#15-2:別離の時
最後の日
一ヶ月という月日は、矢のように、そして至極当たり前のように過ぎた。
その間も実験は継続され、オルペウスの性能は一段、また一段と向上していった。そしてヴェーラたちは陸軍、海軍の作戦にも随伴させられた。ヴェーラに至っては、トランス状態に陥るほどの薬物を投与されての参加となったこともあった。
参謀部第三課統括アダムス大佐は、使い潰すような勢いで
しかし、歌姫の躊躇なき投入によって、ヤーグベルテは連日圧倒的とも言える大勝利を収めていた。国内世論としては、ヤーグベルテの勝利に貢献したヴァルター・フォイエルバッハの処遇を見直せという運動が起きてはいたのだが、アーシュオンから返還されるエースパイロット十四名のインパクトを覆すことはできなかった。
「話ができるのも、今日が最後になるな」
シミュレータの筐体から出て、ヴァルターは呟いた。ヴァルターの視界の先、セイレネス用のシミュレータの筐体に、疲れた表情を浮かべた二人の
「ヴァリー……」
すっかりやつれ果てた様子のヴェーラは、顔を上げるのも億劫だと言わんばかりに、うつむいたまま名前を呼んだ。ヴェーラはヴェーラなりに努力した。軍のイベントで表に出る機会があった時は、スタッフたちが止めるのも聞かずにヴァルターの助命を求めた。薬を大量に服用し、副作用に苦しみながらも、アダムスや参謀本部長にさえ掛け合った。しかし、結果は変わらなかった。世論が少しだけ、形にならないほどに微弱に、ヴェーラの声に耳を傾けたように見えただけだった。
「出会った時みたいに、明るい顔で見送って欲しいな」
「……できないよ」
ヴェーラは視線をヴァルターの爪先に固定して呟いた。レベッカは口を引き結んで宙を見上げていた。
「ヴェーラ、笑って見送ってやって欲しいんだ、俺をさ」
「できないよ……!」
ヴェーラは首を振った。何度も。その度に涙がこぼれた。
「笑って手を振ってバイバイなんて、できないよ! みっともないけど、かっこわるいけど、わたしは、泣き喚いていたい!」
そこから先の言葉は何も聞き取れなかった。ただ、ヴェーラが抱え続けてきた想いは、ヴァルターの胸に何度も深く突き刺さった。
レベッカはそんなヴェーラの背中を押す。ヴェーラはつんのめるようにして前に出て、そして、ヴァルターに抱き止められた。それと同時にドアが開いて、ハーディが現れる。
「離れなさい」
ハーディは銃を抜いてそう命じる。だが、ヴェーラはヴァルターの背中に指を立て、震えるほどの力で抱きしめた。ヴァルターも特に引き剥がそうとするようなことはなく、ヴェーラの頭を胸に抱いていた。
「もう一度言います。離れなさい、ヴェーラ」
「いやだ」
ヴェーラは首を振り、ハーディを睨んだ。
「その男は敵なのです。今や何をするかわかりません」
「そんなの、どうだっていい」
「よくは――」
「敵? 味方? それって何なの? 敵であるヴァリーはわたしにとっても優しい。でも、味方であるあなたたちは、わたしに何をしたの? 何をさせてるの?」
ヴェーラの詰問に、ハーディは表情を険しくする。
「こんなに薬漬けにして、判断力も奪って。毎日のように拷問みたいなことして。そしてヴァリーも奪うっていう。それが味方のすること? それで味方とかよく思えるよね」
「……ヴェーラ」
ハーディが両手で拳銃を構えた。その銃口はヴァルターの頭を狙っていた。
「離れなさい」
「いやだって言ってる!」
ヴェーラはヴァルターとハーディの間に入るように位置を変えた。ハーディは舌打ちをして構えを解く。
「撃つならわたしも撃ちなさい」
「何を――」
「わたしはもう疲れた。もう本当に、疲れた。ヴァリーを失うと分かっていて、それでも従わなきゃならない。こんな茶番にこれからも付き合っていくのかと思うと、心底わたしはわたしに幻滅する。わたしは何を得るためにこんなに犠牲を払っているのかって。もうほんと、馬鹿馬鹿しすぎて涙が出てくる」
ヴェーラはヴァルターから身体を離し、ハーディに向き直った。ハーディは無表情に溜息を吐き、銃をホルスターに収める。
「ハーディさん」
レベッカがヴェーラの隣に並ぶ。二人はしっかりと手を握り合った。
「私もヴェーラの言葉に同意します。ヴェーラは、好きな人と抱き合うことすら認めてもらえないんですか。私たちは恋する事すら許されないんですか」
「それは――」
「私たちは、人間です。私たちの人権はどこにいったんですか。私たちはただの兵器なんでしょうか。感情も持ってはいけない、壊れるまで使い倒される、ただの兵器なのでしょうか」
レベッカの新緑の瞳がハーディを捉える。ハーディは左手でメガネの位置を直し、首を振る。
「私個人の見解には意味がありませんが。私はルフェーブル大佐と同じく、あなたたちの側に立っている人間だと思っています。私は合理的な判断の
ハーディは壁際に歩いていくと、そこに背を預けて腕を組んだ。その目は厳しく三人を見ていたが、さしあたって銃には手を掛ける素振りはなかった。
「ハーディさん……?」
レベッカが怪訝な表情で、鋭い影を持つ女性将校を窺った。ハーディは一瞬だけ口の端に笑みを乗せた。
「自発的に離れて頂かない事には、私にはどうすることもできません」
そう言って肩を竦めた。
『そういうことだ』
突然、スピーカーからエディットの声が降って来た。三人が慌てて上の方にある制御室の方を見ると、窓の向こうにエディットの姿があった。
『私たちがお前たちにしてやれるのは、せいぜいこの程度だ。出発までまだしばらく時間がある。好きにしろ』
エディットはそう言い放ち、二呼吸ほどおいて付け加えた。
『ハーディに監視はしてもらうが。対外的なログとして必要なものでね』
「エディット……」
ようやくヴェーラもエディットとハーディの意図を理解した。さっきの一件は、エディットが仕組んだ芝居だったのだと。ヴェーラは唇を噛み締めて、両手を握り締めて、ハーディを見た。
「わたし――」
「時間は有限です、ヴェーラ。時間を使うべき相手は私ではない」
ハーディはわざとらしく左手の時計を見、そう言った。ヴェーラは頷き、ゆっくりとヴァルターの方を振り返った。そして、そのまま抱き付く。ヴァルターは左手でヴェーラの頭をそっと抱え、右手で優しく髪を撫でた。
「ヴァリー……わたし……」
「気付いてはいた」
ヴァルターは静かに答えた。
「だがな、俺は、俺には――」
「聞きたくない」
ヴェーラはイヤイヤをするように首を振った。
「今は、聞きたくない」
「……そう、か」
ヴァルターは少し手に力を込めた。ヴェーラもそれに呼応するかのように、背中に回した腕に力を入れてくる。
「わたし……あなたの全てを、知りたい。でも、それは、知りたくない」
「都合良い、話だな」
「都合が良いの。だって、聞いてしまったらそれは事実になってしまう」
ヴェーラはぼろぼろと涙をこぼしていた。溢れ出た涙が、ヴァルターの服に少しずつ染み込んでいく。
「だから。だからね、ヴァリー。また、会いたいんだ。あなたに最期なんて来ないから。絶対に、来ないから」
それはただの希望だった。一縷の望みとも呼べないほどの、儚い希望だ。ヴェーラは血を吐くようにして、尋ねた。
「また会える。会えるよね」
「ああ」
ヴァルターは肯いた。
「また、会えるさ」
でも、その時はきっと――。
ヴァルターはその言葉を飲み込んだ。
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