第90話 湖の塔と昔の地図とエルダーな人

金属がきしむ音を立てて、地面に設置された扉が開く。

入り口から射し込む光を受けて、小さな埃の粒子が舞っているのが見える。

ひんやりとした空気が外に流れ出し、少しのかび臭さが鼻孔をくすぐった。


「気配はありません、です」

「じゃ、嬢ちゃん。俺が先に行こう」


と、ハロルドさんが前に出る。

冒険中はリーナが先行することが多いけれど、室内やダンジョンではハロルドさんが先行することが多い。

罠など、避けるのに経験がいるようなものがありそうなところは、ってことだろうな。あれで、意外と過保護なんだよな。


注意深く先へ進んだが、特に罠のようなものはなかった。

階段を下りきった先は、直径が30mはありそうな広い円筒状の部屋で、つまりはこの島と同じくらいの大きさがあった。

当然窓もなく真っ暗だったので、ノエリアがいくつか灯籠ロンテーヌをともしてくれた。


そして床には――


「魔法陣?」


埃の積もった広い床全体に、なにかの複雑な魔法陣が描かれていた。


「なんですかね、ここは?」

「さあな。いかにもエルダーなリッチ様あたりが登場しそうな舞台背景だが……」

「止めて下さいよ、そういうフラグは」

「フラグってなぁ……竜種の次は、ネームドのシーサーペント。そしてたった1月も経たないうちに、今度は1000年以上前の扉を開いて、最古参のアンデッドと出会う? そんな波瀾万丈な人生なら、俺は冒険者やめて農業でもやるよ!」

「なんの気配もありません、です」


リーナが冷静にそう言った。いや、冗談だからね。


部屋の反対側には、さらに下へと降りる階段がある。これは、もしかして……


「こりゃ、地下室というより……」

「……塔、ですかね」


いつ頃作られたものかは分からないが、島の地面をくりぬいて地下室を作ったと考えるより、塔が湖に沈んで、屋上部分が島のように突き出していたと考えるほうが自然だ。

あの館を建てた人物が、このことを知っていたかどうかは分からないが、入り口から続く埃には、誰かが足を踏み入れたような形跡はなかった。


魔法陣の下のフロアも、同じようにただの円筒形の部屋だったが、中央にラウンドテーブルが置かれていた。


「ご主人様、これ……」

「薄汚れてて、あちこち虫食いや傷があるが……アル=デラミスの古い地図だな」


いつのものかは分からないが、羊皮紙がこれだけ痛むってことは、1000年以上は確実だろう。

長塁はちゃんと記載されているが、ん?黒の峡谷がない?


「あれができたのは、たった250年前なんだぜ」


へー、そうなのか。


「これが当時のバウンドの位置だから、黒の峡谷はここにできたんだ」


ハロルドさんが地図の西側にある×マークを指さしていった。


「え? じゃあ今のバウンドは?」

「旧バウンドが壊滅して黒の峡谷ができた時に作られた前線基地が今のバウンドになったんだ」


地図にはいくつかのマークや書き込みがされていて、バウンドと同じように×マークが書かれているところが5カ所ある。

現在のコートロゼの近く、サンサの南側と、赤の峰近くのディアス周辺、王都らしき場所と、聖都の近く、つまりここか。

全てを繋ぐと巨大な円ができあがるけれど……まさかね。


「馬鹿げた話だが、もしこれが巨大な魔法陣だとすると、対象は陣内のすべてか、各拠点か、そうでなけりゃ、円の中心だな」


とハロルドさんが指さした場所には、白の峰に連なる連峰の麓、カリーナの森と呼ばれる、カリュノース川の水源になっている湖がある森があった。


「まあ、先走っても始まりませんよ。だって、まだ機能しているのかとか、どんな効果なのかとか、まったくわからないわけですから」

「そりゃそうだ」


灯籠ロンテーヌを地図に近づけてみていた俺は、そのとき羊皮紙の一番上の、あちこち虫食いになっている部分に、なにか文字が書かれているのに気がついた。


えーっと、ま、うふ、いん、けいか、? ま*うふ*いんけいか*。……まおうふういんけいかく?!


「いや、そりゃ、いくらなんでも……だって、伝承だと魔王は討伐されたんだぜ? それに魔王がいたのは大魔の樹海の先だ、こんな場所、なんの関係もないはずだろう」


それもそうか。とその時、リーナが鋭く叫んだ。


「ご主人様! 何か下に!!」


マップを確認すると部屋の中央の位置に、強く輝く赤い点が突然現れた。小さい塔だし、フロアが違っても認識範囲に含まれているのか? しかしこれじゃ何階下かわからない。


まるでたった今召喚されたか、目覚めたかのようだが――


 -------

 エルダーリッチ lv.37

 

 HP: 86,401/ 86,401

 MP:198,006/198,006

 

 ウーダ

 --------


ああ、フラグ様……ただ、今のところ動いてはいないようだ。


「何があった?」

「ハロルドさん」

「なんだよ」

「農業やる日も近そうですよ」

「マジかよ……」

「すごく強そう、です」


「内側から鍵を掛けたやつか?」

「かもしれませんが……しかし今のところ動きがありません。このまま大人しく帰ったら見逃してもらえませんかね?」

「本人に聞いてみろよ」


「それはつまり藪をつつけってことですか?」

「得体の知れないものがお尻の下にいる屋敷を使うってのは、できれば遠慮したいね」


うーん、そりゃそうか。下手すりゃ、俺たちが召喚したことにされかねないよな、この状況じゃ。

いざとなったらペルムートのクールダウンが終わってるから、それでなんとかなるか、な?


気休めかも知れないが、俺たちは静かに階段を下りていった。


本来の塔の数え方とは違うが、何階建てか分からないから、魔法陣のあった部屋を1F、地図があった部屋を2Fとすると、3Fは何かの実験室だった。

分厚い汚れたフラスコのような器具の中に、乾いた何かがへばりついている。赤い点はまだ動かない。


4Fはいくつもベッドが置かれた、これは寝室なのか? 毛布などはとっくに朽ちていて、触るとぼろぼろと崩れていった。


5Fへ降りる階段の半ばで、


「どうやら次のフロアのようですよ」

「話が通じるといいねぇ」


次のフロアをそっと覗いてみる。暗くてよく見えないが何かが真ん中の椅子に座っているのか?

俺たちがそのフロアに足を踏み入れたとたん、部屋の壁に沿っておかれていた松明が次々と灯っていった。


「か、歓迎、してくれてるんですかね?」

「さてな」


ゆっくりとエルダーリッチが立ち上がる。こわっ。アローン・イン・ザ・ダークかよ!


「あ、あー、そこのエルダーリッチ様?」


返事がない。ただの屍……だよな最初から。


「あのー、私たちはすぐ帰りますから、そのままでお構いなく。特に敵意はありませんので」


なんか客観的に見て、今俺って凄い間抜けな感じじゃないか?


「そ、それじゃ、失礼しまーす」


そう言った瞬間、部屋の中に数多くの魔法陣が発現した。


「こいつは召喚魔法っぽいぜ」

「やっぱ、戦うことになるわけですね……平和主義なんだけどなぁ」


魔法陣から多数のスケルトンが召喚される。

しかし召喚された瞬間に、


「シャドウランス」


ノエリアの呪文によって全てが元いた場所に送り返されていた。


リーナとハロルドさんは、ダッシュでエルダーリッチに向かっている。リーナが先にエルダーリッチに斬りかかった。


エルダーリッチはシールドを展開したが、あっさりシールド毎右手が落ちる。

ひるんでいるところを、ハロルドさんの剛剣が左足を砕いた。


そうしてエルダーリッチは崩れ落ち……なかった。


「なんですか、あれ?」


巻き戻るフィルムを見るような感じで、左足と右手が元に戻る。


「さすが反則級のモンスターは、回復までもが反則くさいなっ!」


相手に攻撃する隙こそ与えていないが、切っても切っても元に戻るその様子は、悪い夢を見ているようだ。


ノエリアは、壁が壊れる恐れで、強力な魔法を封じられているようなものだ。地道にエリアヒールで相手の体力を削り、二人の回復をしている。

アンデッドって本当にヒール系で攻撃できるんだな。


 -------

 エルダーリッチ lv.37

 

 HP: 62,374/ 86,401

 MP:142,532/198,006

 

 ウーダ

 --------


体の修復でMPを多少は使うようだから、いつかは倒せるような気もするけれど、その前にこちらがへたばりそうだ。


しばらくすると、リーナが余りにも簡単にシールドを粉砕するので、シールドを展開するのを止めて、ファイヤーランスを使い始めた。

避けるのは簡単だが、下手に避けると、それは壁にあたるのだ。

いくらファイヤーランスがレベル1の呪文とはいえ、塔の壁がどれほどそれに絶えられるかはわからない。

魔法を剣で迎撃している二人も二人だが、さすがにこいつは――


「いや、こりゃ、きりがないぞ! いったいどうする」

「どうもこのフロアから動かない感じですから、一旦上のフロアに逃げて、対策を練りましょう」

「了解」


少しずつ引きながら、階段まで後退すると、一気に上のフロアまで駆け上がった。


「どうだ?」

「追いかけてはこないみたい、です」

「はー」


俺たちは突然何かが上がってきたときの用心に、部屋の中央によって、腐ったベッドの端に腰を下ろした。


「いや、あれは参るな」

「避けると壁にあたるの、です」

「あのエルダーリッチは水に浸かっても大丈夫なのでしょうか?」


とノエリアが首をかしげる。

いや、たぶんそういうことは考えてないんじゃないかな。


「それにしては低レベルの魔法しか使いませんでしたが」

「無詠唱と言うより高速詠唱といった感じだったから、他の呪文だと間に合わなかったんじゃないかな」


「問題はこれからどうするか、だが」

「本当にあのフロアから動かないのなら、もう無視して帰っちゃってもいいんじゃないですかね?」

「うんうん。いーいアイデアだ、ぜひそうしよ……んん?」


ハロルドさんが変な顔をして、下を見た。何か猛烈に魔力が集まって、る?


「ご主人様! 部屋の隅へ!!」


ノエリアがそう叫んで、おれを抱えて部屋の隅へ移動する。リーナとハロルドさんも部屋の隅へとジャンプした。

階下でものすごい魔力の集中が発生して、強力な魔法が部屋の中央を轟音と共に貫いた。


「ヘルフレイムです!」


その炎の柱は、一瞬で全てのフロアをぶち抜いて、空へと駆け上がった。

それが落ち着いたとき、部屋の中央には、直径5mくらいの穴ができあがり、外の光が降り注いでいた。


「なんて魔法だよ! さすがエルダーなリッチ様だ。あれは喰らいたくないな」


ハロルドさん意外と余裕あるな。


「で、どうするんだ?」


彼が、丁度良い攻撃ルートを作ってくれたじゃないですか。上から下なら、少々大きな魔法を使っても大丈夫だよな、ノエリア。


「はい」


リーナが穴から飛び降りてエルダーリッチに斬りかかる。

手も足も修復する端から切り落として時間を稼いでいた。


「タルトース・タルタース・ハ・レベリトネールカ 光りすら滅するスコルの闇よ、生を喰らい尽くす暗黒のつるぎとなりて集え。そに触れたるもの、暗きゲヘナの炎に第2の死を賜れ」


膨大な魔力がノエリアに集まっていき、塔が細かく振動している。え、これ大丈夫なの?


「シャドウランス」


レベルが上がったからかな、サンサで使ったときよりも、強力で、無数の黒い針の雨がエルダーリッチの魔法防御を通り抜けて、彼の体を粉砕していく。みるみるエルダーリッチのMPがゼロに近づき、雨があがるころには、彼が本来あるべき世界へと還っていった。

彼の座っていた椅子の隣の小さなテーブルに、1冊の本だけを残して。


「ご、ご主人様?」

「どうしたリーナ」

「ゆ、床が」

「?」


そのとき床が壊れて落ちると、そこから水が噴き出してきた。


「はあ?」


どうやら、次のフロアより下の壁のどこかに裂け目があって、水没していたららしい。ここが最下層じゃなかったのかよ!


「リーナ! そこの本を確保して、上がってこい」

「はい!なのです」


足元が水で覆われる前にニャンジャの動きで本を確保して、そのまま階段を上らずに穴から飛び出てきた。ええ? 10mくらいあるよ?


「カール様、水が来る! とりあえず上がるぞ!」


いきなり小脇に抱えられると、階段を駆け上がり始める。うう、なんか情けないんですけど。


テラスまで一気に駆け上がった俺たちは、荒い息をついて座り込んだ。水はなかなか凄い勢いで上がっていき、島の中央。丁度館の入り口の前に、直径5mの池ができるたのはそのすぐ後だった。

炎の柱を見て岸に集まってきた人たちに、池を掘ってたんだとごまかしたが、湖に浮かぶ島の真ん中に池を作るとは変わった人たちだなぁと変人を見る目で見られてしまった。ぐぬぬ。


その池もどうにかしないとなぁ。今は単に穴が空いてるだけだし。縁もどうにかしないと危ないよな。


しかし、この家、壊れかけた塔の上に建ってるわけだけど、強度とか大丈夫なのかね。かなり不安だ。

カリフさんもインバークの拠点を購入したみたいだから、ここは閉鎖したほうがいいかな。家は気に入ってるんだけどな。


不安と言えば、最上階にあった大きな魔法陣。完全に壊しちゃったけど、大丈夫なんだろうか。結局効果を調べる前になくなってしまうとは……


「いや、あれは不可抗力だろうよ」


とハロルドさんは言ってくれたが、不可抗力で国が滅んだりしたらいやですよ?


「はー、凄い冒険だったの、です」


とリーナは何となく満足そうだ。


ここを手に入れることを勧めてくれたノエリアは、静かに笑っているだけだった。

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