第7話 獅子の瞳を継ぐ者

 7.獅子の瞳を継ぐ者



 ゲルマニア軍によってフランクフルトが奪還されてから三日――ヴィルヘルミナを隊長とする“猟犬部隊”改め“渡り鳥部隊”のメンバーは、バイロイト基地から山を挟んで北西にあるエアフルトにいた。

 GETSの生み出すエネルギーは無限に等しく、それを動力とするAMやヒンデンブルグ号に燃料を補給する必要はない。だが爆弾のほうは補給が必要なので、そのための補給基地としてここエアフルトが選ばれたのだ。ここならば南にある山が壁となって大きな船体を隠してくれるため、ヒンデンブルグ号の存在をギリギリまで秘匿ひとくするのにもちょうどいい。

 ヒンデンブルグ号の内部は上下二層に分かれていて、下層はAMの整備ドックを兼ねた格納庫になっている。上層にはブリーフィングルームや乗組員の仮眠室などもあり、全幅にして四十メートルはあろうかという中央部と左右の機関室を繋ぐ通路があるのもこの上層階だ。

 いよいよバイロイトからニュルンベルクへと攻め込もうという数時間前、その通路の途中にマルグリットが乗った車椅子を押すローラの姿があった。これから人間電池としての任務に就く姉を機関室に送り届けるところなのだ。


「ふふ、それにしても先日の戦いは痛快だったな」


 マルグリットが心底楽しそうな笑みを浮かべる。


「身の程知らずにもわが祖国を踏み荒らした連合軍の連中が、あのように無様ぶざまに逃げ惑う姿は滑稽こっけい極まりなかった。このまま奪われた領土を全て取り戻せば、病のとこにいる皇帝陛下や皇女殿下も喜んでくださるだろう」


「ええ、そうね」


 ローラもまた微笑みを浮かべる。彼女の喜びは連合軍に勝利したことよりも、負傷してから以前のような覇気を失っていた姉が楽しそうにしているのが嬉しいからだ。


「私もまたこうして祖国の役に立てることが嬉しくてならない。この機会を与えてくださったヒンデンブルグ閣下とフォッカー博士には感謝せねばな。贅沢ぜいたくを言うなら、再びAMパイロットとして戦いたかったところだが……」


「…………」


 精妙なアクセルペダルの操作を必要とするAMの操縦において、つま先や膝の感覚はかなり重要なものである。仮に義足を装着して乗り込んだところで、以前のような動きをすることは不可能だろう。それを理解しているからこそマルグリットはパイロットとしての道を諦め、人間電池としてでも戦うことを選んだのだ。


「大丈夫だよお姉ちゃん。お姉ちゃんの志は私が引き継ぐから」


「ああ、お前の気持ちはよく分かっている。あのアルバトロスの色を見たときは嬉しかったぞ」


 マルグリットが車椅子の取っ手を握っているローラの手を優しく撫でる。

 一週間前――パイロットたちが新しい機体をそれぞれのパーソナルカラーに塗装することになったのだが、そのときローラは以前と同じ白い機体色をベースに、右脚部分だけをマルグリットのパーソナルカラーであった真紅に塗装した。それは戦うことができなくなった姉の魂だけでも同じ戦場に連れて行ってやりたいという、彼女なりの思いやりだった。


「あらあら、麗しい姉妹愛ですこと」


 通路の先で壁にもたれ、まるで姉妹を待ち構えるように立っていた者が声をかけてきた。ヘルミーネとブリュンヒルデの二人だ。

 パイロットであるこの二人が機関室に用があるわけがない。どうせまたローラたちになにか因縁をつけるためにわざわざやって来たのだろう。


「……なんの用?」


「いえ、大した用じゃないわ。先日の敗戦以来、姉君にはお見舞いもできずに申し分けないことをしたと思いましてね。ご挨拶にうかがったのよ」


「ごめんなさいねぇ。なにせ私たちは西部戦線送りにされていたもので」


 二人が揃って皮肉っぽい笑みを浮かべる。

 この二人の性格からして、そんな殊勝しゅしょうな心がけで来たなどと言われても到底信用できるものではない。むしろ目の上のタンコブであったマルグリットの落ちぶれた姿を嘲笑あざわらいに来た、と言われたほうがよほど得心とくしんがいく。


「構わんさ。あの敗戦のせいで部隊は散り散りになり、貴様たちにも苦労をかけた。元隊長として申し訳ないと思っている」


「あらぁ、そんなこと……私たちはミジンコほども気にしてませんわよぉ? それよりも大変なのは姉君のほうでしょう。その脚じゃ、人間電池になるぐらいしかお国の役には立てませんものねぇ」


 またも二人が揃ってクスクスと笑う。やはり戦えなくなったマルグリットの姿を見てえつろうという意図は明白だ。

 半年前、隊長だったマルグリットが負傷によって除隊し、副隊長のエルネスティーネも戦死したと聞かされたとき、ヘルミーネは自分こそが次の隊長に抜擢ばってきされると思い込んでいた。だがその期待は見事に裏切られ、自分よりも年下のうえ出戻り移民の子であるヴィルヘルミナにその座を奪われることになってしまったのは周知のとおりだ。後にそれがマルグリットの推薦によるものと知り、しかも妹のローラまでが栄えある『ティーガーズ』の隊長に選ばれたことで、彼女のリヒトホーフェン姉妹に対する嫉妬と憎しみはさらに深いものになっていた。

 今回彼女がこのような場所で姉妹を待っていたのは、それらの鬱憤うっぷんを晴らすために他ならない。パイロットとして戦うどころかまともに歩けなくなった姉を見下し、それに激昂げっこうする妹をからかってやれば、さぞ溜飲りゅういんが下がるだろうと考えたのである。しかし――


 ―― ズダァン! ――


 突然通路に大きな音が響いた。ローラがヘルミーネの体を壁に叩きつけたのだ。


「ぐぅっ!?」


 ローラがそのまま前腕を押し付け、ヘルミーネの喉に食い込ませる。怒りに燃えるその眼は以前に見下していた小娘のものではない。かつてのマルグリットと同じ獅子の眼だ。その眼を正面から見てしまったヘルミーネは、思わず恐怖に身をすくませた。


「ヘ、ヘルミーネっ?」


「ローラ、せっ!」


「ゲーリング中尉、上官として一つだけ忠告するわ。これ以上私の姉を侮辱することは許さない。もしもまた同じような台詞せりふを吐いたときは、たとえ軍法会議にかけられても私があなたを殺すから覚悟しなさい」


「は、はい……申し訳ありません大尉……」


 ローラがヘルミーネを解放し、車椅子を押しながら通路の奥へと消えていく。


「げほっ……ごほっ……!」


「ヘルミーネ……だ、大丈夫?」


「くっ……あの小娘ぇっ! 今に見ていらっしゃい……この借りはいつか必ず戦場で返してやるから……!」


 ヘルミーネが拳を床に叩きつける。

 隊長が代わり、どれほど素晴らしい新兵器が開発されても、やはりこの二人は部隊の不協和音だった。


「あなたたち、いい加減にしなさい」


 突然後ろから声をかけられ、ヘルミーネとブリュンヒルデが体をびくりと震わせる。恐る恐る振り向いてみると、そこにいたのはヴィルヘルミナだった。


「機関室へ向かうための通路に入っていくから何事かと思えば……あなたたちはこの大事なときに、いつまでそんなくだらないことをしているつもりなの?」


「…………」


 二人は黙ったまま返事もしない。それどころか、『出戻り移民の小娘が偉そうに』という不満が表情にありありと出ている。

 どれほど腕の立つパイロットであろうと、この二人の存在はいつか連合軍との戦いにおいてアキレス腱になるかもしれない。それが新隊長であるヴィルヘルミナにとって目下の悩みなのだが、かつてマルグリットも同じような悩みを抱えていたのかと思うと、その心労が察せられてなお辛い。


「ハァ……とりあえず、さっきの最後の言葉は聞かなかったことにしておいてあげるわ。もうすぐ出撃だから、早く準備を済ませなさい」


「はぁい……」


「……了解しましたわ隊長さん」


 二人はなおも不満そうな顔をしていたが、表向きは逆らわずに来た道を戻っていった。

 ヴィルヘルミナは問題児二人を見送った後、ローラたちの消えていった機関室への道をじっと見て思った。


「(大尉……安心してください。あなたたちお二人の幸せな時間は私がお守りします。今度こそ……!)」


 隊長を任された以上、連合軍を打ち破って祖国を守ることこそヴィルヘルミナの使命である。だが、なにより彼女が守りたいのはベルリンにいる家族と大恩あるマルグリット、そしてその妹であるローラの幸せだ。

 ヴィルヘルミナはきびすを返すと、強い決意を込めた足取りで歩きはじめた。

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