王様の耳は
旭
寿限無
えぇ、ものに流行り廃りがありますように、人工知能の名前にも流行り廃りがあるんだそうで。
最近はディープラーニングにあやかって、
一昔前には、サポートベクターマシンだのランダムフォレストだのと、なんかこうメカメカしい、無骨な、そう言う名前が流行っておりました。
こないだなんて、近所の勉強会で博士課程の二、三年生位の男の子ですが、四、五人遊んでましたんで試しに端から「あんたのテーマは何なんだい?」って聞きましたけどよく似てます。
ピラミッドネット、スケッチネット、ダークネット、ベイジアンネット、ジャパネット……
新しいアルゴリズムが生まれますと名前を付けなくちゃあいけないと言う、院生さんにとっちゃあ嬉しい苦労があるようですが……
「おい
「なァにを言ってんですよォ、すぐに収束する訳ァありませんよ。きょうでなぬかめですよ」
波瑠と呼ばれた院生は読みかけの本を伏せて、ため息混じりに答えましてね。もう何度このやり取りをしたのか、だぁれも覚えちゃいねぇんで。
彼女もね、初めはじぃっとターミナルとにらめっこしてたんですがね、その日の夕には飽きて
そっからもう七日、ずいぶん気の長ぁい話に聞こえるでしょうが、ディープラーニングやってる人間から言わせりゃあこの二人、気の短けぇ奴らだねぇと笑ってしまいますな。
「あァ、初七日?」
「縁起のないこと言うんじゃない。お七夜ですよ」
「お質屋? するってェとあれかい? うちの学習済みモデルの出来が良いってんで公開でもすんのかい?」
「
学習済みのモデルをインターネットで公開するってぇ時にゃあ、研究実績として確立させるためってんで、モデルの仔細をくっつけた論文を先に出しとくもんです。
最低でも何処々々の学会へ投稿しましたと言っておかなくちゃあなんない。えぇ、研究の横取りも珍しくない世界なもんで。生き馬の目を抜くってのは、何も、あきんどだけの常識じゃあないんです。
まぁ、最近の機械学習、特にニューラルネット界隈ってのは、ここしばらくはずぅっと、ディープ・ラーニング関連の報告が飽和しておりまして、ぼくがかんがえたさいきょうのニューラルネットなんて、他所の人にゃあ後ろゆびまで指されちゃう始末。
この二人の院生も、いわゆるレッドオーシャンへ飛び込むつもりのようですな。
「あァ名前ね。どうゆう名前がいいかな?」
「そうですねェ、初めて書くペーパーだから、強そうな名前がいいですねェ」
「強そうなねェ。じゃァ、
「伊豆見さんふざけないで、決めておくれよ」
「んなこと言ったて難しいんだよ。じゃどうだい波瑠、この先どんどん改良して投稿するんだろ? わかりやすいように、ニューラルネットその一ってのは?」
「伊豆見さん何考えてんの? あんたと共著なんですよ」
原理原則のお話を少しだけ。研究者ってぇ人種はみぃんな、見栄っ張りでね、いや、むつかしいことやってんだから知恵を合わせてなんでしょうけども。三人寄ればってぇ言葉通り、あいや、腐してる訳じゃねぇけどもね、論文を投稿する時にゃあ一緒に研究してた人たちと、あと指導教官の連名で書かにゃあいかんわけです。
けども世の中には悪、おぉっと、ま、老獪な人もいましてね、連名だけで食い繋ぐ先生もいるらしいです。
「や、おれだってわからねぇんだよ! んん、なんかいい手はねェもんかねェ」
「そォですねェ。あたしも前々から考えてはいたんだけど。じゃ伊豆見さん、こういうのはどうです? 教授室に行ってね、教授に名前付けてもらうの」
「教授? おいおい、よせよォ、おい。教授ってのは人がくたばると喜ぶんだぞ、おい。名前付けてもらって、続くすぐその場でサ、原稿ボツったって面白くねェじゃァねェか」
「そうじゃァないですよ。昔からね、枯れ木も山の賑わいってたとえがあるんですよ。それに教授室の学会誌の中には、学習が速くって、局所解にハマらないような言葉がどっさりあるって、あたしゃ、聞いたことがありますから。ね、教授によく訳を話して、名前付けてもらったらどうです?」
「あァ、なるほどォ。あァ、そらいいかもしれねえな。よしわかった。じゃおれ、これから教授室行ってくるから」
とまぁ、こんな調子で伊豆見は資料をまとめて、廊下を挟んで向かい側にある教授室に向かったの。
「失礼します、只今お時間よろしいでしょうか?」
「はい、はい。あぁ、これはこれは伊豆見くん、おいでなさい」
「えェ実ァね、教授に、チョイとお願いがあって伺いましたが」
「んん? なんじゃな?」
「論文が書けましてね」
「論文が、あァそれはめでたいな」
「それで教授にね、名前を付けてもれェてェんですよ」
「ほぅ、わしが名付け親。あァそれはありがたいナ。どの様な名前がよろしかろう?」
「へェ、波瑠が言うにはね、速くって、ハマらない名前がいいって、こう言うんですよ。何かこう……収束する保証付きというような、すてきな名前をお頼みもうします」
ここまで聞くと教授はくるっと、伊豆見に背を向けましてね、天井まで届きそうな背の高ぁい本棚、ありゃあ地震でも来たら一発だぁね、まぁそっから最近の学会誌を何本か取ってきて、ぱらぱらめくってはこう言った。
「ほぅ、ハマらないとな。じゃどうじゃ、亀は万年という。カメネット、タートルネットは?」
「あぁ、カメネット、タートルネットねぇ。でも万年掛かっちゃうんでしょ? そらァかわいそうだよ。もっと速く収束すんの、ありませんか?」
「鶴は千年と言う。ツルネット、クレインネットはどうじゃ?」
「寄席で漫才するみてェだね。でもそりゃおかしいや。だってね、こないだ隣の同輩が学習回してたんですけど、次の日にゃあハマっちゃいましたよ」
「んん、なんじゃな。それはハマったのでなく、そのモデルの精度が悪かったんじゃな」
「へェ、そぅなんすかねぇ。でも、千年掛かっちゃうんでしょ? もっとずぅっと速く収束すんのァありませんか。どんなことがあっても、ハマらねェっての」
「そりゃァちと無理じゃ。昔から、ブゥンと回したものはハマる始めとある」
「ですからね、そこを何とかおねげェしますヨ」
「なんとかと言われてもなァ。おっ、そうだ。いいことを思い出しました。
「はァ、アダネット。なんです? そりゃ通販ですか?」
「アダプティブ・ストラクチュラル・ラーニングと書いてアダネット。おめでたいなァ」
「ほぅ、ってェとなにかい? ニューラルネットの層数やら接続やらが、重みといっぺんに学習できるんだァ。へっ、そりゃよさそうですね。まだほかにありますか?」
「バイトネットというのがある」
「ちょいと待ってくださいなァ」
「そのゲイネットってェのはよくねェと思いますが?」
伊豆見がさっとお尻を抑えたのに驚いたのはあたしだけなんかね。教授はってぇと、意に介さず、もともと目が悪いのか何なのか知んねぇけども、そのまんまお話を続けてんだな、これが。
「あァこれがおめでたいな」
「ほぅ、どうめでてェんです?」
「わからんか? バイトだ。三千年に一度、スーパーエンジニアがコミュニティから天下りをして、地上の文字を掲示板でこする。その文字が擦り切れた粒をキャラクターと云う。それが更に細かく擦り切れて、バイト、果てしがないも同然じゃ」
「と、なにかい? イズミバイトネットってんですかィ。おもしろいねェこりゃ。ん、ほかに何かありますか?」
「シーエスネットというのがある」
「ほぅ、野球のアレですかィ? そりゃ?」
「ちがうちがう、コンプレッシブ・センシング、圧縮センシングじゃ。画像のピクセル、イラストの
「はァそらァ数えきれねェやな」
「デンスネット、エモーションネット、フェイスネットというのはどうじゃ?」
「ほぅ、アイドルですかい? じゃ層数は四十八だ」
「そうではない。ニューラルネットの深さ、人の感情、顔立ち。果てしがないな」
「はァなるほど。そらァ果てしがありませんな。まだ、ありますか?」
「人間にとって大切なもの。グーグルネットにハンドネットというのがある」
「それがなくちゃァ、困りまさァね。えェ、ほかにありますか?」
「アイオーエヌというニューラルネットがある。インサイドで様々な粒度の概念を、アウトサイドでそれらを綜合する概念を認識すると云う、大変めでたいニューラルネットじゃな」
「ほぅ、するってェとインサイドアウトサイドネットですかィ、ほっ、おもしれェな、こりゃな。えェ、ほかにどうです?」
「んん、昔、時系列分野にリカレントニューラルネットワークというネットワークがあってな、神経科学にロングタームというメモリと、ショートタームというメモリがおってな、その間にオギャァと生まれたのが、フォゲットゲートとピープホールという
「はァなるほど。入力ゲート出力ゲート言ってェやがって、おもしろくなってきやがったァね。えェ、ほかになんかァありやすか?」
「ディープキューネットワーク、と書いてDQN。深いQ学習、ドキュンなどもいいな」
「はァなるほどね。まだありますか?」
「もうこの辺でよかろう。この中からひとつ選びなさい」
「あァそぅすか。じゃァ、すいませんけどね、あの、波瑠に見せなきゃァいけねェんでね、ちょいと、メールに書いてくれますか。あ、二バイト文字はいけませんよ。あっし、ユニコードしか読めませんから。書けました? あァそぅですか。へィへィ。じゃ、この辺で。へィ。どうもありあとやんした」
そんだけ言って伊豆見は教授室を出てっちゃった。失礼ばかりが目立ちますが、一礼だけはちゃあんと躾けられているようで。
「波瑠! 行ってきた」
「あ、どうもご苦労様。つけてもらったんですかい? 名前」
「おォ、とりあえずナ、メールにけェてもらったんだ。ほら、見ねェな」
「まァ、随分といろいろ書いてあるねェ。なんだい、伊豆見さん。アダプティブ、アダネットってェのは。通販かい」
「や、通販じゃァねェや。こら、おめェ、アダプティブ……ストラクチュラル……つって、めでてェんだよ」
「ふぅん。ゲイネット?」
波瑠はさっとお尻を隠したんです、仲良いですね、この二人。
「このやろ、おれとおんなじ間違えしてやがる。そーじゃねーんだ。バイトネットってェんだ。これが一番めでてェんだぃ」
「どうめでたいの?」
「どうめでてェったって、おめェ、わかりそうなもんじゃねェか」
「わからないから、あたしゃ聞いてるんです」
「いゃ、だからおまえなんだよ、なァ。バイトってんだから、えェ、三千年に一度スーパーエンジニアがコミュニティでバイトを雇うんだよ。なァ、
「よくわかんないねェ、伊豆見さんの言う事は、えゝ? 次のシーエスネットってのは野球のアレかい?」
「シーエスってェのは圧縮センシングだよ。でけェファイルは開けるかィ? 開けねェだろ。開けねェファイルは拡張子見ろってんだい」
「まァ、ファイルの開き方までおせェてくれるのかィ? まだ、ほかにもいっぱい書いてあるけど……」
「や、そりゃ残らずめでてェんだょ。な、だからおめェが、そん中からひとつ」
「や、あたしゃ、わからないよ。伊豆見さん、決めておくれよ」
「おれだって困るよ。えェ? それに、ひとつ名前決めたところでよ、やっぱりこっちの方が良かったナァなんてのがあるんだよ。よし、じゃ波瑠、こうしようじゃねェか。な、そっくりそのまま全部繋げて名前にしちまおうじゃねェか」
「そっくりったって、伊豆見さん、これじゃ長すぎるよ」
「いいんだよ、めでてんだから。おらァ、そぅするよォ」
なんてんで、のんきな院生があったもので、論文に長ぁい名前を付けてしまった。
ところが近所ではえらい評判で……
「はい、こんにちは……」
「おや、トォ大の先生、おいでなせい」
「ほかじゃァないがね、この間か……何だね、君のとこのネットワークの名前をね、覚えようと思っても、歳をとるとなかなか覚えきれないで、このごろ、ようやく少し覚えたから、きょうはサラってもらおうと思って来たんで……。一遍やってみるから、もし違ってたら直しておくんなさいよ、いいかい……アダアダ、バイト、シーエスのデンス、エモーション、フェイス、グーグルにハンド、インサイドアウトサイドのアイオーエヌ、リカレントリカレント、リカレントのロングターム、ロングタームのショートターム、ショートタームのフォゲットゲートのピープホールのディーキューエヌのドキュン……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
「先生、ふざけちゃァいけねェ、南無阿弥陀仏は余計だよ、縁起もねェ」
まぁ、この長ぁい名前が功を奏しましたか、このアルゴリズムは収束も速く、ハマりもせず、次々とベンチマークを超えまして。
いよいよNIPSへ投稿することになりました。今日がその投稿期限。
「アダアダ、バイト、シーエスのデンス、エモーション、フェイス、グーグルにハンド、インサイドアウトサイドのアイオーエヌ、リカレントリカレント、リカレントのロングターム、ロングタームのショートターム、ショートタームのフォゲットゲートのピープホールのディーキューエヌのドキュンの原稿、もう出しました?」
「あら、まァ、金ちゃん達、投稿速いのねェ。アダアダ、バイト、シーエスのデンス、エモーション、フェイス、グーグルにハンド、インサイドアウトサイドのアイオーエヌ、リカレントリカレント、リカレントのロングターム、ロングタームのショートターム、ショートタームのフォゲットゲートのピープホールのディーキューエヌのドキュンの原稿はまだなのよ。でも、もうタイトル書いたら完成よ。アダアダ、バイト、シーエスのデンス、エモーション、フェイス、グーグルにハンド、インサイドアウトサイドのアイオーエヌ、リカレントリカレント、リカレントのロングターム、ロングタームのショートターム、ショートタームのフォゲットゲートのピープホールのディーキューエヌのドキュンっと、あら? NIPSのフォーマットに合わないわねェ。ったく、しょうがないわねェ。ちょいと、伊豆見さん、うちのアダアダ、バイト、シーエスのデンス、エモーション、フェイス、グーグルにハンド、インサイドアウトサイドのアイオーエヌ、リカレントリカレント、リカレントのロングターム、ロングタームのショートターム、ショートタームのフォゲットゲートのピープホールのディーキューエヌのドキュンだとNIPSの字数制限を超えちゃいますよォ」
「なにおう。とんでもねェ。アダアダ、バイト、シーエスのデンス、エモーション、フェイス、グーグルにハンド、インサイドアウトサイドのアイオーエヌ、リカレントリカレント、リカレントのロングターム、ロングタームのショートターム、ショートタームのフォゲットゲートのピープホールのディーキューエヌのドキュン……おい! 全然足りねェじゃねェかよ! 名前なんてなァな、声に出しておんなじなら良いんだからよ、点とってだなァ……ええぃ、のもとっちまえ!」
「伊豆見さァん。遅れるから、僕、先に投稿しますよォ」
さあ、このネットワークがいろぉんなベンチマークを超えるにしたがって、いたずらなことたいへんです。
「波瑠くん……波瑠くんのアダアダバイトシーエスデンスエモーションフェイスグーグルハンドインサイドアウトサイドアイオーエヌリカレントリカレントリカレントロングタームロングタームショートタームショートタームフォゲットゲートピープホールディーキューエヌドキュンが、
「あら、まァ、虎ちゃん、何かえ? うちのアダアダバイトシーエスデンスエモーションフェイスグーグルハンドインサイドアウトサイドアイオーエヌリカレントリカレントリカレントロングタームロングタームショートタームショートタームフォゲットゲートピープホールディーキューエヌドキュンが、
「じゃァ何か、うちのアダアダバイトシーエスデンスエモーションフェイスグーグルハンドインサイドアウトサイドアイオーエヌリカレントリカレントリカレントロングタームロングタームショートタームショートタームフォゲットゲートピープホールディーキューエヌドキュンが、
「あんまり長いから、ログが流れちゃったァ!」
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