第10話 夜のガスパール

「いかがですか? ご主人様」


夕食の席で、ノエリアが聞いた。

目の前には、鳥のローストと、焼きたてのパン。それに、茸のスープが並んでいる。


「ああ、とても美味しいよ」


リーナは夢中で鳥とパンを交互に食べている。尻尾がぶんぶん振られているから、とても気に入っているのだろう。


「あの粉を使うと、こんなに柔らかく膨らんだパンができるなんて、凄いですね」


そう、ストッカーの中に、イーストがあったのだ。


設備を見れば分かるとおり、シールス様はどうやら転生前の世界の備品をハイムの中に配したようで、小麦粉の袋に日○製粉って書かれていたのにはまいった。

丸鳥には、なんとブレスのシャポンってシールが貼ってあるし、自重しようよ……


素材もさることながら、現代の食器の白さは飛びぬけてるし、グラスは薄く透明な硝子製だし、ハロルドさんの「ありえねぇ」という台詞が食事中ずっと聞こえていた。


  ◇ ---------------- ◇


夕食が終わり、リビングの椅子に腰掛けてくつろいでいると、ハロルドさんがワインのボトルを手に、こちらに来てどさりと座った。

LA TACHEとか書いてあるような気がするけど、見なかったことにしよう。


「もらうぞ?」

「いいですけど、それ、どこに?」

「ノエリアの嬢ちゃんに果実酒かなんかないかって聞いたら、出してくれたぞ。どっかそのへんにあったんじゃないか?」


冷蔵庫が2個並んでるのかと思ったら、向こうはセラーだったのか……一度全部をちゃんと確認しておいた方が良さそうだな。存在したら拙いものとかあると困るし。今更だけど。


「しかし、スワンプリザードとはいえ、あれほど倒したのに素材の1つも手に入れずに逃げ出したのは惜しかったよな」

「なんですか、急に」

「いや、今回は苦労する割に実入りがないだろ。せめて素材くらいは剥ぐチャンスが欲しかったなと思ったのさ」

「素材? 剥ぐ?」

「……あのな。いや、もう俺は驚かないことにしたんだった。素材ってのは、魔物の体の中で、価値があって売れる部分のことだよ」

「へー、魔物の死体って売れるんですね」

「まあ、全部だと重すぎて持てないから、特別に有用な部位だけを素材と呼んで区別してるわけだ」

「なるほどー」


あきれたみたいな顔をしながらも、ちゃんと説明してくれるハロルドさんっていい人だよね。


「……しかし、世界は不思議と驚きに満ちてるよな」

あり得ないほど薄くて透明で繊細だと評したグラス|(ツヴィー○ルだよ……)を眺めながら、ハロルドさんがつぶやいた。


「なんですか、急に」

「いや、冒険者になろうと思ったときのことを思い出したのさ」

「それってどんな……」

「うぉ。なんだこれ、滅茶苦茶旨いんだが」


グラスに口をつけたハロルドさんが驚く。

そらまあ、ラターシュだし。


「こいつは、ブドの酒だろ? 普通は、もっと酸っぱいもんじゃないのか?」


ブドってのは葡萄のことかな。


「醸造した後、静かに数年寝かせるとまろやかになるそうですよ」

「ふーん。詳しいな」

「単なる聞きかじりですよ」


「ご主人様。なんだか良い匂いがするのです」


リーナが鼻をひくひくさせながら近づいてくる。


「なんだ、嬢ちゃんもいける口か?」

「口は生きてますですよ?」

「はっはっは、じゃー、飲め」


いや、君たち全然会話になってないから、それ。

リーナはこっちを見て、


「ご主人様。頂いてもいいです?」

「いや、ちょっと待て。ハロルドさん、飲酒っていくつから認められてるんです?」

「あ? そんなもんに決まりなんかねーよ」

「え、そうなんですか?」

「ご主人様?」


こてんと首をかしげて、あざといポーズで答えを待ってるリーナ。こいつ、天然だな。


「少しだけだぞ」

「やりました~、です!」

「おー、許可が出たか。ほれ、飲め飲め」


リーナは、だぼだぼと果実酒を注がれたグラスを両手でもって、クンクンしながらおそるおそるなめている。


「んー。なんだか良い匂いで、ほわほわするのですー」


ひとなめで酔っ払ってんのかよ。


「だろ? この果実酒は、相当上等だぞ?」

「そーとー、じょーとーなのです」

「おう。相当上等だからそっと譲渡してやろう」

「じょーとーだからじょーとするのです」


だめだ、こいつら。なんとかしないと。

しばらくカウチ風の椅子の上で、アホなやりとりを繰り返していたかと思うと、コテンと倒れて寝息を立て始めた。


「ん、嬢ちゃんは意外と弱いな」

「意外もなにも、酒なんて飲むのも初めてでしょう」


片付けを終わらしてリビングに戻ってきたノエリアが、リーナを抱き上げてベッドルームへ連れて行った。


「さて、そろそろ寝ますけど、ハロルドさんはどうします?」

「俺はもう少し飲んでるよ。寝るときゃ、このカウチを借りるさ」

「おかわりが必要なら、あの入れ物の中に入ってるそうですよ」


と俺はセラーを指さした。


「あいよ。悪いな」

「あと、毛布をおいときますね」

「ああ」

「それじゃ、お休みなさい」


  ◇ ---------------- ◇


ありえねぇ……


今日1日で、一体何回そう思ったことか。少なくとも今までの人生全部で思った回数より多いことだけは間違いないな。


大体最初からおかしかったよな。あの崩落に巻き込まれた子供が、無傷。それもふたりとも無傷なんて、奇跡が起きたとしても不可能だ。


まあ、あの凄いポーションで直したのかも知れないが、って、そのポーション自体がありえねぇし。

確かテンカイセイとか言ってたような……それってまさか、天界? もしそれが真実だとしたら、こいつら、神様の遣いかなにかか?


……いや、まさかね。

まだどこかの大貴族で、アーティファクト級のアイテムを持ってるって考えたほうが、ありそうだろ。


だがなぁ、リーナ嬢ちゃんの上達なんて、それじゃ説明できないしな。


短剣の振りだけ見ても、確かに最初は素人同然だったはずなんだが……脱出するときは、すでに熟練の短剣使いのようだったからな。

そんなやつが本当にいたら、天才って範疇すら逸脱してると思うけどな。まあ、実際にいるわけなんだが……



『運命の流れに無理に逆らわなければ、あなたに寄り添う強い運があなたを破滅から救い出してくれる』



ぶるぶると、頭を振って気を取り直す。


ま、考えて見りゃ、ありえねぇアイテムを持ち、ありえねぇ奴隷を抱え、まるで何もかもお見通しのような、ありえねぇ言動を繰り返す、そんなガキが現実に一人いるってだけで、別に俺に不利益があるってわけじゃないしな。


それどころか……くっそ、なんだよこの酒、旨すぎるだろ。ありえねぇ。


  ◇ ---------------- ◇


寝室の扉を開けて、服を脱いだら、すぐにベッドにダイブする。

今日は本当に色々あった。まだ異世界1日目だってのに、リーナやノエリア、それにハロルドさんとは、もうずっと一緒にいるような気分だ。


「ふうー」


大きなため息をつきながら寝返りを打つと、ベッドの側に誰かが静かに立っていた。


「の、ノエリア……さん?」


壁から微かに漏れる柔らかな光が、天上の世界から舞い降りたかのような美しいかんばせを浮かび上がらせ、薄衣を透かして、抗いがたいシルエットを形作っていた。

さらさらと衣がこすれる音が微かに響く中、ぎょくんと飲み込む自分のツバの音がやたらと大きく響いた。


「ご主人様、お待ちしておりました」


一礼するとノエリアは、静かに隣に滑り込んできた。

え? え? ええ?!


仰向けになったまま、緊張でかちんこちんになった俺の上に、両手を立て、覆い被さるようにして、顔をのぞき込んでくる。


「私は、ギョーム様のお相手をさせられるために買われ、今宵その花を散らされる契約でした」


固まったまま、かろうじてうなずく。

あんのスケベオヤジ……まあ、気持ちはわかるよ、気持ちは。


「そして今、その権利は譲渡され、ご主人様にございます」

「いや、権利とか契約とか……そういう問題じゃ……」


ノエリアが話す度に、彼女が着ている薄衣が裸の胸の上をくすぐる。時折柔らかい双丘が、微かに押しつけられるような……


「私ではお気に召しませんか?」

「え、えと、あの、大変お気には召すのですけれど、その……ボク、まだ子供なので……」


あれだね。据え膳って、目の前にドンっと用意されると、結構びびるもんですね。前世にだって、こんな経験ないし……あれ、俺って、やっぱりしょぼーんな人?


「ですが、その……契約ですので、していただかないと……」


少し顔を赤らめて目を伏せながらそう言った。ちくしょう、可愛いじゃねーか。……うん、契約だもんな。破ったら奴隷の首輪がキュって締まって、困ったことになっちゃうもんな。仕方ないよな。問題は物理的に可能になるかどうかなんだけどさ。


首の横に立てている2本の腕をぐっと掴むと、一気に横へと押し倒し、体の上下を入れ替える。


「あっ……」


驚いたような声を上げるノエリアの腕を押さえて上になった俺は、徐々に唇を近づけて……


「ずるいの、です!」


とつぜんベッドの反対側から、銃弾のような速度で突っ込んできた何かが、俺の背中に直撃した。


「ぐはぁ!」


いや、折れる。折れるから、背骨。


リーナが頭をぐりぐりと背中に押しつけながら、わめいている。

こいつ同じベッドの反対側にいたのかよ。う、おまえ、酒臭いぞ。こいつ気がついただけで、まだ酔っぱらってんのか!!


「リーナも一緒に寝るの、です!」


勢いよく頭を上げた瞬間、リーナの後頭部が俺のアゴに直撃した。


「ごはっ!!」


その一撃で、俺は完全に意識を手放した。

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