第72話 患者もいろいろ-ホスピスの日々-モルヒネはすごい!
ホスピス医療を経験した私は、モルヒネは上手に使えば、これに勝る妙薬は無いという実感を持っています。
ところが世間では、「モルヒネは命を縮める」といった誤解が根強くあり、モルヒネ使用に尻込みする医師も少なくありません。
今勤務している病院で、ターミナルの患者さんに、積極的にモルヒネを使っているのは、私ひとりだけなのです。
「モルヒネは決して命を縮める薬ではなく、苦痛を和らげる薬。適切に使用することで、確実に苦痛を和らげ、生活の質を高めることができます」
緩和ケアにたずさわる医療者たちは、その啓発に情熱を注いでいます。
モルヒネは妙薬だと、私に気付かせてくれた患者さんがいます。
それは乳がんが骨に転移した50代の女性でした。
これまで、がんセンターで治療を受けていたのです。
ある日、急に具合が悪くなり、がんセンターに入院を希望したのですが、あいにく満床でした。
入院できないために緊急避難として私の病院に、朝早く来院したのです。
私が外来に行くと、彼女はぐったりとしてくずれそうな姿勢で車椅子に座っていました。
熱があって食べられず、その上、がんが再発していますから全身が疲弊しきっていたのです。
蒼白な顔には生気が無く、このまま絶命してしまうかと思うほどでした。
すぐホスピス病棟に入院させ、モルヒネの持続皮下注(⇒豆知識)という方法で、モルヒネの注射をゆっくり開始したのです。
私はその日の午前は外来担当でしたので、ひと通りの指示を出すと、外来棟に戻りました。
そのまま大勢の外来患者の診療に追われたのです。
正午を回り、1時過ぎに外来を終えました。
すぐさまホスピス病棟にとんでいきました。
(息はあるかな……)
エレベーターの中で、正直、そう思っていたのです。
彼女の部屋に入りました。
ベッドに身を横たえる彼女は、私をみると、頭をもたげて軽く会釈をしました。
傍らには小さなラジオが置いてあり、音楽がなっています。
(へええ~ラジオを聞いてる)
内心、飛び上がるほどにびっくりしたのですが平静を装って、
「具合、どうですか!?」
「とても楽になりました」
笑顔で答えます。
ラジオが聞けるというのは、心身ともにそうとう余裕がある証拠です。
苦痛に喘いでいる時など、ラジオを聞く余裕はありせん。
「早く何とかして……」
「静かにしてくれ!」
そう言うのがせいぜいなのです。
モルヒネは上手に使えば、これほどまでに良く効くのです。患者さんばかりか、やった医者もびっくりです。
夕方からは食事をとりだし、翌日にはデイルームでテレビを見られるほどまで元気になりました。
数日後、がんセンターに空きベッドができて、彼女はそちらに転院して行ったのです。
この劇的な変化に私自身が仰天しました。
モルヒネは、3~4時間という短時間に、瀕死の患者の容体をこうも変えるのです。
これ以後私は、ターミナルの患者に激しい苦しみや痛みが出た時は、すぐにモルヒネの持続皮下注を行うようになったのです。
* 豆知識
(1)疼痛コントロール
緩和ケアの最も基本的な手技として、疼痛コントロールがあります。それを簡単に記してみます。
①ボルタレン、ロキソニン、ナイキサンなどの非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)を経口薬、坐薬として使います。
非ステロイド性抗炎症薬は、抗炎症作用、鎮痛作用、解熱作用を有する薬剤の総称です。「非ステロイド」とは、グルココルチコイドでないことを意味します。
②塩酸モルヒネ、MSコンチン、オキシコンチンなどの麻薬性鎮痛薬を経口投与します。
③塩酸モルヒネの持続皮下注を施行します。(専用注入器を用いて24時間持続皮下注をします)
持続皮下注は、薬が体に完全に吸収され、モルヒネの注入量を自由にコントロールできるので、非常に便利です。
針は皮下に刺すだけなので、もしはずれても危険は無く、やり方を学べば患者本人でもやれます。
④デュロテップパッチ(成分フェンタニル)
パッチを胸などの皮膚に貼ります。持続時間が短いもの(1日)、長いもの(3日)があります。使い勝手が良いので最近よく使われています。
⑤神経ブロック療法
(2)モルヒネの3大副作用
モルヒネには副作用があります。この副作用をいかに抑えるかが、上手にモルヒネを使う決め手となります。副作用が出ると、患者さん自身がモルヒネ嫌いになってしまうからです。
①副作用で一番大きいのは便秘です。便秘に対してはラキソベロンなどの緩下剤があります。
②次に吐き気が出てきます。これにはプリンペラン、ナウゼリンなどの制吐剤を使います。
③3 番目には眠気です。この眠気には、リタリンという、カフェインのような薬を使いますとモルヒネの眠気を取ってくれます。
この3つの副作用に対してワンセットで薬を与えると、ぴたっと副作用がとれて、モルヒネの効果がはっきり現れます。
〈つづく〉
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