ラスト・フライト
潜水空母<ダニエル・マクエイド>の格納庫に、緊急連絡が入った。エウロスが現れたという旨の報告であった。
それを聞いた瞬間、ヴァルターはマーナガルムの面々と顔を見合わせて、立ち上がった。そして、自分の
機体に乗り込んでヘルメットを被ったその瞬間に、シルビアの声が届いた。
『ナイトゴーント隊の司令機がロストしました』
「ロスト? どういう状況だ。撃墜か?」
あれは無敵の司令機と言われていたハズだ。司令機はナイトゴーントでありながら、一機だけ妙に人間らしい動きをする機体だった。
『不明ですが、女帝との交戦中にレーダーから消えました』
なるほど。
ヴァルターは頷きつつ、機体をカタパルトに移動させる。その時、ちょうど真後ろにつけてきたクリスティアンが通信を入れてきた。
『ヴァリーさんよ、おまいさんのやるこた決まってんだ。司令機が女帝陛下を譲ってくれたんだろうぜ』
『そうそう。自分の落とし前は自分でつけるんだね、隊長さん』
フォアサイトの突き放すような言葉に、ヴァルターは苦笑する。
「わかってる」
そのやり取りの間に潜水空母は急浮上し、ハッチを展開した。真正面に見える太陽は、水平線に今にも着水しようとしていた。遠くの空に閃光が見える。撃ち上がる対空砲火、轟炎とともに散っていく航空機。排気炎もまた鮮やかに、空に幾何学模様を描いていた。
こんなところに帰ってきたがっていたのか、俺は。
ヴァルターは「やれやれ」と首を振った。
そして、発艦。カタパルトが
『隊長。おかしな動きがあれば、私が……あなたを撃ちます』
「わかってる、シルビア」
ヴァルターは右隣に並んできたシルビア機に視線を送った。シルビアもまた、ヴァルターを見ていた。ヘルメットのバイザー越しでは、その表情などは全く見えないけれども。
ほどなくして、ヴァルターは上空を悠然と飛ぶ真紅の機体を発見する。挨拶代わりの多弾頭ミサイルは、戯れに振りまかれたフレアによって尽く回避された。
「当たるはずもない、か」
こんなもので墜ちるなら、それはそれで幻滅だ。
『久しぶり、白皙の猟犬』
「――そうだな」
ヴァルターは通信回線が完全に乗っ取られていることを知る。味方からの通信は遮断され、もはやシルビアの声は届かない。ヴァルターからの応答もできない。
『アタシを殺せば――』
カティは静かな声で言う。
『あんたは助かる。そういうわけか』
「……そういうことだ」
ヴァルターの短い答えに、カティは笑ったようだった。ノイズに交じって聞こえるカティの呼吸音は、酷く乾いているように思えてならない。
『良いだろう。だが、アタシは手を抜かない』
「望むところ」
ヴァルターは頷いた。
これが、俺の最後の戦いになる。空を飛ぶ、最後の機会になる。
もう一度頷き、そして宣言した。
「始めよう、カティ・メラルティン」
『……そうだね』
カティは静かな、穏やかな声でそう応じた。
いざ始まってみて、ヴァルターはいきなり冷や汗をかくことになる。カティは、空の女帝は、まるで自由だった。システムの呪縛から解放されたかのように、飛行士の常識から尽く逸脱した動きをして見せた。対するヴァルターは、
「空の、女帝ね……」
それは壮烈な舞いだった。自由に、力強く、風も海も空も、何もかもを従える。
「褒めてばかりもいられない」
ロックオンと同時にミサイルを放つ。フレアに対しては手動誘導で回避。再び自動に戻した時には、カティは完全回避の機動に入っていた。どころか、反転上昇の後の急降下から、機関砲の雨を降らすような芸当までして見せた。ヴァルターも負けじと下降して追いかけるが、カティはその時にはもうそこにはいない。ヴァルターは後ろを取られ、また機関砲を浴びせられる。
圧倒的だ。
自分が実験に協力していた二年間。その間にも、カティはアーシュオンの飛行士たちを叩き落とし続けていたのだ。経験値に埋められない差ができてしまったのだ。
だが。
自分には後がない。戦うのなら、勝たねばならない。
正面から二機が交錯する。
体当たり――それも一瞬考えた。だが、ヴァルターの
機関砲が火を噴いた。両機の間を二本の光条が奔る。
相互に被弾五発。だが、致命弾には程遠い。かすり傷だ。ヴァルターには秒間百発にもなる機関砲の弾が、全て見えていた。ゾーン状態といっても良かったのかもしれない。とにかく、その空間の全てが――カティの戦闘機以外の全てが――今はヴァルターの支配下にあるような感覚さえあった。
すれ違う一瞬に、二人はお互いの顔を見た。顔全体がヘルメットとバイザーで覆われているのだから、表情などはもちろん見えない。だが、視線は確かに交わった。
カティは上に逃げ、ヴァルターは旋回して螺旋のようにそれを追う。しぶとく、追いすがる。そしてやがて、お互いがお互いの背中を追いかける
無言の駆け引きが続く。相互に背中を取っては機関砲を放ち。背中を取られては回避して相手の後ろへと何とかして回り込む。他の戦闘機など目に入らなかった。どのみち誰にも邪魔などできないのだ――ヴァルターは脳の冷静な部分でそう考える。
十数分に渡る攻防の末、必殺の一撃を叩きこむチャンスを得たのはヴァルターだった。ヴァルターは躊躇うことなく引き金を――。
「!?」
指が動かなかった。痺れてしまったように、指先に感覚がない。
セイレネスか――!
その一瞬で、カティは機体を垂直に立てて胴体ブレーキを掛けつつ真上に逃げた。ヴァルターはそれに追いつくことができない。身体が言うことを聞かなかった。
「ヴェーラ、か……?」
ならば、よし。
ヴァルターは覚悟を決めた。ゆるゆると上に向かって飛ぶヴァルターの機体の内側で、けたたましいロックオンアラートが鳴り響いた。カティ機が対空ミサイルを放とうとしている。ヘッドオンからのFOX2。もはや回避のしようがない。
「終わったな」
ヴァルターは来たるべき衝撃に備えて歯を食いしばった。
だが、カティ機は、ミサイルはおろか、機関砲の一つも撃たずに真下へと飛び去って行った。
その数秒間で、ヴァルターは状況を理解した。
「もういい。そう言うんだな、ヴェーラ」
ならば、そうしようか。
ヴェーラが幕を引いたのだ。それはヴェーラによる明確な意思表示だったのだ。
異存、なし。
呟きながら、母艦<ダニエル・マクエイド>に機首を向ける。
自分は帰るのだ。味方という名の処刑人たちの所へ。
華々しくは、戦ったさ。
悔いは、ない。
ヴァルターは自分に確認するように、そう呟いてみせた。
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