#16-3:終焉の時

ロジカル・コンバット

 ヴェーラは音を立てて奥歯を噛み締めた。


 この決断をしたのは、わたしだ。


 なのに――。


 ヴァルターにも、カティにも、撃たせない。それだけの決断だった。


 カティだけは絶対に落とさせない。それが大前提だった。


 だが、カティはヴァルターを撃墜してもいけない。それが次の条件だった。


 ヴェーラにとって大切な人が、ヴェーラの好きな人を殺してはならないのだ。答えはとてもシンプルだった。


 だが、結果としてヴァルターは死ぬだろう。アーシュオンという国によって、軍によって、或いは国民によって、殺されるだろう。


 だが、それ以上の選択肢はヴェーラには思いつけなかった。


 血を吐くような思いと行為おこない。その結果が、ヴァルターとカティとの戦いの結末となったのだ。


 だが、ヴェーラたちがカティとヴァルターに干渉できたのには理由があった。遠くにいたナイアーラトテップが、前線に進出してこようとしたため、二隻の戦艦はそれに呼応して最前線に乗り込んだのだ。この距離まで近付けなければ、ヴァルターのカウンターセイレネス能力の高さにより、「引き金を引かせない」という芸当は出来なかった可能性が高かった。


「結局、偶然だ」


 ヴェーラは自らを嘲笑う。こんな偶然がこのタイミングで起きなければ、今の戦いはヴァルターの勝利で終わっていた可能性が高かった。ナイアーラトテップが出てきてくれなければ、ただ落とされていくカティを眺めているだけだったかもしれない。


『ヴェーラ、クラゲが……!』


 暗黒の空間が、突如、明転した。ナイアーラトテップを有効射程に捉えた瞬間の出来事だ。壁も天井もないが、白い床が無限に続いているような、そんな空間があった。そしてその空間の奥に、黒いドレスを着た黒髪の少女が佇んでいた。その黒い瞳はヴェーラとレベッカの間をぼんやりと眺めている。ヴェーラとレベッカはそれぞれ白と緑のロングスカートタイプのワンピースを身に着けていた。


 距離は――物理的距離になどさして意味がないだろうが――十メートルほど。


『私ハ……』


 黒髪の少女が口を開く。ヴェーラは右手でレベッカの左手をしっかりと握り締め、黒髪の少女を睨み据えた。


『私ハ、ヒメロペ……。テルクシエペイア、ハ……何処……?』


 その声は何もない白い空間の中を反響する。その音の波が届くたびに、ヴェーラの心はささくれ立った。


「ベッキー、こいつ、あの時の片割れだ」

「あの時?」


 レベッカは問い返してから、その出来事に思い至った。弾道ミサイルを用いて、ナイアーラトテップを一隻撃沈した、あの戦いのことだと。


『姉様ハ、何処……!?』


 少女が言葉を発するたびに、ヴェーラとレベッカを包んでいるセイレネスのフィールドが共鳴して、衝撃波が発生する。白い空間に波紋が広がり、やがて黒髪の少女の元へと到達して、また新たな波紋を作った。


 その現象に困惑するレベッカを尻目に、ヴェーラは冷たい微笑を浮かべていた。


「ヒメロペ、だっけ? あなたは何のために戦っているの?」

『……知ラナイ』

「じゃぁ、何のために殺すの?」

ダカラ……』


 明快で迷いのない答えに、ヴェーラは音高く舌打ちした。


「それはあなたにとっての敵? それとも、あなたの大事な誰かにとっての敵?」

『知ラナイ。敵ハ、倒ス。ソレガ、私ノ存在理由レーゾンデートル


 なんて――。


 なんて幸せななのだろう。


 ヴェーラは心底呪った。


 そこまで割り切ってしまえることに。その程度の思考に。心底憧れ、呪った。


「あなたは、何なの、ヒメロペ」

『私ハ……ナイアーラトテップ……這イ寄ル混沌』


 少女がそう答えた時、その両手が輝いた。輝きが収まると、そこには拳銃が出現していた。


「なんだアレ」


 ヴェーラは突如出現したそのに驚く。そのヴェーラの右手をレベッカが引っ張った。


「ここは論理層よ、ヴェーラ。私たちも武器を持ちましょう」


 そう言った矢先、黒髪の少女――ヒメロペ――は両手の銃を上げて発砲してきた。一発はレベッカの右腕を掠め、一発はヴェーラの左頬に切り傷を作った。


「いったいな!」


 頬を押さえて怒鳴るヴェーラと、右腕をさすりつつ考え込むレベッカ。


「論理層は、観測によって事象が組み上がる。たぶんね」

「じゃぁ、どうすれば」


 ヴェーラが問うと、レベッカは目をぎゅっとつぶって何かを呟いた。その途端、ヒメロペとヴェーラたちとの間に半透明な壁がせり上がった。続いて放たれた銃弾は、その壁に当たって消えたようだった。火花のようなものが一瞬だけ見えた。


 ヴェーラが憤然として言う。


「こんな機能、聞いてないよ、わたし」

「私もよ。戦艦モジュールでしょうね」


 しかも新しいモジュールだろう。相手のセイレネスに干渉するオルペウスの副産物である、とも考えられる。それにしても何の断りもなく機能が実装されているとは。ヴェーラとレベッカは、ブルクハルトの飄々とした様子を想像しながら、小さく溜息を吐いた。


「好き放題やってくれちゃって」

「でもおかげで助かったわ」


 レベッカは壁を挟んでヒメロペと正対する。彼我の距離はおそらく三メートルとない。


「この論理層のダメージは、恐らく物理層にも跳ね返る」


 二人の手に、ずっしりとした重みが加わった。何事かと手元を見てみると、そこにはアサルトライフルがあった。それは陸軍でも制式採用されている自動小銃によく似ていた。二人はそれを手にしたことはなかったが、使い方はなぜかすぐに理解できた。同時にそれぞれのアサルトライフルのチャージングハンドルを引き、セレクターレバーを連射に合わせる。あとは引き金を引くだけだ。何発撃てるのかは分からないが、足りないことはないだろう。


「ヴェーラ、壁が薄くなってる」


 言われてみれば、確かに壁の厚みが目に見えて減っていた。向こう側にいるヒメロペの姿も鮮明になってくる。ヴェーラはアサルトライフルを構え、レベッカに頷きかける。


「どっちみち、守っているだけじゃだめだ。物理層側の状況もわからないし」

「でもなんか」

「生身の撃ち合いなんて、想定外も良い所だけど」


 ヴェーラはアサルトライフルを持ち直す。重いのだ。


「ただ見せられてるだけってのよりは、まだ救いもある」

「ヴェーラ……」


 いよいよ壁が消失した。たちまち、赤い照準線レーザーサイトのようなものがヴェーラとレベッカを捉える。一方でヒメロペの身体の周りには、青い照準円レティクルが発生していた。


 ヴェーラとレベッカは同時に反対方向へと跳んだ。その瞬間、銃弾が二人のいた場所を同時に貫き通す。ヒメロペは立て続けに二人を照準に捉えては発砲してきた。ヴェーラとレベッカはそれぞれにかわし、壁を立て、何とか攻撃をやり過ごす。


「ベッキー、防御頼んでいい?」

「いいの?」

「うん。たぶん、防御はわたしがやるよりベッキーの方が確実だ。わたしも安心して突っ込める」


 彼我の距離は十五メートルにまで開いていた。距離としては極至近だが、ここは物理層ではない。常識的な身体感覚がアテにできる世界ではない。


「こんな白兵戦させるなら、ちゃんと訓練くらいさせて欲しいよね」

「まったくだわ」


 レベッカは呼吸を整え、半透明の壁の向こうで二人を狙っているヒメロペを睨んだ。


「あの壁を消すわ。消えたら走って」

「了解」


 ヴェーラは再度銃を構え直した。疲労はさほど感じないが、重たいものは重たい。


 壁が消えた。


 その瞬間、ヴェーラがその純白の空間を走り出す。


 両手の拳銃から発される赤い照準線が次々とヴェーラを捉えるが、その都度、レベッカがその線を打ち消すように円柱状の物体を床から発生させた。ヴェーラはその柱を避けるように右に左にステップを踏みながら、アサルトライフルを乱射する。


 拳銃弾は半透明の柱に阻まれ、その一方で、アサルトライフルの弾の何発かはヒメロペが立てた壁を貫通した。


「ッ……!?」


 左手の拳銃を取り落としたヒメロペは、自分の腹に手を当てて呆然とし、そして膝をついた。


「あなたのような存在は幸福だよ」


 ヴェーラは祈るように呟いた。


『アナタモ……私タチノヨウニ、ナレバ、イイノニ……』


 空間から全ての構造物が消え、銃も消えた。白い床が無限に広がる空間、すなわち、純白の空間だけがそこに残る。


「わたしはね、大事なものが何なのか。そんなことも言えないような存在にはなりたくない」


 ヴェーラはそう言い切ったが、ヒメロペの黒い瞳は懐疑の表情を浮かべていた。


『逃ゲラレナイ事カラ逃ゲヨウトスル事ハ、単ナル苦シミ……』

「それでも!」


 ヴェーラはヒメロペのすぐ前まで近付いた。レベッカもヴェーラに並ぶ。


「それでもね、わたしは考える。わたしは悩む。わたしは、苦しむ。そして、わたしの結論を出す! わたし自身の言葉で、行動で、示す!」

『ソノ人モ』


 ヒメロペは右手でレベッカを指差した。


『同ジト言エルノカ、アナタニ――』

「あたりまえだ!」


 ヴェーラはヒメロペを睨み、吐き捨てた。そして険しい表情のままレベッカを見遣る。レベッカは頷き、毅然として言った。


「あなたの攻撃には、私たちは揺らぎません。私はヴェーラの苦しみを感じたい。ヴェーラと一緒に泣きたい。私はヴェーラの行為全てを受け容れる」


 そしてチラリとヴェーラを窺った。ヴェーラは横目でその意思を受け止め、無言でヒメロペに視線を戻した。レベッカは意を決したように言う。


「どんなになじられても、たとえ力になれないほど私が無力だったとしても、私はヴェーラといたい。死ぬまで、私はヴェーラと共にありたい。だから、あなたたちとは違う」

『フフ、ハハハ……。自分ヲアナタタチニ、私タチノ何ガ理解デキルト言ウノ……?』

「勘違い……!?」


 ヴェーラはヒメロペの肩を掴んだ。ヒメロペは虚ろな瞳でヴェーラを見上げ、そして、口角を上げて、哂った。感情のない、作り物の微笑だった。


『アナタタチハ、ヨリ凄惨ナモノヲ目ニスルデショウ……。私タチハ――』


 その時、ヒメロペの姿がノイズに塗れ、唐突に消えた。ヒメロペの肩を掴んでいたヴェーラの手が空中を滑る。


「何が……?」

「死んだ……のかしら」


 レベッカが呟いたのとほぼ同時に、無限の白い床が霧が晴れるかのようにして消え始めた。


「うわっ!?」


 足場を失い、真っ逆さまに闇に落ちる。


 ヴェーラは必死でレベッカの手を探し、そしてしっかりと掴んだ。

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