第2話

「こんどの旅はどこまで?」

「南まで」


 酸っぱみのある地酒を木の杯で回し飲み、カリブーの脂身をかじりながら、ルーはこの半年間で寄った国々のはなしを、もとめられるままにして聞かせた。


 よもやまばなしは下世話な次元にまでおよび、女っ気のない男たちのだんらんに花を咲かせた。


「こんなはなしなんぞすると、二度とみたくないと思っとる顔までみたくなっちまうじゃないか!」


 笑いながら、太った男がいった。


「それを機会にもっとねんごろになってやれ! ご無沙汰しとると身に覚えのない子供が増えるばかりだぞ!」


 つばを飛ばしあいながら、男たちは戯れ言をかけあった。


「義息子殿、おまえも新妻と長いことご無沙汰で左手が疲れてきたろう、明日は精いっぱい奥方さまに献身してやれよ」


 野卑な笑い声をたてて、酔っ払った男が左手を股間で動かした。男たちの野次が飛び交う。


「そりゃ、おまえのことだろう!」


 とうの義息子はまじめ腐った顔を赤らめ、いかにもうれしげに照れ笑った。


「帰れば、ケセオデールも子を産める体になっとるだろう。早く孫の顔を拝ませてくれよ」


 王の言葉に、ルーは眉をゆがませ、いたたまれぬ気持ちにさいなまれた。


「おう、旅の人よ、どうなさった?」


 ルーは顔をあげ、といかけた王をみず、ハルコーンに顔をむけてこたえた。


「僕は愛人を捨ててきたんだ……あなたのはなしを聞いてひどく後悔の念にさいなまれてきたよ」

「なぁに、いった先々に女房をつくればいい。なぐさめはいくさきの土地の女にあるものさ。通り過ぎちまった尻を振りむいてため息をついてもしようがあるまい」


 だれかが彼のかわりにあいづちを打った。


 彼はその言葉に愛想笑いを浮かべ、「それも一理だなぁ……だが、僕のケセオデールはほかにない女だ。やっぱり帰りつくところはあいつのとこなんだろうな……」と無邪気にいった。


 とたんに火を囲む男たちが足元の雪をハルコーンに投げつけて、奇声をあげてひやかした。


 ルーは口からほとばしりそうになる言葉をことごとく飲みこみ、つとめて真顔をよそおった。


 あのころ、夫の胸と腕は、ケセオデールのとまり木だった。あらためてそのことをさとっても、いまとなってはもはや手遅れだった。安心して丸まって眠るねぐらは、ファルスをもとめてケラファーンから出奔してしまったときから、永久にうしなわれてしまったのだ。


 酒の杯が回ってきて、ルーは酸っぱい酒を口いっぱいに含み、胃に流しこんだ。


 はや夜半を過ぎ、ルーの目は冴えていたが、王やほかの男たちはめいめいテントに引っこみ、気遣って残ったハルコーンは、こっくりこっくりと舟をこいでいる。


 いまならまだ、狼のころもを脱ぎさえすれば、自分はまた女にかわることができるのではないか。


 ルーはぼんやりと考えた。しかし、女に戻ったからといって、本当に自分の渇望が癒されるわけではなかった。夫への愛着は、そういうものとは完全に切り離されたもので、また打ち消されてしまうものなのだ。


 ハルコーンの肩に顔を近づけた。はじめてのとき、その毛皮の匂いがいやでたまらなかった。いまはべつだんなんとも思わない。自分がかがった上衣が丈夫にたもたれているのをみて、微笑みが浮かんだ。


 そっと肩に手を回し、口づけはしないけれど、頬をすり寄せた。


 とたん、彼は目を覚まし、驚いて声をあげた。


 ルーはあわてて飛びのき、じっとハルコーンをみつめた。


 彼は途方に暮れたようすで、なにかいいたげに口を開きかけた。


 ルーはその声も聞かず、身をひるがえし、逃げだした。ハルコーンの呼びとめる声が背後から追ってきたが、野営地からだいぶ離れてしまうと、その声も途切れた。


 春の夜明けまではまだほど遠かった。


 薄暗いなか、林で待ちぼうけを食らっていたキメラをさがしあて、その冷たい背にまたがった。


 すぐさま飛びたとうとするキメラを制し、ルーはキメラの太い首筋に顔をつっぷして泣いた。






‡‡‡






 春明けの朝日のなかを、キメラは霞を蹴って舞いあがった。

 ルーが黙ってでていったあと、ケラファーンの一族はのそのそと出発の準備をはじめ、寝不足の身を強いて、ケラファーンの森にむけてそりを走らせたことだろう。

 きっと夫には一生わからないままだろう。狼に食われて死んでしまったとされた妻が、男となって自分のまえにあらわれたことなど。

 夫との二度の別れを決断したルーに、もはや後悔はなかった。

 ルーの目的は、体から奪われ、手にもってしかそなわることのない男根を自分の身体にとり戻し、意志によって自分の自在にすることだった。ないことで削り落とされていった心のなにかをとり戻すことにあった。幼いころからつきまとってきた不自然さに終止符を打つためにも、それしか手立てがないのだと、思いこんでいた。

 ケラファーンはとうに過ぎ、ケラファーンの女王の故郷である極寒の北方の地、ビオリナの天空を舞った。

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