第8話 曇天の霹靂・前編
8.
その日は朝からすっきりしない天気だった。空一面が真っ白で青い部分がどこにも見えないばかりか、山の上にまで分厚い雲がかかっている。雨が降っていないことが唯一の救いだが、上空を警戒しなければならないときにこの天候は最悪と言わざるを得ない。
バイロイト基地から数キロ北上した山の麓に、三機のキャメルが停まっていた。ジャクリーンとシェリル、そして隊長のルネを加えた三人の機体だ。
「嫌な天気ですね……」
ジャクリーンが誰に言うともなく
「そうね……けど、もしもフランクフルトを陥落させた敵が雲より高い場所を飛べるんだとしたら、攻め込んでくるには絶好の天気とも言えるわ。二人とも、しっかり警戒してね。少しでもおかしなところがあったら、どんなことでもいいからすぐに報告してちょうだい」
「「はいっ」」
「それにしても雲が厚いですね。仮に敵が雲の中に入れるぐらいの高さを飛べるとして、こんな視界の悪い中を突っ切ってこれるものなんでしょうか?」
無線からシェリルの声がする。口調から察するに、僚友であるジャクリーンではなく上官のルネに向けた質問だ。
「ここはそもそも敵国の領土内よ。
「そうですね……それにGETSの熱をサーモグラフィーで感知できるアイカメラを使っているなら、AMだけを狙うには十分かもしれません」
「…………!」
シェリルが何気なく発した一言に、ルネがなにかひらめいたような顔をした。普段から開いているのか閉じているのか判別できない糸目には変化がないようにも見えるが、彼女と付き合いの長い者ならばそれが分かる。
「そうよ……サーモグラフィーだわ!」
「えっ?」
「入手した実物を解析する前からそっぴーちゃんは気付いていたんだけど、敵の飛行ユニットは上下の翼を暖めて、その間に流れる空気の温度を変えることで推進力を得ていたのよ。それなら翼に仕込んである放熱板はかなりの高温になっているはず。GETSやモーターの熱だけじゃすぐに冷えちゃうだろうから、雲の中に隠れてるAMを見つけるなんて無理でしょうけど……もしかすると翼の熱なら、サーモグラフィーで感知することができるかもしれない」
AMのアイカメラには元々熱感知モードへの切り替え機能がある。それによってAMでの夜襲作戦は廃れたのたが、逆に夜襲が行なわれなくなったことで機能の存在そのものがすっかり忘れられていたのだ。シェリルの一言がなければ、ルネもこの発想には至らなかったに違いない。
「ちょっとカメラを切り替えてみるわね」
そう言いつつ、ルネはめったに使うことのなくなったボタンを操作してアイカメラのモードを切り替えた。
「……駄目ね。なにも感知できないわ」
「やはり雲の中にいる敵を感知するのは難しいんでしょうか」
「いいえ、発想自体は間違っていないはずよ。今はまだ敵が来ていないだけ……と思いたいわ。私はこのまま熱感知モードで監視するから、二人は通常のカメラでの警戒を続けて」
「「了解しました」」
そうして、ルネたちは正午近くまで北方への監視を続けた。もうすぐラモーナとアルバータ、そしてジョルジアナの三人が交代でやって来るはずだ。
「ふぅ……とりあえずはなにも起きなかったわね」
ルネを含む三人が
―― ザッ……ザザッ………… ――
突如、無線からノイズが聞こえた。
―― ……ガガッ…………ザッ…………佐…………少佐…………! ――
声が遠い。これは近くにいる仲間からの通信ではなく、基地からの通信だ。
「はい、こちらルネ・フォンク。誰なの?」
―― ……少佐…………こち……ら…………バイロイ……基地……すぐに帰還し…………敵が……………… ――
「……!」
ノイズが酷くてよく聞こえなかったが、『すぐに帰還』という部分と『敵』という単語だけは聞き取れた。つまり敵が直接バイロイト基地に現れたということだ。
「少佐! 今の通信は……!」
「まさか敵が基地に? そんな……北も西も私たちが見張っていたのにどうして……」
「分からない……別の方角から長距離飛行してきたのか、それとも私たちのはるか上を飛び越えていったのか……とにかく、すぐ基地に戻るわよ!」
「「了解!」」
ルネたちは慌ててバイロイトへの道を戻りはじめた。もしも今の通信が本当に敵の来襲を知らせるものだったなら、すでに基地は攻撃されていることになるからだ。
「少佐!」
無線から再び声が聞こえる。これは西へ向かっていたエダのものだ。彼女たちも無線を聞きつけ、こちらに合流するため戻ってきたのだろう。
「エダちゃん、敵はそっちからやって来たの?」
「いえ、さっきの通信を聞いて、てっきり少佐たちのいるほうから敵が攻めてきたんだと思ったんですが……違うんですか?」
「まだなにも分からないわ。フランクフルトを落とした敵が現れたのか、それとも別の敵が地上から襲ってきたのか。まずは基地に戻って真相を確かめましょう」
「はいっ」
―― ドウン…………ゴゥゥン………… ――
基地に近づくにつれ、爆発音らしきものが聞こえてくる。これを聞く限り、やはりフランクフルトを陥落させた得体の知れない敵が現れたという可能性が濃厚だろう。
「な……!」
バイロイトの町が目視できる距離まで近づいてきたとき、エダは思わず声を上げた。直前まで白い雲と重なって分からなかったが、町のいたるところから白煙や黒煙がもうもうと上がっている。敵の攻撃を受けているのは明らかだ。
ルネたちはまず町の上空を見上げた。もしもAMが飛んでいるなら、その姿をどうにかして捉えようと思ったのだ。だが、雲に覆われた空に機影は一つも見えない。
「やつら……一体どこから爆弾を投下してやがるんだ?」
攻撃方法が爆弾の“投下”である以上、敵が上空にいるのは自明のことだ。しかし問題はその高度である。敵がどれほどの高さを飛んでいるのか、雲があるとはいえ目視で確認できないのは余程のものと考えざるを得ない。
「…………」
ルネは先ほど思いついたサーモグラフィーでの感知を試してみようと考えた。モニターの横にあるボタンを押し、アイカメラのモードを切り替える。
「……見えたわ!」
「ええっ!? 少佐、どこですか?」
「少佐、もしかして……」
「ええ、そうよ。みんな、カメラを熱感知モードに切り替えてみて」
「熱感知モード? そういやそんな機能もあったけど…………って、あ……あれか!」
アイカメラのモードを切り替えたエダが叫ぶ。
厚い雲の中に、無数の熱源体が飛び交っていた。距離が遠いので正確な姿までは捉えられないが、スピードからみて飛行型のAMに間違いないだろう。
ようやく敵の姿をおぼろげながらも捉えることができたルネたちだったが、それを見た全員が驚愕の表情で言葉を失った。敵の飛行するスピードがあまりにも速かったからだ。
速い、以前戦ったときよりも数段速い。もしもあれを撃てと言われても、動きについていける気がしない。そしてスピード以前に、飛んでいる高さも前の倍以上ある。あれでは完全に機銃の有効射程外だ。
「嘘だろ……どうやってあんな高さまで上がったんだ」
ふと、爆撃音が唐突に止んだ。一体なにが起こったのかと上空を見てみると、熱源体がまたも雲の中に隠れてしまった。おそらく距離が離れすぎたため、熱を感知できなくなってしまったのだ。ということは、敵は基地から離れていったのだろうか?
「少佐ぁーっ!」
無線から声が聞こえ、町のほうから数機のAMが走ってくるのが見えた。基地に残っていたメンバーの機体だ。ラモーナにRUKの四人組、全員欠けることなく揃っている。
「ラモーナさん、それに他のみんなも無事だったのね!」
「ええ、突然上空から爆撃されて驚きましたが……フランクフルトの部隊が破れた経緯を聞いていたので、なるべく頑丈で歴史のありそうな建物の中に兵士たちを避難させました」
「やはり敵は町への被害をできるだけ抑えたいようね」
「すぐにAMを出すのも危険と判断したため、我々は建物の陰から敵の姿を視認できないものかと目を凝らしていたのですが……やはり敵機を発見することはできませんでした」
「それで正解よ。敵は町の地形を把握してるだけじゃなく、サーモグラフィーでAMの熱を感知して爆撃を仕掛けてるみたいだから」
「サーモグラフィー……なるほど、それで夜間に雲の中からAMを狙えたのですね」
「それに気付いたから、逆に私たちもサーモグラフィーで敵の姿が見えないか試してみたの。そうしたら案の定、雲の中に熱源体を発見したわ」
「では、やはり敵機は上空にいたのですね?」
ラモーナの質問にルネがこくりと
「それで……敵はどうしたの?」
「それが、やつらはなぜか二十分足らずの間しか攻撃を仕掛けてこなかったのです。爆撃が止んだおかげで我々もこうして逃げてくることができたのですが……」
それを聞いた瞬間、ルネがはっとしたように口元を押さえた。
「……しまった!」
「どうされたのですか?」
「敵の狙いはあくまでニュルンベルクよ。さっき見えた敵影は雲の中に消えていったけど、あれはさらに南へ向かったんだわ。ここを攻撃したのはただのついで、もしくは私たちを脅かして足止めするのが目的だったのよ」
「それでは……!」
「すぐに町に戻って、無線でニュルンベルクに連絡しなくちゃ! このままじゃ、あちらもフランクフルトの二の舞になる……!」
「了解しました!」
ルネたちは
AM部隊がバイロイトに戻ってみると、町はフランクフルトと同じく、大通りを除いてさほどの被害は受けていなかった。基地は一部が焼けただけですでに火は消し止められており、負傷者もラモーナの適切な判断のおかげでほとんどいない。
ルネはすぐさま無線でニュルンベルクに連絡を入れ、空飛ぶ敵が来襲する可能性と、今の連合軍にはそれに対する反撃の手段がないことを伝えた。交戦できなければニュルンベルクは敵の手に落ちるしかないのだが、逃げれば少なくとも人的被害は免れる。
「少佐……それで、我々はこれからどうすれば?」
再びパイロットたちがAMに乗り込んだところで、ラモーナが今後の進退をルネに訊ねた。
「…………ニュルンベルクに向かった敵を追いましょう」
「よ、よろしいのですか? 救援に向かったところで、我々にはやつらを攻撃する手段がまだ……」
「それでも、このままじゃそれこそ対策の立てようもないわ。そっぴーちゃんに少しでも情報を伝えるために、ここはなんとしても敵の実体を暴かないと」
「……了解しました」
「もしかすると、この任務は命がけになるかもしれない……それでもみんな、私についてきてくれる?」
いつもは部下の命をなにより大切に思い、隊員たちにも自分の命を軽く扱わぬよう厳命しているルネがこんなことを言い出すこと自体がそもそも珍しい。だが彼女の言うとおり、ここで敵の新兵器の正体を暴かなければニュルンベルクどころか連合国全土が危険に晒される。それほどの脅威を感じたからこそ、彼女はあえて隊員たちに『命をくれ』と言ったのだ。
「私たち、いつだって少佐のために……ううん、仲間のために死ぬ覚悟はできてますよ」
エダがまるで年下の妹に言うかのように優しい声で答える。
「私もです」
「俺もです」
「私もですっ」
ラモーナもアルバータもアーサリンも、そして他の者も全員が同じように答えた。
「みんな……ありがとう」
「よし、我々はこれからニュルンベルクへと向かう。敵に追いつくため、全速力で駆けるぞ!」
「「「了解!」」」
ラモーナの号令とともに十一機のAMが一斉に走り出し、南へと向かう。だが彼女たちの清々しい決意とは相反するように、空はなおもどんよりとした雲に覆われていた。
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