第53話 天使と悪魔と悩める仔羊

少し前のスタンピードで、俺たちの家は失われてしまった。


俺は街を守るために闘い、酷い傷を負ってからずっと、寝たきりの状態だ。

多少はあった蓄えで、妻のライラが、俺の回復を教会にお願いに行った。

奴らは、ほとんど全財産を持って行ったくせに、使われた回復魔法の効果は、砕けた腰がなんとか繋がったというだけで、今でも立てずにこのありさまだ。ライラが獣人だったからなのか? 信心が足りないのでは、などと言い放ちやがった。


娘のミーナがお腹が減ったのを我慢して、大丈夫って笑う姿が痛々しい。くそっ、俺が動けたらもう少しマシな生活をさせてやれるのに……


しばらく行われていた領主様の炊き出しが、数日前にとぎれてしまった。とうとう領主館の食料も尽きてしまったらしい。

うちにももう何もない。もはや妻が体を売るくらいしか残されてないのか……だが、そんなことはさせられない、絶対に!


そんな絶望の中、今日も一日が始まった。


どうもテントの外側が騒がしいな、なにかあったのか? と思ったら、ミーナが満面の笑顔で飛び込んできた。


「おとうさん! これ!」


手には、ミーナには抱えきれないくらい大きなパンがひとつ。


「どうしたんだ、これ?」


と聞くと、妻のライラが、ふたつのパンと、温かな湯気を上げるスープを3つ、盆にのせてテントに入ってきた。


「新しくいらした代官様が、今朝から配っていらっしゃるの」


パンは信じられないくらい香り高く柔らかく、スープには肉も野菜もたっぷり入っていて、とても旨そうだ。申請すれば、ちゃんと人数分いただけるのだとか。


なんでも街の再建を公共事業とやらにして、家を失った人たちに働いて貰って賃金を払い、それで充分な食料を買って貰えるようにするらしい。それが軌道に乗るまでは、朝夕に食料を配布していただけるのだそうだ。もちろん亜人も人も区別なく、だ。


「代官様に感謝しなくっちゃね」

「うんっ!」


なんてライラとミーナが話しながら、美味しそうにスープを食べている。


絶望で真っ暗だった生活が、たったひとつのパンとスープだけで、色付いて見えるようになりそうな気がしたが……

……しかし、俺は……働くことが……



「失礼します。お邪魔してよろしいでしょうか?」


テントの向こうから誰かが声をかけてきた。


ライラがテントの入り口を開けると、そこには……なんていうか、神が直接創りたもうたとしか思えない、人の形をしただけの神聖なものが立っていた。

彼女がテントの中に入ってくるだけで、その場所が浄化され、花の香りが漂ってくるようだ。


「こちらに、怪我をされている方がいらっしゃると伺ってきたのですが、あなたが?」

「は、はい。しかしこの怪我はもう……」


教会の回復魔法でもきちんと回復できず、ずっとそのままだからおかしな形に固まって、立ち上がることすらできそうにない。


「大丈夫ですよ。キュア」


鈴の音の鳴るような声でそうささやかれると、俺の体が青く輝き、なんだか暖かいもので満たされるような感じがした。

なんだ? 気持ちの悪さや寒気や体のだるさが……なくなった?


「では傷を治しますね。ヒール」


今度は、怪我を負った部分から、あつく熱を持ったような感覚が拡がっていく。ねじ曲がっていた足が伸び、砕けた腰が正しい位置に修正されていくような気が……


「いかがです? 痛いところはありませんか?」

「う、動く……」


俺は自分の足を動かして、そして立ち上がってみた。


「どこも……どこも痛くない。立てる、立てるぞ!」


その叫びを聞いて、ライラが泣きながら寄り添ってくる。ミーナは笑顔で足に抱きついてくる。


「お元気になられましたら、街の復興で、カール様にお力をお貸し下さいね」


「も、もちろんです! なんでもしますとも! この街をよろしくお願いしますとお伝えして下さい!!」


俺が感極まってそういうと、その女は立ち上がってにっこりと笑いながら頭を下げ、静かにテントを出て行った。


入り口をまくり上げたとき、外の陽射しが差し込んで、彼女に光の翼があるように見えた。

奇跡をなして、何事もなく去っていくその姿は、まるで女神か天使、そのものだった。


  ◇ ---------------- ◇


「あーあー、どいつもこいつも、嬢ちゃんを女神様か何かを見るような目つきで見てるぜ?」


いくつかのテントをまわりながら、動けない奴らから回復してってるわけだが、そいつらにしてみれば、まるで奇跡が我が身に舞い降りたとしか思えんだろうな。

俺だって、まるで、新しい宗教の始まりに立ち会っているような気分だぜ。


「ハロルド様。ご主人様が望まれるなら、女は天使にも悪魔にもなれるものですよ」


輝くような笑顔で、そんなことをいいやがる。


「ぶるぶる。怖いねぇ」


いや、ホントに。


  ◇ ---------------- ◇



「新しく来た、代官の差し金だったぜ」


教会の裏戸を開けて、素早く入ってきた男が、開口一番そう言った。


この男の名は、たしかハーゲンでしたか。ギルド長であるサヴォイの腰巾着で、便利に使ってくれとヤツに貸し出されましたが、教会の監視も兼ねていることは一目瞭然ですね。


「不思議ですね。領主の館には、もう食料らしい食料は残っていないはずですし、この街の主要な食糧はほとんど我々が押さえたはずですが……一体どうやって」

「さあな。アプリコート司祭様でもわからないことがあるんだな」


この男はしょっちゅうこういったカンに障る言い方をします。まあ反応するだけ無駄というものですが。


「それはもちろん。神の御心を知ることなどは、おそれおおくてできませんね」


とだけ、返しておきましょうか。


「し、しかし、コートロゼのためには良いことなのではありませんか?」


おずおずといった感じで、助祭のサヴィールが口を挟んだ。


「良いことですって?」

「今のコートロゼには食料が絶対的に足りていませんし、教会の備蓄にも限りがあるわけですから」


この女は一体何を言っているのでしょう。


無理をして食料を買い漁ったのは、この街の限られた食料を人族のために支給し、亜人を排するのに利用するためだというのに。

この辺境で、うまく人族と亜人の間に亀裂を入れて亜人を排すことができれば、晴れて、王都付近の教区へと移籍させていただけると、ドミノ様にお約束いただいているのですから。こんな辺境でずっと過ごすなど、まっぴら御免です。


「亜人に配る、そんな食料があるのでしたら、教会に寄付するのが人としての道ですよ」

「し、しかし、亜人の方もコートロゼの住民なのですから……」


なんということを。


「あなたは教義に逆らおうというのですか?」


強い調子でアプリコート司祭が尋ねた。


「い、いえ、そういうわけではありませんが、その教義にも様々な解釈が……」


これですから、学校を出たての頭でっかちは。このようなバカを導かなくてはならないのも、神が与えたもうた試練なのでしょうか。


「あなたは王太子派なのですか?」

「あ、いえ、そうではありませんが、教典の最新の研究では……」

「もう結構。我々は、人を救うためにここにいるのです。このような辺境で学問のための学問にどんな意味があるというのです」

「……はい。仰るとおりです」


そのやりとりを、ニタニタ笑いながらハーゲンが見ている。何を報告されるやら。


「そろそろ、聖務日課の時間です。行きますよ」

「はい」


「それで、俺は?」


とハーゲンが聞く。これから何をやればいいのかと聞いているのだろう。

アプリコートはしばらく考えた後、意味深に笑って、


「あなたの思うままに事を為しなさい」


とだけ言って、内陣に向かって歩いていった。

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