第10話

 女神官はまだ強くルーの首をかきいだいていた。しばらくだきしめてやり、そっと女神官の手をほどいた。


「まだ、だきしめていやれ……」


 女神官は泣きはらした瞳でルーを見上げた。


「ぬしのいうことを聞いたのじゃから」


 ルーはあぐらをかいたひざのうえに、女神官をだきかかえてやった。


 女神官をだきしめながら、いままで女に対して味わったことのない、不思議な心地に襲われた。女神官をひどく愛しいと思ったのだ。昔、交わりを終えたあと、ハルコーンや従弟が、なぜあんなにも自分を優しくあやしたのか、いまやそれがはっきりと理解できた。


「ぬしはクリスタルの剣をどうするつもりなのじゃ?」


 女神官の声にどぎまぎしながら、ルーはこたえた。


「あれで僕は盗まれたものを取り戻すつもりなんだ」

「なにを盗まれたのじゃ?」

「それはいえない」


 女神官はおだやかに微笑みながら、ルーの腕の肉を爪できつくつねった。ルーは悲鳴をあげて、腕を払うと女神官の爪から逃げた。


「わらわにもいえぬようなものなのかえ? もしや女ではあるまいな?」


 親しみをこめた女神官の嫉妬心が、やけにくすぐったく感じられた。しかし、ルーはあわてて首を振って否定した。


「ではなんなのじゃ?」

「だから、それはいえないって、さっきいったばかりじゃないか」


 女神官はころころと笑いながら、「おや、ぬしほど口についたてのない男なら、ちとつつけば、ぽろぽろともらすと思うたに、とんだ勘違いじゃった」


「口の悪い女だなぁ」

「ぬしよりかは可愛げがあるぞえ」


 女神官とじゃれあいながら、ルーはさりげなくたずねた。


「なぁ、わりない仲になったんだ。もうクリスタルの剣をほしいなんていわない。ひと目でいい、みせてくれないか?」


 女神官はルーの言葉に快くうなずき、たちあがった。


 その白い尻が血で汚れてしまっていたが、この神殿のなかでは汚穢なものにはみえず、むしろ神聖にさえ感じられた。


 しゃらしゃらとクリスタルがこすれあうたびに、女神官の流した血が浄化されていくようにみえ、事実そうなった。木のファルスにこびりついていた血でさえ、あとかたもなく消え去った。


 女神官に従い、ルーは神殿の奥へとむかった。


 神殿は、いったいどれほどのひろさなのか。そとからみるよりかなりひろいことは明らか。オムホロスが使うような魔法を用いているのか。


 ルーはしきりに不思議がりながら、ひとつの部屋まで案内された。


 その部屋はクリスタルでできていた。まんなかにクリスタルの男性像が直立していた。そして、その胸に、光を寄せて束ねたような繊細なクリスタルの剣が突き刺さっていた。


 氷像のまえにたち、女神官は、「これが父上じゃ。そして、これがぬしのみたがっていたクリスタルの剣じゃ」と、指さした。


 だしぬけに、ルーは女神官のわきをすりぬけ、氷像目がけて駆け寄った。女神官が叫んでなぐりかかってくるまえに、素早く剣をつかみ、引き抜いた。


「ああ、ああ、なんということを! ぬしを信じたわらわが愚かであった!!」


 女神官は目くじらをたてて、泣きわめいた。


 そのさなか、氷像がぐらぐらと上体をゆらし、がくりとひざを折った。クリスタルのように無色透明だった体が、しだいに色づきはじめ、苦しげに肩を上下しはじめた。


 それに気付いた女神官はののしるのをやめ、呆気にとられて氷解した元神官をみつめた。


 ルーは愕然と目をむき、クリスタルの剣を手にしたまま、ただ呆然としていた。


 すっかり尋常の姿に戻った元神官は、女神官を、そして、ルーを順繰りにみやった。動かしなれぬ舌をもつらせながら、「わたしはいったいどれくらい……?」とつぶやいた。


「父上、二十年ほどにございます。ずっとずっとお待ちしておりました」


 女神官は元神官のまえに素早くひざまずいてこたえた。


 元神官は一瞬度肝を抜かれたようすで、女神官をまじまじとみつめていたが、ようやく合点がいったのか、つぶやいた。


「父……上? おまえは……あのとき幼かった?」

「そうでございます。父上がクリスタル像となってから、わたくしが父上の跡を継ぎました」

「妻は……? おまえの母上は?」

「三年ほどまえになくなられました。屋敷はあのままでございます。父上がいつ戻ってこられてもよいように」

「そうか……」

 元神官は時にとり残されたような虚無的な表情を浮かべて、ぼんやりとルーをながめた。

「クリスタルの剣を抜いてくれたのはおぬしか?」

「そうだが」

「礼を申す。おぬしが不完全なものでよかった……もしそうでなかったら、このわたしは本当に朽ちていたろう……」


 ルーは元神官の言葉に寒気を覚え、女神官を振り返った。


 女神官はしっかりと元神官の言葉を聞いていて、いぶかしげにたずねた。


「不完全なものとはなんでございます、父上?」

「文字どおり、足らぬもののことだ。魂や、性や、感情……この世に生をうくる摂理として必要なものが欠けておるもののことだ」


 元神官の説明に、女神官の目が見開かれた。たどたどしい声で、不安げにルーに話しかけた。

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