第61話 送终 -Kazu side-

 黙って耳を傾けるスキンヘッドの男は、ナオキの提案を聞き終わった後で反応を示した。


「なるほど・・・。代わりに人身売買からは手を引けってわけか・・・」


アウトローの鼻は「金の匂い」を嗅ぎつけたようだ。


 近代化が加速する東南アジアで、人身売買や拳銃の密売などといった古臭いビジネスがいつまでも通用するはずがない。チャイニーズマフィアたちも、それに変わるを求めていたのだ。


     ※     ※


 今現在、多くの国や地域で大麻が違法であるのは間違いない。

だが、世界の趨勢は猛烈な勢いで解禁方針へと舵を切り、大麻栽培は大きなビジネスチャンスを秘めていたのである。


 大麻業界の調査会社「アークビュー・マーケット・リサーチ社」によると、2015年の米合法大麻市場は54億ドル(約6100億円)にものぼり、前年比の17%増だった。なかでも嗜好大麻の売り上げは特に顕著で、3億5100万ドル(約400億円)から9億9800万ドル(約1100億円)まで跳ね上がっている。


 かの有名なマイクロソフト社はロサンゼルスに本社があるスタートアップ企業「Kind」と提携して大麻ビジネスへの正式参入を決め、販売状況を追跡するためのソフトウェア開発を始めるそうだ。

また、ラッパーのスヌープ・ドッグは、コロラド州で大麻ブランド「リーフス・バイ・スヌープ」を立ち上げて大成功を収めた。

このように、アングラからメジャーへと移りゆく大麻ビジネスは、今、世界で最も注目すべき急成長分野なのだ。


「大麻」と聞いただけで拒絶反応を起こす日本人には、想像もつかない世界であろう。


     ※     ※


 首筋から龍の刺青を覗かせる男は、「悪くない」と受け取ったように見える。

絶大な勢力を誇るドラゴンフラッグの幹部を任されるからには、ではない。


「ちょっと待ってくれないか?のボスに確認させてくれ・・・。何れにせよ、すぐに答えを出せる案件じゃない」


男はそう言い残すと足早に部屋を出た。


     ※     ※


 どのくらいの時間、待たされたであろうか。

途中で何度かお茶を淹れに来た女性は能面の表情を崩さない。


「いったい、いつまで待たせんだよ!」

苛立ち始めたナオキがタバコの空き箱をグシャっと潰した。


「まぁ、こんなにデカイ商談を、おいそれとは決められないよなぁ」


 レトロな掛け時計の針は5時ちょうどを指そうとしている。


そろそろ外は夜が明けてもいい頃だ。


静かな空間にボーンと鐘の音が鳴り響く。


 「時計」という単語は、中国語で「钟表(zhōng biǎo)」と書く。

「钟(zhōng)」と「終」(zhōng)の発音が全く同じであることから、古来より中国では「時計」は絶対に贈ってはならない品物の一つなのだ。つまり、「時計を送る」=「送终(sòng zhōng)」は、終わりを贈る非礼な行為だと解釈される。


何とはなしに、そんな薀蓄うんちくが思い浮かんだ俺は、不吉な結末を連想せずにはいられなかった。そして、嫌な予感ほど的中するのが世の常。戻ってきた男の答えは「拒绝」だったのである。


「なんでだよ!!悪い話じゃないだろ?だって・・」


「閉嘴!」(だまれ!)


ナオキが反論しようとすると、見覚えある一人の少年が応接間に招き入れられた。


メコンリバーサイドロッジで働く清掃員だ・・・。


「てめーら!この写真をどうするつもりだった?3日間もこんなもんをコソコソ撮ってたヤツらを信用しろってか?」


目を伏せる少年が手にするのは、俺たちがパークベン港の様子を収めたカメラだった。


送终(sòng zhōng)。


諸行無常の鐘の音は二人に終わりを告げていたのである。

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