった。
どうやらあのアーチのようなものをくぐれば、世界が変わるのだろう。
嘘みたいな話だけど、言い伝えではそのゲートが存在するとある。
なるほど。私は麹の街から抜け出してしまったのだ。
喉が干上がる感覚は今までにもあったけど、灼熱によって渇くというのはなかった。
上手く声が出せず、私はだんまりのまま男に着いていく。
「ああ、ここにもないようだね。残念」
しばらく歩き回ったのに、渇いた地も薄暗いものだから「本物の光」とやらは確かに見当たらなかった。
「仕方ない。もう一つ先の場所へ行こう」
***
ゲートを潜ると、今度は一面が冷たい青だった。
青色の水は私の身体を包むと、ふわりふわり上へと押し上げた。
ぷはっと水面まで上がり、息を大きく吸い込む。肺いっぱいに水色の空気が溜まる。
「綺麗……」
青というのは目にも優しかった。
灰色の景色しか知らなかったから、なんだかそれが物珍しくて。
うっかりと言葉に表してしまうくらい、青が好きになった。
でも……
「光、ないね」
私のしょげた声に、男は濡れた銀色の髪を掻き上げて唸った。
「ここも違う、か」
「ねぇ、本物の光って何?」
訊くと彼は、屈託ない笑顔を見せた。
「星のことだよ」
***
星は、とうの昔に消滅した。
無数の光を放つそれが、空から消え去ると、世界は偽物の光を生み出した。
輝きは星と変わりないから、生活に支障はない。
それなのに、銀髪の彼は「星」を探しているのだ。
「馬鹿じゃないの?」
でも、そんな声は軽やかに躱された。
「大丈夫。必ずどこかにあるんだ」
「どうして言い切れる?」
「星が消えたのは、そもそも人のせいだからね。誰かが独り占めして隠したんだ」
私はその話を鼻で笑った。
「信じない」
「でも、僕は信じてる」
彼は、目を輝かせて言った。
***
あれから何年も、違うゲートを潜ってきたけれど、星は見つからなかった。
私の腕が細くなっていくにつれて、彼は歩けなくなっていく。
小さくなった彼を背負い、私は必死に星を探した。
白い霧の街、苔色のじめじめした道、荒れ果てた赤錆の谷、全部全部、隅々と見たのに見つからない。
「やっぱり、星は消滅したんだ」
私は、虫の息の彼を見下ろして呟いた。
どこにもない。ないんだ。星なんて、本物の光なんて。
塩辛い涙が瞼に溢れていく。止まらなくなる。
こぼれ落ちた私の涙を、彼は薄目で見上げた。
震える指先で、私の目を指す。
「あった」
息を潜めないと聴こえないほど、それは小さくて細い声だった。彼はゆっくりと笑む。私の頬を撫でて。
「星、があったの?」
訊くと彼は頷いた。嬉しそうに。
「綺麗だよ。星空の瞳だ」
――そうか。君が閉じ込めていたんだね。
それが、彼の最期。
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