第47話「着信先不明の無言電話」

 

 

  5 

 

 

 まだ、誰かが地下室に存在している。

 胸には、恐怖と同時に、激昂する感情がある。

 僕は、息を殺して、隠れながら、自分の胸を掴んだ。

 

 犯人は、必ず僕の元へ向かってくる。

 

 ラブラドールの出口は、一つしかない。

 僕のいる、踊り場の階段しか、外部には通じていない。

 だから、犯人が逃げるなら、僕の前を通るしかない。

 いつまでも隠れてはいられない。

 いつまでも逃げてはいられない。

 

 僕はバットを手に、一歩目を踏み出した。

 だが、そのときだった。

 

『ピピピピピピピピピ……!』

 

 音が、した。

 何が起こったのかわからなかった。

 ケータイ、だった。

 非通知の着信音が、鳴り響き、通話に出ると途切れた。

「…………ブツッ、」無言電話、だった。

 誰からだろう。なぜこのタイミングなんだろう。

 静寂が途切れ、同時に、何かの崩れる音がした。

 

「坊っちゃんじゃないか」

 

 そして、男が現れた。

 緑色のスラックス。

 無精髭に、狡猾そうな目元。

 

 探偵、だった。

 

 探偵、『鈴木』だった。

 どういう、ことだろうか。

 意味が、わからなかった。

 だが、意味など、必要、なかった。

 

 鈴木は血だらけの羽根を手にしていた。

 

 

 

 

「坊ちゃん……おやおや。どうしたんだい。こんなところで?」

 鈴木は、羽根を掴みながら、言った。

 その顔は、奇妙な笑みに、歪んでいた。

 ボトリ、ボトリ、と、大粒のしずくが滴り落ちる。

「ああ、これかい……一人始末してきたのさ」

 マグロでもつかむ、漁師のように、羽根をかざす。

 激烈な汚臭が、たちこめる。

 僕は凍りついたように動けない。声も出せない。

 探偵は僕の心理を読み取ったのか、

 

「きみの考えていることは、あたりだ」

 

 そういって、巨大なナイフの刃を光らせた。

 僕は、一歩、後ずさった。

 

 ――切り取られた天使の羽根。濡れたケータイ。

 

 それは、これまで単なる噂としてみなされていたものが、

 現実のかたちをとったことを、あらわしていた。

 

 天使狩りの犯人は――、

 そこまで考えた瞬間、何かが弾けた。

「お、おおお前、九条マキをッ!」

 そこでのどが裏返って、呼吸ができなくなった。

 舌がおかしな方角に絡まっている。

 

「お前が、やったのか!」

 

 僕は、叫んでいた。

 叫んでいることを、自覚しながら、

 遅れて、ぶるぶると震える自分の手に、気が付いた。

 バットに、気が付いた。

 物凄いエネルギーが、自分の手元には、集まっていた。

 だが、そのエネルギーを解放することは、できなかった。

 何もできずに、その場に立ち尽くしていた。

 

「……そうさ。私がやった。羽根を狩った。だが彼女はもうどこにもいないよ」

「どういう、ことだ」

 そう言い返すので、精一杯だった。

 神隠し、にあわせた、ということだろうか? この男が? こんな何の変哲もない、くたびれた中年が?

「彼女の羽根は失われた。でも、勘違いしちゃいけない。羽根は狩られたんじゃなく、差し出されたんだ。彼女は自分からそれを望んだんだよ。それがproject禁猟区の契約だ」

「お前は、何かを……知っているのか」

 project禁猟区について。その秘密について。

 やはりproject禁猟区と天使狩りは密接に関係していたのか。

「私だってこんなことはしたくなかったんだよ……ガキの羽根をちょんぎるなんてくだらない遊びはさぁ……グ、グェ?!」

 

 突如、眼球がぐるりと反転した。

 僕は、一歩、後ずさった。

 鈴木は、痰を吐き出した。

 タァン、

 と、小気味良い音をたてて、汚い痰は四方に飛び散る。

 

『鈴木』の様子は、やはりおかしい。

 

 最初から、どこか不安定な印象を相手に抱かせる人物ではあった。

 しかし、ここまで、壊れた不安定さを感じさせる、人間ではなかった。

 

 そして、気付いた。

 

 羽根が二つある。

 

 

 

 

 テーブルに置かれている羽根とは別に――

『探偵』が手にしている血染めの羽根がある。

 それらは別々のものだ。

 羽根の左側と右側。

 一対のものを二つに分けた、わけではない。

 それらが、別々のものである、ことは、色味の違いからも、わかる。

 

「ほかに犠牲者がいるのか?」

「犠牲者? それは違うよ」

 

「……彼女たちは、自分の意志で、飛びこんだんだ。もっとも、私の意志でもあるがね。欲情、といった方が正しいかな……ひひ」

 畜生。

 そう毒づいたはずの言葉は、かみあわない歯の動きによって消えてしまった。

 僕は、歯をがたがたと震わせながら、精一杯強がって、立っていた。

 怒りが、自分を、支えていた。


「欲情……意味のわからないことばかり言うなよ。そんなこと、」

「考えられない、とでもいうのかい? 坊ちゃん……君は彼女の何を知っている?」

 何を?

 何を言っているんだ?

「私には私の義務がある。きみにはきみの役割があるようにね。これは役割の問題なんだよ。そして坊ちゃん、きみはいま――愛の結晶を追っているのだ」

「あたまがおかしいのかッ!」

 僕は叫んだ。天使狩りが義務だとはどういうことだろう。

『探偵』の独白は続いている。

「そう。これは『愛』の問題なのだ。私は、たった一人の女を愛しているのだ。憎しみ続けているのだ。そしてすべてを捧げ続けているのだ。わかるかね?」

 わかるわけがない、と自分は言った。

「わかりきったことだ。本当はわかりきったことだった。きっとわかっていたはずのことだったのだ。私は光を求めた。それがどれだけ歪んでいて、下劣なやり方だろうと――たった一度だけでもその肉体を抱きしめる手段を、選んだのだ。それが契約だ。私が私の魂と交わした契約だ。"地獄より光に至る道は長く険しい"――わかりきったことだ。わかりきっていたことだった。は、は、は、ひゃァは、あらゆることは無駄ではない、すべてはつながっている。すべては収束する。あのお方は、そして光に至る暗闇の洞窟を私に与えるだろう……私はそのやわらかい肉体のほとばしりのなかで、一瞬の、永遠の快楽を見出すのだ。ああ、ああ、ひ、あひ、ひ、ひひ、待ちきれないよぉ……グ、グェッ、グェエエエエエゲェエエエエエエエエエエ、」

 

 ここは一体どこなんだろう、と僕は考えている。

 

 探偵は、探偵を自称する『鈴木』は――、

 いや、僕の知っている人間ですらない、その男の理解不能な発言は、

 まるで異世界の住人の言葉のようにすり抜けていく。

 

 少なくとも彼の行為は、即物的な犯行ではない、ということだろうか。

 計画的、な犯行なのか? だとすれば、と僕は停止寸前の思考をはたらかせて、考える。だとすれば、なおさら、わからない。

 羽根を狩ることが未来につながるのか?

 わからない。わからない。わかりたくもない。

 笑い声が聞こえた。『探偵』は、叫びながら笑っていた。

 ボタボタと音がこぼれて、頭上にかざした羽根から落ちる血を、舐めていた。

 その血を、顔に浴びながら、笑っていた。

 サイレンの音が聞こえた。警報が鳴った。

 異変を察知した誰かが、通報したのだろう。

 パトカーのサイレンの音が、繁華街の向こうから聞こえてくる。

 

 僕はなぜか、安堵の息を吐き出していた。

 

 

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