第2話 温かな出会い
俺が息苦しさを感じて目を開けると、俺の隣に全裸の女の子が寝ていた。
見知らぬ、赤い髪をした女の子だ。俺と一緒の毛布に包まっている。
……え!?
突然の事態に、俺はこれが夢の中の出来事なんじゃないかと一瞬疑った。だが、
「ん……」
俺の耳に、女の子の息遣いが聞こえてきた事で、現実味が増した。
更にいえば、鼻先に少々熱っぽい吐息が掛かる。そして、花のような香りまでしてくる。
目線を下に落とせば、俺の胸元には彼女の手が乗っている。柔らかな彼女の肌からは、しっかり体温を感じられた。それに何より、
「ふ……ぅ」
彼女の手よりもさらに柔らかい唇が、俺の口に合わされていた。
……な、んだ、これは。
女の子の体温が移ってくるような感覚と共に、口内では、ほんのり甘い味がした。
五感がフル稼働して、これが現実だと告げてくる。
それは分かった。けれども、
……この状況は一体、どうなっている……!?
周囲を見れば、俺がいるのは木で出来た簡素な小屋の中だと分かった。
ドアのない入口から見える、外には小川が流れているのが分かる。
……俺は昨日、会社に残ってデバッグ作業をしていたはずだ。どこだここは?
けれどなんで俺はこんな所で全裸の女の子に抱きつかれて、キスをされながら横になっているのか。全く分からなかった。
そんな事を思っていると、女の子は口を離して目を開けた。そしてこちらの目をじっと見て、
「あ、良かった! 目覚めたんですね!」
嬉しそうな、満面の笑みを向けてきた。
そして彼女は毛布をガバッと開けると、俺の体を少しだけ起こして話しかけて来た。
「体の方は大丈夫ですか? 貴方はそっちの川で溺れていたのですが……」
「溺れていたって、俺がか」
確かに、今にして思えば、体が冷えている。
髪も体もびしょびしょで、なんだか動きづらい。
俺が着ている薄布と、マント一枚、そして杖が括り付けられているホルスターもびしょびしょだ。
「何故か服を脱がす事ができませんでしたが、体温が物凄く低かったので。とにかく温めねばと、私の体温で温めさせてもらいました。《炎の息吹》を使って体内からも温度を上げようとしたのですが……上手くいって良かったです」
彼女は俺の顔を見て、やや頬を赤らめながら言ってくる。
《炎の息吹》という単語については良く分からないが、助けてくれたらしい。
「あ、ああ、そうだったのか。あ、ありがとう」
「いえ、こんな所に人が来るのは久しぶりですから。困った時はお互い様ですよ。私も久しぶりに人とお喋り出来て有り難いですし」
顔を赤くしたまま、その少女は手近に置かれていたローブを羽織った。
「ともあれ、目を覚まされたようでなによりです。――っと、申し遅れました。私はレーヴァテイン・スルトと申します。レインとお呼びください」
「ああ。ご丁寧にどうも。俺も自己紹介をしないとな。俺は……………?」
そこまで言って、俺は首をかしげる。
何故か、自己紹介の言葉が出てこなかったんだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ?」
「あ、はい」
レインはこちらをじっと見ながら俺の回答を待っていた。
だが、いつまで経っても俺の名前が出てこない。
俺が女の子と話慣れていないから喋れないのか、と一瞬思った。もしくはキスをされて、頭の中がぼーっとしているからか、とも思った。だが、頭を動かして考えてみるとそうではない。
上手く話せない理由はそんなことではなく、
「――俺の名前は、なんだ?」
「はい?」
俺の名前が、上手く思い出せなかった。
会社に勤めていた事は分かる。ゲームのデバッグをしていたことも覚えている。このゲームの中の情報も頭の中にある。
……だが、リアルの自分が全く思い出せない。
女の子と話慣れているとかいないとか、それ以前の問題だ。女の子と喋る場数を踏んでいるかどうか、その記憶すらない。
――俺は、何なんだ。
考えても、全然答えが見えてこない。
どうなっているんだ、と背筋を震わせ、心を逸らせていると、不意に俺の腕に六つの星の紋章が見えた。そしてその上に四角いウインドウが表れていた。
『運営スキル『ステータス看破』成功。職業:【武器に愛されし鍛冶師】名称:ラグナ・スミス レベル二五五』
と、そこには書かれていた。
「運営スキルと……ラグナ・スミス、だと?」
このウインドウには見覚えがある。デバッグキャラに運営から持たせられたスキルを使うと出てくる特殊ウインドウだ。
そこに映っているのは、俺がデバッグキャラとして操作していた者の名前と職業だ。職業に関してはなんだかよく分からない名前になっているが、それ以外は同じだ。
更にこの腕の紋章も見覚えがある。俺が仕様書にいれた『伝説の武器を鍛えしもの』の紋章だ。
……そんな、そんなことがあるのかよ。
小屋に置かれた水入りの桶で顔を映し出すと、そこには、中性的な顔立ちをした鍛冶師の男キャラがいた。
つまり、これらの情報を総合すると
……この体はラグナ・スミスのものか……!
実感した瞬間、震えが来た。
どうして俺がデバッグキャラとしてこんな所にいるのか、分からなかった。そんな事を思っていると、
「あの、ラグナさん、と仰るのですか? えと……大丈夫でしょうか。そんなに深刻そうに考え込まれるなんて」
レインが静かに声をかけて来た。
その優しげな一声で、俺は少しだけ落ちつきを取り戻した。
「あ、ああ、大丈夫だ。そう、俺の名前はラグナ・スミスだ。それだけは確かだな」
「はい、ラグナさん、でいいんですよね」
レインは静かに聞いてくれる。このまま自分だけで悩んでいても仕方がない。
だから、俺はそのまま話してしまうことにした。
「ただ、どうにも名前以外が、上手く思い出せないみたいだ」
「ええ!?」
そう伝えるとレインは目を大きく見開いた。
「き、記憶喪失という奴ですか? もしかして、どこからお越しになられたかも分からなかったり?」
「すまん。分からない。川で溺れていたっていう記憶すらないんだ。ここかどこか、という事も含めて」
「ここは、アスガルド大陸の端、セインベルグよりもはるか北……と言って、分かりますか?」
言われた瞬間、俺の体を再び小さな震えが襲った。
「アスガルド大陸――は聞いた事がないが、セインベルグ。……それは、聞き覚えがある、な」
自分がデバッグしていたゲームの田舎街の名だ。覚えていない筈がない。
「そ、そうなのですか。では、セインベルグの出身、ということでしょうか?」
「いや、……すまん。そこまでは分からない」
「あ、お気になさらないでください。……私とは普通に喋れていますし、街の名前も知っています。となると、水を飲んで気絶したことで、一時的に記憶が混濁しているのかもしれません」
レインは俺の眼をじっと見つめながら、手をぎゅっと握ってきた。
温かな感触が、じんわりと体の方に来る。
「まだ冷たい……ラグナさん。貴方の事情は分かりました。ただ、とりあえず近くにある私の家に行きましょう、体を冷やしたままでは、もっと衰弱してしまいます」
「そ、そうか? 寒さは、全く感じないんだけどな……」
「熱があるのかもしれませんね。いくら意識が戻ったとはいえ、このままでいるのは危ないです。私の家には大きな暖炉もありますから。まずはそこで落ち着いてから、話しましょう」
そう言ってレインはほほ笑みながら、俺の手をぎゅっと掴んで起こしてきた。
「お、おう。ありがとう」
「いえいえ、困った時はお互い様ですから。さあ、付いてきて下さい」
そして俺は小屋を出る。
ゲームの記憶以外、満足な過去も思い出せない俺は戸惑いつつも、レインの背に心強いものを感じながら歩いていく。
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