あの唄をもう一度

「もし、お嬢さん」


 港にて。ボーッと重たい音を響かせる、灰色の海を漂う大きな船を背景に。

 何かを待ちわびてさめざめと、酷く憂いげな背中を向けている少女に、私は思わず声をかけた。


「一体、何を待っているのかね」


 上品なワンピースを着た彼女の顔を覗く。すぐに後悔した。

 白く透き通った肌、高い鼻、目はぱっちりと大きく、は澄んだ晴天のような青だった。紛れもない。異人である。


 深く澄み渡るそのから、つつと溢れる涙の粒が朝露のようだった。

 私の髭を、じっと見つめて少女は口をぎこちなく開く。途端に心は焦った。


 待ってくれ、私は異国語に詳しくないのだ。


「米国から来たのです。私は、お役目を果たしにこの地へ参ったのです」


 身構えていると、少女は饒舌に、流暢な日本語を話した。


「皆さん、とても良い人たちです。楽しいです。でも、ある日ふと、私は思い出してしまうのです。故郷のことを」


「あぁ」


 その気持ちはよく分かる。

 故郷というものはそうだ。時折、ふと脳裏を過ぎっては懐かしさに焦がれて泣きたくなる。


「帰りたいかね?」


 訊くと、彼女は首を横へ振った。


「帰りたくとも、帰り道が分かりません。私は、この地でずっと生きようと決めています」


 異人の少女は、それからも地平線の彼方へと消えゆく船をいつまでも見送っていた。


 ***


 それから彼女を見たのは、一度きりだった。


 何十年と時が過ぎて、またあの港を訪れた時に見かけたのだ。

 その青いには、以前見た憂いはなく涙もなく、本当に晴天のような色を浮かべていた。


 ――あぁ、良かった。


 私の中に凝り固まっていた何かが、ほぐれていくのを感じる。


 いつの間にか、私の中にはあの青い瞳が住み着いていたのだろう。


 久しぶりに機嫌がよくなり、私は口をすぼめて音を鳴らした。

 ピューっと甲高く鳴るそれは、どんな船の汽笛よりも大きくいつまでも響き渡っていた。

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