#17-2:鼎談

レメゲトン

 闇の中で、マリアは深い溜息を吐いた。


 黒いエンパイアドレスを着たマリアの目の前には、金の揺らぎと銀の揺らぎが存在していた。三人で一辺三メートルばかりの正三角形を描くような位置関係である。


 マリアはその黒褐色の瞳で二つの揺らぎを睨む。


「余計なことを伝えさせてくれたわね」

「余計なこと? そうかしら」


 金の揺らぎが応えた。


「真実の片鱗くらいは与えてあげないと、アンフェアだと思うけれど」

「アンフェア? 今さら何を言っているの」


 マリアは侮蔑の意志を隠すこともせずに、そう言い放つ。


「あなたたちが高位の存在であることは認めざるを得ないけれど、だからと言って見下され続けることは容認できない」

「あらあら。なら、どうするつもり?」


 銀の揺らぎが挑発する。マリアは小さく唇を噛んだ。銀の揺らぎが哂う。


「あなたは誤解しているようね、マリア」

「誤解?」

「そう、誤解よ。あなたは私たちが全てを仕組んでいると思っている?」

「肯定よ、当然ながら」

「ふふ、過大評価、痛み入るわ。少なくとも目に見えるところに関しては正しいかも知れないけれど」


 銀の揺らぎは哂いながら言った。


「観測されることなしには、事象は可能性の何かに過ぎない。観測されることによって、その事象は存在を開始する。私たちはただ観測しているだけに過ぎない。可能性の種を振り蒔いて、たちがどんな選択をするのかを観察し、観測しているだけ」

「それを真と仮定するとして」


 マリアは緩やかに腕を組んだ。


「余計な可能性を蒔くのはやめて欲しいわ」


 その言葉に、金と銀の揺らぎは声を立てて哂った。


 金の揺らぎが言う。


「この世界に在る以上、あたしたちの干渉から、そして観測からは逃れられない。それはあのベルリオーズでさえもまた然り」

「私たちは本来、這い寄る混沌ナイアーラトテップと呼ばれるべき存在なのよ。いつの間にか其処に居て、いつの間にか世を混沌カオスで満たす――」


 銀の揺らぎの言葉に、マリアは露骨に顔をしかめる。


「御託はいいけれど。つまり、あの方は、にじり寄ってきていたあなたたちに気が付いた、いわば選ばれし人間だったというわけね」

「そうね――」


 銀の揺らぎが大きくなる。


「私たちにしてみれば、の存在はいわば予定外だった。でも、だからこそ、私はに関心を持った」

「ファウストを堕落させんとした悪魔メフィストフェレスのように?」

「そうね。そして、あなたたちは、私たちに触れる都度に私たちに漸近ぜんきんする」


 銀の揺らぎが闇を覆いつくすほどに輝いた。マリアは忌々し気に目を細め、それでも銀の揺らぎから目を逸らさない。


「漸近して、どうなるの。とでも言うわけ?」


 マリアの詰問に、二つの揺らぎはまた声を立てて哂った。闇は銀に覆われ、眩暈めまいがするほどに空間を輝かせる。


「セイレネスはプロトコルであると同時にゲートウェイ。ジークフリートの生み出す論理層と、物理層たる現実世界をつなぎ合わせるための媒体メディア。そして、それ自体を実行するための機構システムでもあるのよ。いわば、論理の――神の世界の法則インターフェイスを、現実世界に実装インプリメントするためのもの」

「意味がわからないわ」


 マリアは苛々と右手の人差し指で左の二の腕を叩きながら、首を振る。二つの揺らぎは息を潜めて様子を見ているようだった。


 そこでマリアは気が付いた。


「まさか――」

「うふふふ、そう、そのよ」


 銀の揺らぎは愉快そうに哂った。マリアは半ば呆然としつつ、呟く。


「セイレネスの発動アトラクトが、論理層を物理層に漸近させていく……?」

「ご明察」


 金の揺らぎが応えた。銀一色の空間にあっても、その金の揺らぎは確かに存在していた。


 マリアは無意識に唇を舐めた。


「論理層の法則プロトコルを物理層に拡張できるとするなら、理論的には物理層の全て、この……とでも言うわけ?」

「俗物的な見地からは、そうと言っても良いでしょうね」


 銀の揺らぎが輝きを増す。もはやマリアには何も見えない。ただ眩しいだけだ。


「私はあなたたちの目的には興味なんてない。でも――」

「姉様たちをこれ以上苦しめないで、とでも言う?」


 銀の世界がそう言った。金の揺らぎはマリアの前までやってきて、ふわりと甘い香りを漂わせる。


「でもそれは無理よ、マリア」

「……なぜ?」

「だってこの可能性事象の地平ではね、あの子たちこそがレメゲトンなんだから」

「レメゲトン?」

よ。ソロモンの鍵」


 金の揺らぎは思わせぶりにそう言った。


 マリアは息を飲み、その金の揺らぎの気配を両手で払い除ける。


「私たちはと戦っていたのね、最初から」


 そう口にした瞬間、銀の世界と金の揺らぎは消え、マリアの周りには再び闇が満ちた。マリアは恐る恐る目を開けて、目の前に真の闇しかいなかったことに安堵する。


 レメゲトンの第一巻「ゴエティア」には、七十二柱の悪魔を呼び出す術が記録されている。レメゲトンという表現が単なる比喩に過ぎないのだとしても。あの銀と金の悪魔の目的とはそう外れたものではないのだろうという予測は成り立つ。


 セイレネスのゲートウェイから、異界の混沌アンノウン・プロトコルを呼び寄せる。可能性事象を崩し去り、確定事象を喪失させる。


 それが真の這い寄る混沌ナイアーラトテップたるあの二人の目論見もくろみだとしたら。あの二人が、ジークフリートとセイレネスをもたらした動機がそれなのだとしたら――。


「私には少しも面白くないわ……!」


 奥歯を噛み締めながら、そう吐き捨てる。


創造主デーミアールジュよ……あなたはそれで、本当に良いのですか」


 マリアは視線を感じて、静かにそう尋ねた。


 彼、つまり、ジョルジュ・ベルリオーズは、薄い笑みを浮かべて立っていた。


創造主デーミアールジュよ、なにゆえ姉様方にくも酷い仕打ちを?」

「酷い仕打ち、か」


 ベルリオーズは闇の中でマリアに並ぶ。マリアの全身に緊張が走る。


「あの子たちは人の未来のために必要な道具なのさ。僕がジークフリートとバルムンクを使って生成した、貴重な素材さ。人の未来のために、あの子たちは消費される」

「そんな……」


 マリアは隣に立つベルリオーズを見上げた。ベルリオーズは燃える左目でマリアを見下ろす。


「さぁ、ARMIAアーミア……いや、今はマリアと呼ぶべきか」


 ベルリオーズは冷たい声を発した。


「行くがいい。そして君は君の思うことを為すがいい」

「私の……?」

「そう、君の、だ。それがあの悪魔たちの目的にどう作用するのか。僕の目的にどんな具合に関与してくるのか。僕はとても興味がある」


 ベルリオーズは真の闇の空間を見回した。


「君は、僕とあの悪魔たちをあざむくために生まれたのさ。不確定事象の顕現とでも言おうか」

「私が――」

「行くがいい、ツァラトゥストラの回帰の環を砕きに。世界を悪魔の頸木くびきから解き放ってみせるがいい。そのための舞台装置は、もう完成しているのだから」


 ベルリオーズの左目が赤く輝き、世界の闇を赤く払拭していく。


創造主デーミアールジュよ、私は――」

「君には期待しているよ、マリア」


 世界がすっかり赤く染め上げられる。


「さぁ、歌姫たちセイレネス輪舞曲ロンドを、始めよう」


 ベルリオーズはおののくマリアを見据え、そう宣言した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます