第四章

第32話「ダメ!絶対!天使禁猟部」


 

 1

 

 

 小汚い雑草を手にした少年がうつろな目をしてニヒルに微笑む写真に、大きなバツ印がフェードイン。さらに上から、「ダメ!絶対!天使禁猟部」とかかれてある。


 こ、これは……。


 雑草は脱法ハー〇に見立てているのだろうか。

 じゃなくて、誰がつくったのだろうか。

 カチカチとマウスを軽快にクリックする音が背後からきこえてくるがきっと気のせい、だが仏の顔もなんとやら、みてみぬフリができるのも三度ならぬ三分くらい。

 振り返ると、沙羅が鼻歌交じりにコラージュをつくっていた。

 先日エレナの下着泥棒、というか、よもや下着を被るという愚考に及んだノブナガの罰ゲームは、全校に百枚は貼られる同好会の勧誘ポスターのモデルに決定した。

 

 

 一週間ぶりのラブラドールである。

 暇潰しのリアたちの巣窟、洗剤工場裏の青春の敗残兵たちの巣窟。

 だが退屈な青春を凝縮したようなこの店の平和すぎる惨状とは裏腹に、窓の外は底知れぬ闇で溢れている。集団暴行。集団自殺。少年犯罪。少女売春。銀行強盗。似非宗教。横領横暴。オレオレ詐欺。薬物中毒……etc。日々迫り来るそうした闇は、人々の心の弱さにつけこんで、心とからだを蹂躙する。街の雰囲気、街に根付いた記憶、さらにもっと深い全体的な罪の意識、集合的無意識に働きかけ、悪意で人々をとりこんでいく。

 だからその世界の闇を葬るために、我ら天使禁猟部(笑)は、闇の在り処を突き止めねばならない。その発生源を探りあてねばならない。だが人々の悪意とは抽象的な概念だから、その具体物、具体的実際的に現場で起こった、或いは起こりつつある現在進行形の事件を取り上げる必要がある。それはエッチなビデオの24時間耐久マラソン、ではなく噂の解明、天使狩りの探索だ。天使狩りを調査して、ある一人の自我との関係を辿っていくことが求められる。

 

 ……そんな怪奇文書にしかみえないトンデモな説明書きを長々とポスターに羅列する我らがラブラドールあらため天使禁猟部(仮)の面々は、今日も調査、調査とのたまいながらラリパッパ、窓の外の夜の向こうから流れこむ洗剤工場の強すぎるシ○ナーの匂いにアヘアヘになりながら、気持ちよく無意識の海を三途の川まで泳いでいた。


 目の前には、瞳孔が開いたまま笑みを浮かべて大根を切り続けるミココの姿がある。千切り微塵切り角切り十字切り69切り親子切りオヤジ切り「間違えて乗った女性車両で逆痴漢にあっちゃった僕……」切り。ありとあらゆるカッティング方法で切り刻みすぎて具材の残骸が山となっているが、触れないほうが身のためだ。そもそも喫茶店のテーブルにまな板をもちこむのはどうかと思うが、その隣にはぐつぐつと煮立つ土鍋があり、巨大なコンロがあるので大同小異、些細なことに思えてしまう。

 

 その隣ではふきこぼれる鍋のアクを片手間に取りながら、凄まじい勢いで己の腕から鎖骨へと文章を書きつける、なんだか自爆テロみたいな阿修羅乃ミコトの無表情な童顔があって、テーブルの反対、向かいのカウンター席には、天使の羽根をつけた見知らぬ少女の姿がちらほら集まっている。


「も~なんであけてなかったのぉ~」

「たまるとこ困ったじゃん~」


 なぜか客のゲイバーの店員にモテているかがみさんは、手にテキーラのショットグラスをもっている。「おれは毎日出勤してたぜ!」と語気を強める彼だが、どうせシャッターを下ろしてキャッシャーの裏で無修正ポ〇ノをみていたに違いない。シャカシャカと手のひらで蓋をしながらカクテルグラスを反対向きにして上下させ 、ドリンク(カルーアシロップが隠し味のカフェオレ)をつくっていて、その隣ではバイ○を咥えたまま亀甲縛り姿で立たされている罰ゲームのポスターの人がふぉふぉいっていて、カオス極まりない。


 だが、このカオスにはまだ足りないものがある。僕はぐつぐつ煮立つ鍋を見下ろして、

「かがみさぁん!」

 マスターに向かって叫んだ。だが彼はいつのまにか蝶のバタフライ仮面を目に被っていて、

「私は、かがみさん、ではない。カガミーヌ・ユラ・アスハである」両手を広げてフリーザ立ちした。その反応に、メンバーから次々と不満の声があがる。

「昨日はカガミーユ・ビダンっていってたのに」

「バタフライ仮面つけるならキャスバル兄さんだろ 」

「いや竹中半兵衛という線もありうる 」

「これがバタフライ……変態仮面みたいだ 」

「キャラに一貫性がないな」

「もうくえない」

 散々ないわれように傷ついた顔をしたかがみさんが、もう一度手を広げて仁王立ちする。

 僕はそれには触れずに、

「イカスミとって!」用件だけ述べた。


 禁猟部特製イカスミ鍋――闇鍋。


 その真っ黒な液体スープの素は、ラブラドール奥のストッカーにしかないのだ。

 竹墨と八兆味噌を混ぜて弱火で煮込み、長時間熟成してつくられたイカスミの素は、初代けいすけ も真っ青のドス黒さだ。

 その秘伝のタレならぬ鍋の素なしには我が部室の闇、もとい闇鍋は語れない。

 

 だが、僕の反応の仕方が心外だったのか、みんなの指摘に予想外のダメージを負ったのか、当の本人は何もいわずに店の奥に引っ込んでしまった。

 拗ねたのか。擦れたのか。何が。かがみさんはアレでけっこう繊細だからな。アレが繊細なわけではないが。何をいっているのかわからないが。

 とにかく僕はもう一度彼の名を叫んだ。

「かがみさあん!」

 沈黙。

「初版写真集購入者にしか入手できない特典映像もつける!」

 むくり。

 カウンターの影から上半身を起こしたかがみさんが現れた。

「ふあ~。よく寝た」そういって嘘くさい演技をしながら背をまるめて真っ黒な闇鍋のボトルをもってくる。ゴトン、とテーブルに置く 。待ってましたとばかりに早速キャップをはずしてドボドボと鍋に投下するミココ。だがテンションがあがりすぎたのか闇鍋の醍醐味よろしくそこらじゅうものを手当たりしだい鍋に投下し始め、「コレもくえるアレもくえるソレもくえる……うっ?!」ババを引いた。みんなで目隠しをして順番に鍋をつついて、彼女が引き当てたのはなんとノーパソだった。

 何でも食えるミココの弱点が、早くも露呈してしまった。

 彼女は、冗談ではなく、何でも食う。

 鉛筆から消しゴムからスカーフからドリアン様から汁なし淡々麺からケーブルからノートの切れ端から赤点だったテストの答案用紙から上履きまで。その胃袋は異界の出来事を降ろすミコトの異界降ろしよろしく胃袋であって異世界へつながる異次元への袋、つまり「異袋」とさえ謳われるほどだ。さすが清錠駅前商店街カレー大食い選手権で剛田さん【19】を倒した初代チャンピオンの名はダテではない。

 

 だが、唯一家電だけは苦手だ。まあ直観的に考えても、さすがに冷蔵庫とかはくえないだろう、とは素人目にも思える。食べているところをみたことはないが。そもそも、原材料がプラスチックとか金属とか石油だし。どう考えても胃で消化できないし。人の概念を超えてるし【20】。

 だが彼女によれば、そういう問題ではないらしい。ものの大小とか材質ではなく、あくまでも生理的な問題なのだそうだ【21】。

「ネットに繋がっている演算回路を腹におさめるのはひどく気分が悪い」。というのが、本当の理由のようだ。まあなんとなくいいたいことはわかるが。ただでさえ胃袋が異界的なのに、さらにネットなんて虚構の異界的要素まで腹にいれたくはないよな。というわけで、ミココは食あたりならぬパソあたりに遭遇し、

 

 猛烈に吐いた。

 

 洒落にならないくらいのマジ嘔吐に、店内のBGMをあげて対処しようとするかがみさんだったが、DJの真似事でエアクラッチを華麗に決めても根本的な問題は解決しない。「アンタみたいにいい加減じゃないんだよ!」「この馬鹿!」「群馬帰れ!」容赦ない罵声が飛ぶ。無言で店の奥へ引っ込んでしまった彼に代わって(おれの実家は群馬じゃない……ばかやろう、と呟いていたが聞かなかったことにした)、窓ががらりと開いて、

「ハイ、カットカットカーット」

 手をパンパンと叩いて、女王様然としたエレナが颯爽と登場した。

 生徒指導室で伊達に怒られていたはずの彼女だが、既に放課後は魔法使いの夜のキャラのようなペンギンの着ぐるみを身につけていて、完全にどうかしている。

 誰もつっこまないのでつっこんでやる。

「誰もお芝居とかやってないんだが……」

「お黙り、肉」案の定侮辱が飛んでくる。

 だが僕は心の底で安堵する。ドMだからではない。ラブラドールに一同が介することの貴重さを、なぜかひどく痛感していたのだ。と。そこで誰かが僕の肩をぽんぽんと叩いて、振り返る。

「ふぉふぉ……(案ずることはない)」

 ふぉふぉさん。

「ふぉふぉふぉふぉふぉふぉ……(肉ダルマにされそうになったら、いうんだよ)」

 喋るたびにバ○ブがガタガタと踊る。

「ふぉふぉふぉふぉふぉふぉふぉ、ガタッガタガタッ(おじさんが……かわるからね)」

 お、おお……。

 僕はなんとなく見なかったフリをして、ノブナガおじさんから目を背けるべく振り返った。とたんに凄まじいまでの店の惨状が瞳にとびこんできて、なんだか急にいたたまれなくなって、バーカウンターの奥に顔を出した。せめて掃除用具くらい借りてこようと思ったのだ。

「かがみさんー」

 呼んでみたが返事はない。どうやら、キャッシャーの奥にひっこんだまま行方不明になったようだ。かがみさんは、生来あんまり几帳面に客商売をやることができないたちなので、どこかでサボっているのかもしれない。

 そのまま少し待ったが、音沙汰がないので、僕は勝手にカウンターの奥へと入って、ドリンクの瓶の剣山のように乱立する狭苦しいストッカーを抜けて、さらに薄暗く細長い廊下を通過し、螺旋式の階段を下りていった。

 

 ラブラドールの地下。

 そのコの字型ソファの並んだラウンジの先、

 階段からのびる大理石のフロアの最奥。

 

 壁一面に、大量の液晶モニタが所狭しと並んでいる。


 まるでガラス張りの展望台に出たような感覚だ。

 そんな風に、数十個のディスプレイが――朧な照明の灯火に浮かぶ室内の様子を映していて、鏡張りの部屋に万華鏡のように拡がっている。

 

 不思議な部屋だ、と思う。

 いつみても、奇妙な感覚にとらわれる。

 ラウンジは少し大人っぽく、和洋折衷式の畳のフロアは懐かしく、

 にもかかわらず入り口の壁のガラスのモニタが――常に自分を監視している。

 

 眩暈にも似た感覚を覚えて、僕は掃除用具を抱えて足早に階段をのぼった。

 そして、ストッカーから窓ガラスの向こうをみた。

 窓枠に切り取られた空には空気の澄んだ真紅色の空が広がっていて、なだらなかグラデーションを描きながら葡萄色の稜線に飲みこまれていく。

 冬の空の透明度の高い夕暮れは、存在感をましてみえて、自分までのみこまれるようだ、と思う。

 

 あの空はどこにつながっているのだろう。

 

 そんな子供じみた問いかけが、あたまに浮かぶ。

 もちろん答えは宇宙で、異なる惑星系の銀河につながっていて、その銀河もいずれ途絶えていく。だが自分が求めているのはそんな答えではなくて、存在の輪郭のようなものだ、と思う。

 シシャの国が、この空の先にあると想った古代の人々の考えは、あながち間違いではないのではないかと思う。もちろん、自分なんかに判断できるはずの事柄ではないが、あの空に思いを馳せる自分の気持ちはどこに繋がっているんだろうと思うとき、それがシシャの世界、つまり存在の無のゆりかごのなかに眠っていると考えるのは、なんだかしっくりする気がするのだ。論理的にはめちゃくちゃでも。

 と、そんなことを考えながら喫茶店のバーカウンターの前でモップを抱えていると、盛大に鳴らされるクラクションの隙間から、車輪をうならせてこちらに向かってくる一機の自転車がみえた。その自転車(白銀のママチャリ)は、信号を無視して怒声のなか疾走してきて、ラブラドール前の最後の直線でドリフト走行を華麗に決め、

 

「ここに、闇が!……ああぁぁぁ」

 

 決められずに、ずしゃあああああああ、とカーブを曲がりきれずに横向きにすべりながら裏口のごみ山につっこんだ。

 ユリアだ。

 暴走するバイクを横転させる初心者みたいな格好で、相当派手につっこんだが、大丈夫だろうか。

 

 だが、彼女は僕を敵視している。

 つまり僕にとっても彼女は敵なのである。

 だから何もこちらから介抱してやる必要もない。

 そう思ったけれど、僕は意識を失った彼女を保健室まで運んでやることにした。

「女難体質だね」ぽん。と肩を背後から叩かれた。

 ノゾミさん。

 そう言って、彼女は――肉親のように、

 消毒液を手に擦り傷の治療を手伝ってくれた。

 







――――――――――――――――――――――

【注釈】

19. 俺のカレー愛はすげえぜ~とかいいながらなんでも山椒をかければいいと思っている困った常連客。

20.キャッチコピーは、「何でもくえるのにくえない――それはあなたの記憶」よくわからないことをカメラ目線でいいながら、ミココはのどを抑えて悶え苦しみ始めた。予想外の事態に、椅子から立ちあがり右往左往するメンバーたち。というかよく一瞬でものみこめたな。小型のやつだったとはいえ一口で丸のみとか。どんだけ口大きいんだよ。

21. その時点で、彼女の大食いが通常の規模を超えた特殊能力、件の断罪の巫女にいわせれば、黒シリーズの影響で発現した異界の超絶能力の一種なのだろうことが推察される。物理現象の超越はそのわかりやすい指標だろう。――だがエレナのコスプレに目覚める、とかもこれに該当するのだろうか。

 

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