#18-エピローグ

#18-0:フィーネ

奪われるもの

 二〇九一年一月――ナイアーラトテップ殲滅作戦から、一ヶ月が過ぎた頃。


 エディットはヴェーラとレベッカを伴って、公私に渡ってしばしば利用している高級レストランにて食事をしていた。三人とも軍の施設からの直行だったので、軍服姿である。


「ここに初めて連れてきたのはいつだったかな」


 テーブルフラワーを眺めながら、エディットは呟いた。レベッカが宙を見ながら、「確か、七年前の四月?」と、答える。


「そうね、そのくらいだわ」


 エディットはワインを飲み、ゆっくりと息を吐いた。その機械の目が、青白い顔をしたヴェーラを捉える。ヴェーラは薬の副作用のせいで、食事がほとんど喉を通らないようだった。さっきから水ばかりを飲んでいる。


「あれから七年も経つのね」

「なんか、エディットらしくないよ、どうしたの?」


 ヴェーラはグラスを右手で弄びつつ、ぼんやりと尋ねる。エディットは溜息を吐く。一度、二度と何かを言いかけては、宙を見たり指先を見たりと、忙しく視線を動かした。


「あのね」


 ようやく意を決して発言しようとした時に、ちょうどデザートが運ばれてきた。ウェイターが歩き去っていくのを何となしに見遣り、そしてまた、ヴェーラとレベッカを順に見た。


「あなたたちもすっかり大人になったわね」

「そりゃ、成人済みだしさ」


 白桃のシャーベットが添えられたガトーショコラをつつきながら、ヴェーラは少し疲れたような口調で言う。エディットは「そうよね」と苦笑する。


「実はね、私……」


 エディットは殊更にゆっくりと息を吐いた。


「軍を辞めることにしたの」

「ええっ!?」


 ヴェーラとレベッカの驚愕の声が重なった。レベッカはメガネ越しにエディットの顔を凝視し、ヴェーラは思わず椅子から尻を浮かせた。


「エディットがいないと困るよ、わたしたち!」


 ヴェーラが詰め寄る。レベッカも頷いた。


「研究は? 実験はどうするの? 作戦指揮とか、ええとええと……」

「あなたたちが心配することじゃないわよ」


 エディットはシャーベットを口に運ぶ。


「それに、作戦指揮に関してはもうハーディの方が巧者よ。私は名前を貸してるだけみたいなところがあるわ、実際のところはね。研究や実験については、ごめんね、としか言えないかなぁ」

「それ、命令でしょ」


 ヴェーラが鋭く切り込んだ。エディットは「やれやれ」と豪奢な金髪に手をやりつつ首を振った。


「嘘ついても無駄よね。そう、命令。参謀本部長直々のね。セイレネスの運用責任者の解任手続きはもう済んでるの」

「なんですか、それ!」


 レベッカがらしからぬ声を出した。


「私、そんなやり方嫌いです。騙し討ちじゃないですか、そんなの」

「だよね」


 相槌を打ったヴェーラは、苛立ちを隠さない。


「わたしたちの実験にだって影響が出るよ、そんなことしたら」

「分かってるわ……」


 セイレネスはデリケートだ。ちょっとした心理的要因で簡単に不安定になってしまう。エディットはそうと知っていたから、もちろんその人事には抗議した。だが、梨のつぶてだった。ブルクハルトによる意見書すら一顧だにされなかったところを見ると、参謀本部長よりもさらに上のレベルでの既定事項だったとも思われた。


「でも、私は軍を辞めるだけよ。貯めたお金もあるし、悠々自適の退職金生活を愉しむとするわ」

「わたしたちも出て行かなきゃ?」

「そうね」


 エディットは濃い赤色のワインを一気に呷る。


「でも、遊びに来てよ。暇してるから、きっと」

「もちろんだよ」


 そう応じたヴェーラは俯いたままだ。レベッカは憤然とガトーショコラを胃の中に収め、フォークを握りしめたまま黙り込んでいる。エディットはそんな二人を見て、少し慌てたように付け加えた。


「ま、まぁ、別に今生の別れになるわけじゃないし! もう軍には関われないけど、あなたたちと会うことができないとか、そんな法はないわよ!」

「なら、まぁ、いいか」


 ヴェーラはどんよりとした視線を上げた。エディットは右の頬を引っ掻きながら、ゆっくりと立ち上がった。


「さ、そろそろ行きましょ。星でも見に行こうかしら?」

「星? 今日は見えないと思います」


 レベッカが今日の空を思い出しながら言った。レストランに入る前にも、雪がちらちらと舞っていたはずだ。


「そうか、雪だったか……」


 エディットは舌打ちでもしそうな表情を見せ、首を振った。


 先頭に立ったエディットが、レストランを出た時のことだ。玄関前につけた車までのわずか数メートルの距離。エディットはそれを歩き切ることができなかった。


 後ろにいたヴェーラとレベッカには、エディットが突然転倒したように見えていた。雪で足を滑らせたのかと思って、思わず二人はエディットに駆け寄り、そして硬直した。


 その一秒か二秒後には、助手席にいたジョンソンによって、二人の歌姫セイレーンは車の影に引っ張り込まれた。運転席にいたタガートは拳銃を抜いて周囲を警戒していた。


「エディットは! エディットはどうしちゃったの!?」


 半狂乱になってヴェーラが叫んだ。レベッカは、そんなヴェーラをきつく抱きしめた。レベッカも、いま目の前で起きた事が何なのか受け入れられず、混乱の極致にあった。レベッカを振りほどき、ヴェーラはジョンソンの背中に駆け寄った。その向こうにエディットが倒れているのだ。


「エディット、エディット!」

「隠れてください、危険です」


 ジョンソンはエディットの軍服をナイフで切り裂いていた。積もった新雪に、エディットの胸と背中から流れ出た血液が染み込んでいく。


「ヴェーラ……いるの?」


 エディットが血を吐きながら呼びかける。ヴェーラはジョンソンを突き飛ばすようにして前に出て、エディットの右手を握り締めた。そのヴェーラを追うように、レベッカもそこに手を重ねる。


「ごめんね、私――」

「喋ったらダメだよ、エディット。今ジョンソンさんが治療してくれるから……!」


 ヴェーラは手を一層に強く握り締める。エディットはもう力を込められず、小さく震え始めていた。ヴェーラは血まみれのその身体を温めようとするかのように覆い被さり、何度も何度もその名を呼んだ。


「ジョンソンさん、治療を……!」


 レベッカが言うが、ジョンソンは首を振る。救急車の音が近付いてきていた。


「辞めるだけじゃ、だめだった、かぁ」


 エディットには、もはや痛みも何もない。意識も混濁し始めていた。


「ごめんね、ヴェーラ、ベッキー……」

「いいんだよ、だいじょうぶだよ、エディット!」

「まだまだ、遊びに来たら、だめだからね……」


 そう言って、エディットはゆっくりと目蓋を閉じた。


「エディット! エディットぉぉぉぉぉっ!」


 ヴェーラがその胸を叩きながら絶叫した。


 エディットの身体から流れた血の池に身を浸しながら、レベッカは歯を食いしばり声を殺し、そして、ヴェーラは狂ったように泣き叫んだ。

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セイレネス・ロンド/歌姫は壮烈に舞う 一式鍵 @estzet

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