第80話 かつて踏んだ地で
弱々しい主星だった。
低質量故に核融合反応の小さな恒星。その公転軌道上を周回するガスジャイアントは、氷の環を持ち、幾つもの衛星を抱えていた。
うちひとつ。氷に覆われた岩塊ともいえる衛星は、奇妙な形状をしている。いかなる働きによるものか。まるで巨人の手によって何か所もえぐり取られたかのように、その姿はボコボコと穴だらけだったのである。小さいとはいえ数千キロメートルはある天体が、自重で球形を取っておらぬとは。
それは、ごく最近。わずか2000年の過去、強烈な攻撃を受けた痕跡であった。そう。金属生命体群に追われた遥と鶫が隠れ、そして特異点砲が撃ち込まれて破壊された衛星である。
今。この星系は、久しぶりの来訪者を迎えていた。
◇
金属生命体にとって、死は病気に過ぎない。それも、治療可能な。
だから、遥の旅はまだ終わってはいない。
中枢ともいえる母星を破壊された金属生命体群は大きな痛手を受けたであろう。その群知性は致命傷を受け、死している。慣性系同調通信のための天文情報の集約度はあそこが最も高い。すなわち金属生命体群の通信網は寸断されているのだ。各地の金属生命体は分断され、混乱し、その勢力を大きく減じさせているはずだった。十分に大きな恒星間種族が残ってさえいれば、この機に乗じて金属生命体群を滅ぼすことも不可能ではない。
それが可能な種族が、残ってさえいれば。
もはや銀河の諸種族は衰退しすぎた。そして金属生命体群は巨大になりすぎた。確かに頭は潰したが、それだけでは奴らを滅ぼすことはできぬ。更には、分断された金属生命体群は自ら回復を期すはず。どれだけの期間がかかるかは分からぬが。十年か。百年か。千年かかるやもしれぬが、しかしいずれ金属生命体群は、その知性と勢力を蘇らせるのだ。
まさしく不死の怪物。
この怪物を葬り去るには、時間塑行攻撃しかなかった。二度と甦らぬよう、徹底的に。痕跡すら残さず消し去るのだ。
だが、それと同じくらい大切なことがある。
かつて鶫が死した星。遥がこの星系を訪れたのは、感傷に浸るためではない。重要なデータを回収するためにやってきたのだった。
ガスジャイアントの回りを廻る氷の環。2000年前、ホーキング放射で掻き乱されたそれらは、かつての姿を取り戻している。自然の復元力は時に凄まじい。なるようにして成ったものであるならば、それは必ず蘇るのだ。その中に紛れるように、小さなカプセルが浮いていた。
十メートルほどのそれは以前、遥が送り出したデータのバックアップである。中に詰まっているのは貴重な天文情報。遥自身の記憶。
そして、鶫の魂の欠片。
大切に。本当に慎重にカプセルを抱き抱えた遥は、中身の記憶すべてを自らに移し替えた。今までの彼女は"遥"として成立する最小限度の記憶しか持っていなかった。今ここで、ようやく彼女は完全となったのだ。
役目を終えたカプセルを優しく撫で、彼女は自らを見下ろした。
―――やはり、肉体は人型に限る。
薄桃色の肢体。金属光沢を放つ転換装甲で出来た曲線美は、昔日の自らを思い出させてくれる。例えそれが冷たく固い破壊兵器であっても、無数の金属生命からなる群知性でいるよりはよほどよい。
旅立ちの用意は整った。急げば金属生命体群の追撃からは容易に逃れられるであろう。こちらは地図がある。慣性系同調航法に必要な天文情報が。最も近い観測網たる遥を破壊した以上、奴らの追撃は大幅に遅れざるを得ない。
されど。
取り戻さねばならないものが、あとひとつだけあった。すべてを失った少女に残された、たったひとつの宝が。
あの銀の
鶫を取り戻す最後の
だから、遥は支度を始めた。最後になるであろう戦いの。
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