第98話 王太子誕生晩餐会(前編)

その日の朝は、どんよりと曇った、お祝いにふさわしいとは言い難い日だった。


「異端を断罪するにはいい日ですね」


サン・ピエルターレ大聖堂で、朝の聖務日課を終えたあと、目を細めながら明かり採りから空を見上げた、ドミノ=ロエロ=デルファンタリオーレ王都北教区大主教がつぶやいた。


本日とり行われる王太子の晩餐会では、聖女様と共に教会代表で参加する。本来なら、王都中央区の大主教の参加が予定されていたが、教務長官であるジャコモ=デルファント侯爵のコネでねじ込んで貰ったのだ。


昨日教会からねぎらいで、厨房スタッフに届けさせた果実酒もほどよく聞いていることでしょう。

ふざけたことを言っている王太子には、シールス様の天罰が下るのです。そうしてそれをお救いできるのは教会だけ。あの生意気な王太子がぶざまに教会の足元にはいつくばる姿を想像すると、楽しみで眠れませんでしたよ。


くっくっくっくと喉の奥で笑いながら、彼は与えられた部屋へと引っ込んでいった。


  ◇ ---------------- ◇


「料理人がいない?」

「そうなんですよ。いったいどうなっているのでしょうか」


早朝、当日の食材を届けに来た商人の男が、衛兵に話を聞いていた。


「早く引き取って貰わないと困るのですが」

「しばらく待て」


商人の男はため息をついて、肩をすくめ、御者席へと戻っていく。

駆け足で出て行った衛兵は、場内に確認に行った。


王宮の厨房はがらんとしていて、誰もいなかった。

いつものこの時間なら、サマルカンド様を始めとする王族の方の朝食を作っているはずではなかったか?

いったい何が起こっているのだ?


衛兵は上司の下へと急ぎ始めた。


  ◇ ---------------- ◇


王宮料理長のセルヴァル=ソルドールは自分のベッドでうめいていた。


「あなた、大丈夫?」

「ううむ……なんだ、この腹痛は」

「熱もあるみたいですよ。今日はお休みになったら?」


妻のシーリアが心配そうに、そう言った。


「しかし、今日はウルグ様の晩餐会が……」

「そんな状態でどうしようというの。副料理長のソナベール様におまかせなさいな」


確かに。もし病気だったりしたら、それを厨房に持ち込むわけにはいかんか……


「仕方ないか。では城へ連絡を頼む」

「はいはい。教会の治療師も手配しておきますね」

「すまん」


妻は手続きをしに部屋を出て行った。

しかし、おかしいな。人一倍健康には気を遣っているつもりだったが、いったい何が原因だったのだろう。


  ◇ ---------------- ◇


「セルヴァル殿もか!」


その連絡を受け取った時、家令のサイナスは思わず毒づいた。

これで、料理人は全滅ではないか。いったい何が起こっているのだ?


いや、それよりも本日の晩餐会をどうするかだ。すでにゲストは続々と王都に到着しているし、日付に関係がない事柄ならいざ知らず、まさか誕生日を延期することなどできん。

どこかのレストランから取り寄せるにしても、当日の朝から102人分を用意することなど、普通の店には不可能だ。


「サイナス」


呼び止められて振り返れば、ウルグ様がそこにいらっしゃった。


「おはようございます。ウルグ様」

「おはよう。どうした、何かあったのか? 朝食も遅れているようだが」

「は、実は……」


私はウルグ様に事情を説明した。


「全員がか?」

「はい。一人残らず何か問題が起こっているようです」

「父上は?」

「王太子専任案件につき、傍観されるご様子」

「ふむ」


ウルグ様に何かお考えがあるのだろうか。

しかし、いかに聡いウルグ様とはいえ、いや、サマルカンド王ですら、こうなってしまっては、立席のパーティにでも変更して、軽食でお茶を濁すしかないのではないだろうか。


「おや、こんなところで。どうかしましたか?」


そこには、ドミノ=ロエロ=デルファンタリオーレ――王都北教区大主教――が聖女様を連れて立っていた。


「これは聖女様。本日はようこそいらっしゃいました」


とサイナスが頭を下げる。


「ご招待いただき感謝する。一度はウルグ様に会ってみたかったので、教会のものに案内してもらったのだが、取り込み中だったか」

「いえ、少しでしたら大丈夫ですよ。ではこちらへ」


とウルグ本人が案内を始めてしまった。

サイナスは慌てたが、それをおくびにも出さずそれを見送る。


「それはそうと、どうされました? 何かお困りですか?」


北教区の大主教と言えば、かなりうさんくさい男だという噂。ここは適当にあしらっておくのが得策でしょう。


「いえ、とくには」


「そうですか。何があるにしろ、信心深くあれば、救いの手もさしのべられましょう」

「ありがたいことです」

「さすが王家の方々だ。シールス様のご加護を……そうそう、丁度本日、北教区の慰安会がデルピエーラで予定されていましてね」

「はあ、それはようございました」


この男はいきなり、なにを言い出すのでしょう?


「シールス様の慈悲におすがりすれば、100人分程度の料理でしたら、いかようにもなるでしょうと、ウルグ様にお伝え下さい」


ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながらそう言った男の顔を見ながら、王家の家令は、微動だにせず、


「仰ることはよく分かりませんが、確かにお伝えいたします」


とだけ言った。


  ◇ ---------------- ◇


「そういえば、14だったか。おめでとう」

「ありがとうございます。これでやっと私も一人前になれます」


今日は、王太子14歳の誕生祝いだ。この国では14歳で成人する。


「それで、なにか話したいことがおありですか?」


と聞くと、真剣な顔つきで、


「王太子様は、人種融和政策をとるつもりだというのは本当か?」


と聞いてきた。やはりその話か。


「教会はそれを良しとしませんか?」


はいともいいえとも答えず、聞き返してみた。

聖女はじっと王太子を見つめていたが、ふと微笑むと


「象徴たる私に政治的な力などない。総主教様とておなじこと。我々はひとえにシールス様にお祈りするばかりだ」


とだけ言った。

つまりは教会がそれを良しとしようがしまいが、私たちにはそれをどうこうすることはできないし、それ自体は教義とは関係ない政治的な問題だと仰ったわけだ。


「大変よく分かりました。私もシールス様に祈りを捧げつつ、自分の思うところを進んでいこうと思います」


それがよろしいだろうといいながら、彼女が席を立つ。会見は終わりかな?

同時に席を立ってお見送りしようとすると、


「ああ、ひとつだけ」


といって、彼女が振り返った。


「なんでしょう?」


「運命の流れに無理に逆らわなければ、ハロルド様に寄り添う強い運が、あなたを苦境から救い出すだろう」

と静かに笑って、部屋を出て行った。


聖女様が占いの言葉を紡ぐって……それを神託というのでは?! 教会ではなく王宮で?

そもそも、ハロルド様? って、誰だよ、それは。



「ウルグ様」


呆然としていた俺にサイナスの呼びかける声が届く。


「サイナスか」

「は」


そして、サイナスは、大主教の伝言をウルグに届けた。


「なるほどな」


どうやったかは知らんが、この状況は、その大主教の仕業か。聖女様と話した感じでは、教会自体がこれに関わっているという感じではないが……

それにしても、困ったら教会を頼りにしろ、だと?


「いかがいたしましょう」


「カール=リフトハウスを呼べ」

「は?」


いかにマリーとはいえ、いきなり100人分をどうにかできるとはとても思えんが、それでもあの男ならなんとかしてしまいそうな、そんな気がするのだ。


「リフトハウス家の三男坊だ。南1区のヴァランセという店に使いを出して、すぐに来いと言え。来たらすぐ俺の部屋に通せ。どんな連れも全てだ。誰にも邪魔をさせるな。最優先だ」

「はは!」


  ◇ ---------------- ◇


ゴロゴロと空が鳴り、大粒の雨粒がぱらぱらと地面を濡らし始めた。


「おやおや」


急使がたったようだが、今宵の晩餐会を今から開催できるような店があるはずがない。

どうせ、最後は教会に頼らざるを得ないでしょうに。それとも、ご病気にでもなられて、中止なさいますかね。

もちろんその場合は、すぐにご回復して差し上げますけれどね。


「ドミノ」

「はい」


これが、聖女ね。やはり、成り上がりの聖女が象徴では、民衆の信仰も今ひとつなんでしょうか。

大人しく聖堂の奧に座しておれば良いものを。


「何か嬉しいことでもあったか」

「いいえ、とんでもありません。常に教会の行く先をうれえておりますよ」

「そうか、シールス様のご加護を。しかし気をつけよ、何かにつまずがあるようだぞ。注意深く歩け」

「なんと、それはご神託ですか?」

「どうとでも」


はぁ。TPOもわきまえず預言めいたことを話すとは。

神託の価値を著しく減じること甚だしいですね。ゆくゆくは、この女にもご退場を願わねばなりますまい。


  ◇ ---------------- ◇


春の驟雨が勢いを増す中、ヴァランセの前に早馬が止まった。


「お、来たか」

「カール様?」


すぐにドアが叩かれ、急使であることが告げられる。


ノエリアが応対に出て、受け取った手紙を俺に渡した。

俺はすぐそれを開封して読んだ。


「ふむ」

「カール様、一体なんです?」

「まあ、予想通りってところかな」


俺は手紙をマリーに渡した。

マリーの顔色は、目で文字を追う度に悪くなっていく。


「こ、これ、もしかして……」

「な、休みにしておいて正解だったろ? デルフィーヌ、クラドック、ドレーリ、サルテッリ。残念ながら休日はなしだ。一緒に王宮へ来い」

「「「「は? はあああ?!」」」」


「うちの馬車は御者を除いて基本6人乗りだが……まあ、詰めれば8人でもいけるだろ」

「ちょっ、カール様! 俺たちがなにしに王宮へいくんです?」


とサルテッリが聞いてくる。


「いや、ボクたちレストランなんだからさ、料理をサービスしにいくに決まってるだろ」

「「「「ええええ!?」」」」


マリーだけは、青白い顔で、ハハ、ハハっとうつろに笑っていた。



「それで、カール様。必要なものはどうします?」


と、デルフィーヌ。もう頭を切り換えたか。さすがだな。


「大体全部、マリーの腕輪に入ってるだろ」

「いえ、道具とかですよ」


「ほとんど料理は完成しているし、向こうにも大抵のものはあるだろうしな。どうしても料理人として自分のでなければならないものだけ持って行け」

「はい!」


そうして俺たちは馬車に飛び乗って、王宮を目指した。


  ◇ ---------------- ◇


馬車で王宮に入るとすぐ、全員が家令の人に案内されて、ウルグの部屋のドアを開いた。


「よく来た」


「うわっ、残念イケメンっぽくない!」


いや、マリー、それ聞こえるように言うなよ。


「それで、どういったご用件でしょう?」


と白々しく聞くと。


「カール=リフトハウス!」

「はっ」

「……なんとかしろ」


と、切り出された。おぅふ。




「それで、全滅したのは料理人だけなんですね? 給仕は? 何人います?」

「給仕は全部で60人。全員無事でございます」


と家令のサイナスさんが言った。この人は代々王家の家令をつとめる、ヒョールレング家の現当主だそうだ。


「コーススタイルのサービスの練習は?」

「一応全員にやらせた」

「まず、全員を何処かの部屋に集めて下さい。クラドック」

「はい!」

「出来を見てやってくれ。そして最後の調整を。60人で50組なら――」

「51組だ」


とウルグ。


「51組なら、最大で二皿だから、付け焼き刃でもなんとかなるだろ?」

「了解しました!」


「ウルグ様は、厨房へ」

「厨房?」

「晩餐会のメニューの確認をしてください」

「うーん、俺は晩餐会でも食べる必要があるからな……サイナス、お前が食べてみろ」

「は?」

「よし、マリーとデルフィーヌは、仕上げる必要があるものを仕上げてくれ」

「「はい」」


  ◇ ---------------- ◇


「それで、サイナス、どうだった?」

「言葉もありません。これほど素晴らしい料理を食べた記憶はほとんどありませんな。特にあのクレアマスとパイ包み焼きでしたか、は、天上の料理もかくやと言わんばかりでしたが……あれを一介のレストランが出しているのですか?」

「一介とはいえんと思うがな。ちなみに庶民向けのコースは、大体同じようなクオリティで小金貨1枚だ」

「は?」


「面白いだろう?」

「ええ。他の店にとっては全く面白くないのではないかと思いますが」

「まったくだ」


「しかし、あれを今から102人分も用意できるものですかな? 食材のこともありますし」

「……すでに作ってあるそうだ」

「は?」

「どうせこうなるだろうから、だそうだ。そんなことがなぜ分かる? あいつは神かなにかか?」


「もしやあの御仁が今回の黒幕だとか……」

「俺もそう考えたくなる展開だが、それはない。もしそうなら教会が圧力をかけてきたりせん」

「御意」


10日ほど前から、高価な食材の動きがおかしかったから、ね。

たかだかそんなことで、100名以上の料理を作ってしまうなどという暴挙にでるものなのか。食材だってただではないのだ。

あまりに不可思議。まさに神の使徒か何かのようなふるまいだな。


  ◇ ---------------- ◇


給仕の連中は実際の会場で最後の確認中だ。


「じゃ、最後の仕上げね。ハロルドさんとリーナとノエリアはお客役で」

「役得だね」


ハロルドさんが嬉しそうに笑っている。


「ハロルド?」


と王太子が首をひねる。


「君はハロルドというのか?」

「はっ」


ハロルドさんが気をつけの姿勢で返事をする。


「君は聖女様と知り合いなのか?」

「聖女様? いえ、違いますが……」

「そうか」


どうしたんだろう? ……まあ、いいか。今は最後の仕上げだ。


「料理が載ったワゴンはこの辺りとこの辺りに止めるから、全員料理をもって担当の席まで移動。そして、第1ワゴンのところにいる給仕長の合図が出たら、一気に練習通り料理を出して下さい」

「合図は胸に左手をあてる、でしたな」

「そうです。1組以外は皿だけですが、練習してみましょう」


合図が出ると同時に全員がサービスを行う。うん。いいね。


「おい、カール様、これ食っていいのか?」

「どうぞ。リーナとノエリアも」

「「はい」です」

「ひゃっほー」


もうやけくそで、赤ワイングラスと白ワイングラスと水グラスも用意して、テーブルにセッティングしてある。料理に合わせて、赤白50本ずつ出したらMPめっちゃへった。なにかこう、ハイになってて、タガが外れてる感じだ。


現在は、そのグラスへのサービスの練習を、やっているところ。グラスは間違えないようにね。料理やワインの説明はどうするか悩んだが、本来あり得ないわけで、大人しくなしにした。

その辺はうちの給仕長のクラドックが、うまく指導しているようだった。


「カール様、これ水じゃ……」

「サービスの練習なんですから、酒を使わなくてもいいでしょ?」

「ひ、ひでぇ……」


などというやりとりを挟みつつ、全部で大体3時間弱の工程で全てが終了した。

驟雨もあがり、すぐに夕焼けに変わるだろう青空も、ところどころ顔を覗かせている。


「よし、みんな、ご苦労様! あとは本番もこの流れでお願いします!」


突発的なトラブル要因として、うちのサービス3人をワゴン停止位置に張りつけておこう。

マリーとデルフィーヌと俺は、料理仕上げ要員だ。皿出しのタイミングは、クラドックが計ってくれ。


「「「「「了解です!」」」」」


さあ、本番だ。

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