#17-這い寄る混沌

#17-1:Fatality

三体のナイアーラトテップを前にして

 それから二ヶ月が過ぎ、二〇九〇年十二月も後半に差し掛かった頃――。


 第七艦隊総司令官、リチャード・クロフォード准将は、旗艦<ヘスティア>のCICの司令席にて、ナイアーラトテップとの戦闘に備えていた。


 二隻の戦艦、<メルポメネ>および<エラトー>を主軸に据えた、大々的な掃討作戦である。戦艦は、その運用コストの甚大さもあり、軽々な運用はできない。まして万が一にも喪失するなどということが起きれば、同時にヤーグベルテの命運までも消し飛ばされかねない。


 しかし、クロフォードは、戦艦を前線に出す必要性を説いた。今回の作戦の目標は、新たに存在が確認された三隻のナイアーラトテップである。これらをまとめて殲滅しようというのが、本作戦の主目的だった。そのためにはセイレネスによる攻撃が欠かせない。そしてセイレネスは物理的距離の影響も少なからず受ける。となれば、前線で真正面から激突させるのが最上策であると、クロフォードは考えた。


 無論、参謀本部、特にセイレネスの運用管理を担うを納得させるのは至難の業だった。そこで、クロフォードは第三課の統括アダムス大佐に働きかけ、今回の作戦を強引に押し通したのである。


 クロフォードの視線の先で、索敵班員の動きが慌ただしくなった。それとほとんど同時に、レベッカからの通信が入る。


『クロフォード准将、目標三体、発見しました。レーダーリンク、開始します』

「ご苦労。索敵班、処理急げ」


 クロフォードは正面にあるメインモニタを無表情に見つめる。ほどなくして、ナイアーラトテップ三隻の位置情報が反映されてくる。索敵班の班長が即座に情報を確認して、クロフォードを振り返る。


「距離、百五十キロ。二時間半後には激突するコースです」

「よろしい。艦隊および戦艦たちへの通信を開け」


 クロフォードは席に備え付けられたマイクを手に取った。


「これより我々は、ナイアーラトテップ三隻との戦闘を開始する。第七艦隊は囮である。なお、我々の哨戒経路は、事前に敵軍へリークされている」


 それまでずっと行動を秘匿してきた第七艦隊が、ようやく単体で表に出てくる。アーシュオンがその千載一遇の機会を逃すはずがない。……そのクロフォードの読みは、見事に的中したということだ。


「我々は敵の、クラゲどもの待ち伏せに真正面から突っ込む形になる。よって、甚大な被害が予測される」


 そこで一度言葉を切った。


「だが、信じろ、戦艦を。信じろ、セイレネスを。信じろ、たちを」


 クロフォードは厳かに言った。


 歌姫セイレーンの力は、誰もが知っている。絶対の信頼性、圧倒的な力――言うならば、こんなところだろう。


 そしてまた、ヴェーラの力が今までになく高まっていることも、データで確認済みだった。ヴェーラが精神的安定性を欠いていることを逆手に使い、薬物を投与する大義名分を得ることができた。クロフォードのそのは功を奏し、どうしても不安定さが残っていたセイレネスを高いレベルで安定させることができるようになった。


 その対照実験として、レベッカには薬物投与を行わないこととした。幸いにしてレベッカの精神力は極めて高く、かつ安定しており、定期的なカウンセリングを行っていさえすればセイレネスの運用には問題は生じないことも確認されていた。


 この日の準備のために、クロフォードは二年以上を費やした。当初の見込みではあと数年かかる予定だったのだが、アーシュオンのトップエースを手に入れたことが、予想外の方向でプラスに作用した。ヴァルター・フォイエルバッハの存在とその扱いで、ヴェーラの精神はかなりのところまでコントロールできることが確認できたのである。今後のヴェーラの思惟しいの誘導のために、有意なデータが多数取得できたのは思わぬ副産物だった。


 悪く思うなよ、エディット・ルフェーブル――クロフォードは心の中で懺悔する。


 だが、これはヤーグベルテのためには必要な通過儀礼なのだ。歌姫セイレーンは貴重な存在ではあったが、そうであるからこそ、国家の命運という大義を背負わなければならない。そのためには、一個人の権利や自由など、一顧だに値しない。


 レーダーに目をやれば、ナイアーラトテップを示す三つの光点は、確実に第七艦隊に接近してきていた。だが、戦艦には気付かれていないようである。


「ヴェーラ、レベッカ、我々はクラゲどもに手が出せない。手早く頼むぞ」

『了解です』


 二人の歌姫セイレーンが同時に応じてきた。どちらの声にもおおよそ感情らしい感情が感じられない。無機的で冷たい声だった。


 だが、それでいい。


 クロフォードは一人、苦笑する。


 ヴェーラたちに求められているのは、などという陳腐なものではない。としての優秀さだからだ。ヴェーラの強制的な精神安定も、レベッカの強靭な精神力も、どちらも軍にとっては有用なものだった。ヴェーラの前例により、不安定になった歌姫セイレーンには薬物投与という手段が使えることが明らかになった。いや、最初から薬物を投与して安定性を確保するというのも、手段としては有効なのかもしれない。


「俺の思惑など、あいつにはとうにお見通しだと思うが」


 クロフォードは頬杖をつきながら呟く。エディットに対する良心の呵責のようなものがないわけではない。だが、そんなことも、クロフォードにしてみれば些細な問題に過ぎなかった。


「全艦隊に通達。敵、ナイアーラトテップ三隻を最大射程内に捕捉。我々は気付かぬふりをして、その海域を通過する」


 クラゲどもが食いついてくるのを待つ。


 じりじりするような時間が過ぎる。


 クロフォードは腕を組み、じっとシートに身体を押し付けて、待った。


 第七艦隊全体の緊張が、限界にまで高まる。少なからぬ艦艇が、ナイアーラトテップの餌食になるだろう。或いはこの旗艦<ヘスティア>が真っ先にやられるかもしれない。だが、それでも、ナイアーラトテップを三隻沈めることができるのならば、ちょうどよい取引と考えても良かった。自分たちにはそれだけの覚悟があるのだ。命を賭けているのだ。ゆえに、歌姫セイレーンたちの人権や人格など、取るに足らない。議論の俎上そじょうに上げるべき話題ですらないのだ。


「提督! 駆逐艦<ゼタ2>がロスト! 駆逐艦<ヒリア>と駆逐艦<ウーレ>が、交戦を開始しました」

「よろしい」


 クロフォードは立ち上がった。


「対潜攻撃部隊および戦闘機隊、発艦。クラゲどもの艦載機を叩き落とせ! クラゲどもを一隻も逃がすな! いかなる犠牲を払っても、足止めせよ!」


 瞬く間に駆逐艦と軽巡洋艦が減らされていっている旨の報告を聞き流しつつ、クロフォードは低く鋭く、声を張った。





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