第35話 彼女が英雄を目指す理由

 35.彼女が英雄を目指す理由わけ



 式典の始まる少し前から、宮殿前の広場は異様な熱気に包まれていた。ほとんどの観衆は一対九という人口比が示すとおり女性ばかりだが、数少ない男性もこぞって集まっている。先ほどから皇女のヴィルヘルミナ二世が宮殿の前に設営された壇上に立ち、民衆の喝采かっさいに応えて手を振っていた。

 本来は皇帝自身がこの式典に出席し、マルグリットたちに手ずから勲章を授けるはずだった。だが彼女は先月から体調を崩しており、現在は病の床で伏せっている。そのため勲章を手渡す役目は総司令官のファルケンハインが行うことになり、皇女である彼女は皇帝代理としてアネット・フォッカーに爵位を贈る役目を母から仰せつかったのだ。

 皇女と入れ代わるようにしてファルケンハインが壇上に立ち、大きく両手を広げて聴衆たちを睥睨へいげいする。

 彼女がなにを言うのか、ほんの少し前まで騒がしかった観衆はみな息を呑み、水を打ったように静まり返っていた。


「偉大なるゲルマニア帝国の国民諸君!」


 女性にしてはハスキーな声だが、ファルケンハインの大きな声はよく通る。口から壇上のマイクまで三十センチ以上も離れているにもかかわらず、彼女の呼びかけは広場から伸びた沿道にいる聴衆にまで届いていた。


「いよいよ我が軍が連合国を打ち破り、欧州全土を統一するための準備が整った! 冬を待たずしてパリは陥落し、ゲルマニアの旗が打ち立てられることだろう!」


 観衆が諸手を上げて万歳を叫び、すでに勝利が決定したかのような大騒ぎになる。ファルケンハインはそれを満足そうに眺めながらも、広げた両手で「まぁ落ち着け」というときのようなジェスチャーをして観衆に静聴を促した。


「今日は我が軍に大いなる力を与えてくれた偉大な技術者に、その功績を称えて爵位を贈ることとなった。紹介しよう! アネット・フォッカー博士である!」


 激しい雨のような歓声と万雷の拍手に包まれ、アネットが壇上に上がる。昨日、ベルリン工科大学で博士号を授与されていた彼女は、今や名実ともに“博士”であった。

 アネットは観衆に向けて手を振るでもなく、ただ軽く顎を上げ、愚かな者たちを見下すような笑みを浮かべている。彼女にとってゲルマニアで名声を得ることは目的の一部でしかなく、望みはあくまで連合軍の首脳たち、特にノースアメリカの軍関係者に対し、自分のほうが兵器開発者としてトマサ・ソッピースよりも上だと証明することなのだ。


「殿下、お願いいたします」


「うむ」


 演壇の背後にしつらえられた豪華な椅子から、足が地面に着いていない皇女が飛び降りる。病床にある母に代わって重要な役目を与えられた彼女は、心なしか緊張しているようにも見えた。


「殿下、どうぞ」


 背後に控えた女性が剣を差し出すと、皇女はその柄を握り、しっかりと胸の前で支えた。そして従者の女性のほうが鞘を引っ張って剣を抜くと、皇女は一度剣を高く掲げ、前にひざまずくアネットの肩に向けて下ろしていく。

 小さな少女にとって長い鉄の剣はとても重いものであり、下ろしていく最中にも先端がぷるぷると震えている。儀礼用に刃を落としたものなので斬れはしないが、アネットは自分の肩に添えられた剣の感触に妙なむず痒さを味わっていた。


「アネット・フォッカー、なんじのゲルマニアへのこうけんにたいして、だんしゃくのしゃくいをあたえる。これからもていこくにたいしてちゅうぎをつくすように」


 前から練習していたのだろうか、難しい文言こそないが、皇族として精一杯務めを果たそうとする姿がなんとも可愛らしい。これならばむしろ皇帝本人が出席するよりも国民の受けがいいかもしれないと、ファルケンハインは思わずほくそ笑んだ。事実、観衆の盛り上がり方は凄まじいものがある。


「はぁい、皇帝陛下や皇女殿下のご恩に報いるため、さらなる努力をいたしますわぁ」


 アネットがいつものとろけるような甘い声で、教科書通りの口上を返す。

 現代の爵位は昔のように所領が与えられるわけではないので、軍の上層部にも多少顔が利くようになる以上の実利はほとんどないといっていい。しかし一般的には貴族として扱われない騎士の称号を一足飛びにして、国民的英雄であるマルグリットと並ぶ男爵位を与えられるというのは、ゲルマニア帝国のアネットに対する評価がどれほど高いかを示している。目的の達成まではまだ道半ばではあるが、彼女はこの国からの評価にとりあえず満足していた。

 次はパイロットたちへのブルーマックスの授与である。ファルケンハインが再び両手を広げ、観衆の拍手と歓声を制した。


「次は皇帝陛下の剣となり、前線で敵の主力を打ち破ってきた英雄たちを称えたいと思う! すでにみなご存知であろう、マルグリット・フォン・リヒトホーフェン率いるAM部隊の面々だ!」


 マルグリットたちが壇上に上がると、またも凄まじい歓声が沸き起こる。腰の後ろで手を組み、背筋を伸ばして整列するパイロットたちの体に、弾ける空気の衝撃まで感じられそうなほどの拍手が浴びせられた。


「エーリカ・レーヴェンハルト中尉! ヴィルヘルミナ・ラインハルト中尉! クリームヒルト・ボルフ少尉! ヘルミーネ・ゲーリング中尉! 前へ!」


 ファルケンハインが撃破スコアの多い順に名前を読み上げ、それぞれの胸にプール・ル・メリット勲章を付けていく。そのたびに大きな拍手と歓声が上がるが、パイロットたちは誰一人として鉄仮面のごとき相貌を崩さない。今回の式典を誰よりも楽しみにしていたはずのヘルミーネでさえ、マルグリットに新たな勲章が贈られると聞いたときから終始不機嫌な顔をしていた。


 ヘルミーネ・ゲーリングは同性に対しては皮肉屋かつ傲慢で、どうしようもないほど性格の悪い女だと思われがちだが、異性に対してはそうではない。むしろ好きになった相手にはとことん尽くすタイプであり、いかにも魔性の女といった感じの風貌とは裏腹に、彼女の貞操観念や恋愛観は白馬の王子様に憧れる乙女のそれに近いのだ。そしてまさにそれこそが、彼女が執拗しつように名声にこだわる理由だった。

 男性が極端に少なくなった現代では、ゲルマニア帝国に限らずほとんどの国で一夫多妻制が認められている。とはいえ、それは一人の男性が大勢の女性をはべらせてハーレムを作るといったうらやましいものではない。逆に多くの女性が一人の男性を共有財産として扱うという感覚のものであり、男性は日替わりで毎日別の家を泊まり歩かなければならないという、ただの種馬扱いにも等しいものだ。そんな中で唯一、一人の男性を自分だけのものとして独占することを許されているのが優秀な兵士、特にAMのエースパイロットだった。(士官学校に入ってAMのパイロットを目指す者が多いのには、実はこういった理由もある)

 女の価値は兵士として優秀であることという世の中にあって、それもプール・ル・メリット勲章を贈られるほどの英雄ともなれば、結婚相手も平民から貴族の子息たちまでより取り見取りである。それゆえ独占欲の強いヘルミーネは三国一の花婿を射止めんと、自分が誰よりも優秀なパイロットであることを証明し、自らの名声を高めることに躍起やっきになっていたのだ。

 せっかく自分が英雄と認められる日が訪れ、上機嫌でベルリンに凱旋してきたというのに、ヘルミーネはいま々しいマルグリットのせいで冷や水を浴びせられた気分だった。スコアで大きく水をあけられ、ようやく自分も勲章にありついて同格になったと思っていたのに、彼女はさらに一段格上の勲章を贈られるというのだ。これでは喜びどころか、自分の社会的な評価や今までの功績の価値まで半減させられてしまったような気がする。


「さて、我が国では今回、プール・ル・メリット勲章の上にさらなる勲章を制定することとなった。その名も薔薇十字勲章! ここにいる“戦場の赤い薔薇”こと、マルグリット・フォン・リヒトホーフェンの栄誉を称えるための勲章である!」


 ファルケンハインが星のような十字に赤い薔薇をあしらった勲章を従者から受け取り、マルグリットの胸に付けると、再び割れんばかりの拍手と歓声が彼女を包んだ。それはまるで大波のように広がり、広場を抜けた道の果てまで広がっていく。先ほどブルーマックスを贈られた四人分の喝采かっさいが、マルグリット一人の身に集まっているかのようだ。

 たしかにブルーマックスを贈られる基準が二十機撃破ならば、その四倍を撃破しているマルグリットには四人分の喝采かっさいを浴びる権利があるだろう。だが、ヘルミーネにとってこの光景は自分の栄光が貶められ、格の差を見せ付けられたような不愉快なものでしかない。


「(今に見ていなさい……いつかあなたを戦場で、二つ名のとおり花と散らせてやるわ。せいぜいフレンドリー・ファイアには気をつけることね)」


 ヘルミーネは視線で刺し殺そうとするかのように、拍手を浴びるマルグリットの背中をいつまでも睨み続けていた。

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