第34話 エピローグ

 34.エピローグ



 連合国とゲルマニア帝国、両軍の命運を分けたシュトゥットガルトの戦いから一ヶ月半――WEUの首都、パリは初夏の陽気に包まれていた。

 ボイラーの熱気で陽炎かげろうの立つ駅のホームに木炭式の蒸気機関車が停車し、出発の時間を待っている。その乗降口の前には旅支度をしたアーサリンとタンクトップ姿のアルバータが立ち、その向かいにはルネをはじめとしたAMパイロットたちとトマサが勢揃いしていた。


「みなさん……本当にお世話になりました。私、みなさんのことは絶対に忘れません」


 少し寂しそうな顔をしたアーサリンが、見送りに来てくれたみんなに頭を下げる。


「RUKに戻ったら、もうAMパイロットは辞めてしまわれるのですか?」


 胸を持ち上げるように腕を組んだシャルロットが前に出て、アーサリンに今後の身の振り方を訊ねた。


「ええ、ミーナちゃんを助けるっていう目的は果たせましたから……向こうに戻ったら軍のほうも退役して、なにか普通の仕事を探そうと思います」


「少しもったいない気もしますわね。あなたはゲルマニアの獅子と虎を退治した英雄だというのに」


「それはもう勘弁してください。それにシャルロットさん、あなたがいなかったら私はAMパイロットになれなかったし、きっと生き残ることもできませんでした。私が強くなれたのは、あなたのおかげです。本当に……ありがとうございました」


「わ、私はただ少佐に言われたからあなたを指導しただけですわ。お礼には及びません」


 シャルロットは恥ずかしそうに顔を背けるが、その目は少し憂いを含んでいる。アーサリンの師匠ともいえる彼女もまた、弟子が去ってしまうことにやはり一抹いちまつの寂しさを感じるのだろう。


「あと、そっぴーちゃんもね。私がミーナちゃんを助けることができたのは、あなたが造ってくれたトライプレーンのおかげだよ。本当に……本当にありがとう」


「えへへ……そう言ってもらえると嬉しいです」


 トマサが目を伏せながら頬を赤く染める。天才と持てはやされることに関しては自ら要求するほど自信満々の彼女だが、こんなふうに誰かの命を救えたことを感謝されるのには慣れていないのだ。


「ブラウン少尉、今までご苦労だったな。君とともに戦えたことを私は誇りに思うぞ」


「あの子犬ちゃんがずいぶん立派になりましたわね。人の成長というものは分からないものです。でも、私もコリショー大尉と同意見ですわ」


 ラモーナとジョルジーヌがアーサリンと握手を交わし、その健闘を称える。かつてはアーサリンにとって雲の上の存在だった二人が、今は彼女を一人前の――いや、立派なエースパイロットとして認めてくれていた。


「アーサリン、またな。この戦争が終わったら、私も故郷に帰って……」


「お姉さんとエレキギターを作るんですよね」


「ああ、完成したら真っ先にお前に聞かせてやるから、そのときはノースアメリカまでトライプレーンで飛んでこい」


「あはは……軍を退役するのに軍用機を勝手に使ったら怒られるだけじゃ済みませんよ」


「あっははは! 冗談だよ。でも、それまでにお前の友達も収容所から出てこられるといいな」


「はい……」


「そういえばアーティちゃん、お友達はこっちに残したままだけど……本当に帰ってしまってもいいの?」


 ルネが心配そうな顔でアーサリンに訊ねた。


「いいんです。もうすぐゲルマニアとの戦争も終わりそうですし、両国の関係が落ち着いて、正式に国交が再開されたらちゃんと会いに行きますから」


 アーサリンが決意のこもった表情で顔を上げる。


 あの戦いの後、ヴィルヘルミナは連合軍の捕虜となり、戦争が終わるまでの間WEUの収容所に収監しゅうかんされることになった。

 仮にもAM部隊の隊長として領土奪還作戦の先鋒を務めた彼女に対して、この処分はかなり軽いものといっていい。現在の国際法では戦時における兵士同士の殺人自体は罪に問われないが、彼女の率いる部隊が連合軍に与えた被害を考えれば、もっと厳しい処分が下されてもおかしくなかったはずだ。

 ヴィルヘルミナの処分がここまで軽くなったのは、アーサリンが彼女の事情を説明・弁護するとともに、これまでの自分の功績と引き換えに減刑を嘆願する書面を司令部に送ったことによるものだった。しかもその嘆願書にはルネをはじめとする他のパイロットたち全員も署名していたため、さすがに司令部もその訴えを無下にはできなかったらしい。

 少しの間は捕虜として不自由な暮らしを余儀なくされるだろうが、アーサリンの言うとおりWEUとゲルマニアの間で和平が結ばれさえすれば、ヴィルヘルミナはすぐに釈放されて国へ帰れるだろう。そしてその日は、どうやらそう遠くないようなのだ。


「まあ、あれからゲルマニアもだいぶおとなしくなったからな。あの毒薔薇女が総司令官になったって聞いたときはどうなることかと思ったけど」


 エダが皮肉っぽい笑いを浮かべながら軽口を叩く。

 そう、今のゲルマニア帝国軍を率いているのは、あのヘルミーネ・ゲーリングなのである。


 AM部隊の三人がベルリンへと逃げ帰り、軍の総司令官だったヒンデンブルグが皇帝を毒殺して国を乗っ取ろうと画策していたことが明らかになると、ゲルマニア帝国内は大騒ぎになった。

 その後すぐに皇帝が崩御ほうぎょし、まだ幼い皇女ヴィルヘルミナ二世が即位することになったが、驚くべきはその後である。新皇帝を補佐する摂政せっしょうに、なんとローラ・フォン・リヒトホーフェンが抜擢ばってきされたのだ。これはヒンデンブルグの野望を阻止した功績によるところが大きいが、新皇帝自身が強く望んだためでもある。

 その流れでヘルミーネもちゃっかりと軍部総司令の役目を引き継いだわけだが、それからというもの、彼女は救国の英雄として民衆から絶大な尊敬を集めるようになった。(ちなみにここまでは本人の望みどおりなのだが、彼女が最も強く望んでいる良家との縁談は、なぜか未だどこからも申し出がないらしい)

 そしてそれ以降、ゲルマニア帝国は今までの領土拡大政策から一転して、連合国や新ロシア帝国と和平を結ぶ方向へと舵を切ることになった。これはAM部隊の精鋭をはじめとする多くの戦力を失ったことと、内政面でも未だ安定を欠くことから、ローラが新皇帝にそうするよううながしたものだ。

 そもそもゲルマニア帝国が軍事力をもって欧州を統一しようなどという蛮行に乗り出したのは、ファルケンハインやヒンデンブルグといった一部の軍人が前皇帝をそそのかしたことによるところが大きい。元々争いごとを好まない優しい性格の新皇帝はローラの進言を喜んで受け入れ、かくしてゲルマニアが火種となってはじまった欧州戦争は、今やその幕を閉じようとしているのである。



 汽車の出発時間は刻一刻と迫っていた。

 アルバータはギリギリまで仲間との別れを惜しみたいであろうアーサリンのために、先に二人分の荷物を持ってすでに乗り込んでいる。


「アーティちゃん、元気でね」


「私たちもRUKに戻ったら、あなたに会いに行くから」


「ジャクリーンちゃん、シェリルちゃん、ありがとう。いつか三人で、クリスちゃんのお墓参りに行こうね」


「うん……」


「ええ」


 アーサリンとジャクリーン、シェリルの三人が身を寄せ合い、目を潤ませて

 彼女たちはこの戦いで仲間を失い、またそれを通じて絆を深めてきた。こうしてつむがれた友情の深さは、余人には計り知れないものがあるのだろう。


「おいアーサリン、もうすぐ発車だぞ。名残惜なごりおしいのは分かるけどその辺にしとけー」


 乗降口のタラップから身を乗り出したアルバータがアーサリンに乗車をうながす。彼女も先日の戦いで折れた肋骨や傷ついた肺などがまだ完治しておらず、本格的な治療のために一度RUK本国に帰ることになったのだが、こちらの態度は実にさばさばとしたものだった。


「アルバータってば冷たーい。しばらく会えないんだから、私たちもアーティちゃんたちみたいにもっとこう……涙ながらに別れを惜しむとかないのー?」


 ウィルメッタが口を尖らせて不満を口にする。


「うるせぇよ、こっちはそれどころじゃねえんだ。帰ったら絶対に親父と母ちゃんが待ち構えてるだろうからな。その対策を考えるので大変なんだよ。親父のタックルには膝でカウンターを合わせるとして、問題は母ちゃんのラリアットをどう防ぐかだ……」


 アルバータはブツブツとつぶやきながら再び車内に引っ込んでしまった。だがジョルジアナやロベルタは彼女のそういう性格にも慣れたもので、微笑みながらその背に向かって手を振っていた。


 ―― ピュィィィィィィィィィィィィ! ――


 車掌の警笛がホームに鳴り響き、発車が告げられる。


「それじゃあみなさん、お元気で!」


 アーサリンはもう一度戦友たちに頭を下げると、タラップに足をかけて汽車に乗り込んだ。ほどなくして、鋼鉄製の動輪が音を立てて動き出す。


 ―― ガシュン…………ガシュン…………ガシュン……ガシュン……ガシュン……シュン……シュン……! ――


 汽車の速度が上がるにつれて、手を振る仲間たちの姿がどんどん小さくなっていく。

 これが永遠の別れではない。そう分かっていても、しばらくは寂しさに胸が締め付けられそうだ。


 かつて東洋の聖者は『良き友を持つことは修行の道(人生)の半分を占めるのではなく、全てである』と言ったという。ならばアーサリンがこの一年足らずの間に得たものは、彼女の人生においてかけがえのない宝であることは間違いない。

 アーサリンはもう一度仲間たちの顔を思い浮かべると、自分の胸にある暖かいものが消えてしまわないよう、それを両手でそっと握り締めた。

 その姿はまるで、鉄の棺桶の中で戦い続けた処女おとめたちのために祈りを捧げているようだった。




 ―― 『ARMOUR MAIDENS』 完 ――



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