煙草

@mabataki5

第1話


わたしは、煙草が嫌いだ。



わたしの母は、煙草を吸う。

言うなれば、ヘビースモーカーというやつだ。

我が家はいつも煙草の匂いがした。真新しい洋服も、お気に入りの靴も、洗濯したてのふわふわのタオルも。


それがわたしは、たまらなく嫌だった。





「煙草ばかり吸っていると早く死んじゃうんだよ。」


幼いながらに、母にそう言ったことがあった。母は「そうだね。」とただ笑いながら白い煙を吐いた。

わたしが、ムッとしてわざとらしく噎せて見せると、母は、困ったような顔で灰皿に火を押し付けた。




「わたしは絶対に煙草なんて吸わないからね。」

20歳になって母にそう告げたこともあった。


「そうね。そうしなさい。」

母は笑いながらカチッ、と煙草に火を灯す。


「そんなに美味しいの?」

わたしの問いかけは、母の吐き出す白い煙にかき消された。わたしは灰皿に落とされた灰をただ見つめていた。





わたしは、今日、空を見上げる。


昔の思い出を走馬灯のように思い出しながら。

もくもくと空へ上ってゆく白い煙はまるで、母がいつものように煙草を吸っているようにも見えた。




「だから言ったのに。」


もう誰も、何も答えない。わたしはまた、わざとらしく噎せてみたが、その白い煙が止むことはなかった。




母が遺した小さな箱には煙草が一本だけ、残っていた。



わたしはカバンからライターを取り出す。

指をかけるとカチッ、と音が響いて火が灯る。ぎこちない仕草で煙草を手に取り口に咥え、火をつけた。



ふわっと溢れ出す白い煙。

口いっぱいに広がる苦味。鼻がツーンとする。

思わず噎せ返り、吐き出す煙が目に沁みる。



ふわふわとわたしの手の指の間から浮かぶ白い煙がぼやけていく。それでもわたしは煙草を咥え、息をする。





「美味しくないじゃん。」


やっと知ったその答えは、今度はわたしの吐き出す白い煙にかき消された。煙が目に沁みる。






わたしは、煙草が嫌いだった。



涙を拭う。

お気に入りのハンカチは、煙草の匂いがした。





辺りに立ち罩める白い煙の中、ぽとり、と地面に落ちていった灰を、わたしはただ見つめていた。









煙草 完






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