#15-リヴェンジ
#15-1:前段
政治による命の取り扱い
二〇八八年から九〇年にかけては、ヤーグベルテは圧倒的な勝利を収め続けた。その主な要因は、
海のナイアーラトテップには二隻の戦艦が。空のナイトゴーントには四風飛行隊が。それぞれ抑止力として機能した。
ヤーグベルテ大統領府は、ヴァルターに対して勲章を与える旨を発表した。無論、そこには政治的意味しか込められてはいない。言うまでもなく、ヴァルターはそれを固辞した。だが、ヤーグベルテにしてみれば、ヴァルターがそれを受け取ろうが受け取るまいが、さしたる違いはなかった。内外に対し「この男はそれほどの貢献をした」というアピールができさえすればそれで良かったのだから。
その工作は見事に効果を発揮し、ヴァルターが「オルペウスの開発に大きな役割を果たした」という事実は、アーシュオンを激震させた。
「スパイの容疑者で済ませりゃいいものを、本物の利敵行為を働いてくれちゃって」
暇を持て余したマーナガルム2、クリスティアンがブリーフィングルームの天井を仰ぐ。要塞都市ジェスターの軍施設は除染もすっかり終わり、破壊された建物の再建もほとんど完了していた。
「何か、事情があるはずです」
紙媒体の作戦報告資料をケースにしまいながら、シルビアが呟いた。フォアサイトが首を振りながら立ち上がり、「事情だって?」と、机の上に腰をおろした。
「事情が何であるにしたって、事実は事実じゃん。こっちが圧倒的に不利になる技術、ええと、オルペウスだっけ? そいつの開発に一役買ってるのは事実じゃん? そりゃもう、利敵行為以外なんて呼べばいいのかわかりゃしないよ」
「しかし――」
「シルビア、シカシもカカシもないわけよ。現に、ナイトゴーントどもがただの的に成り下がってくれたおかげで、あたしたちへのしわ寄せはすごいものがあるじゃない。こっちの軍、陸海空を問わず、信じられないような被害を受け続けてるんだ。それもこれも、ヴァリーのせいだ」
フォアサイトは吐き捨てる。
「ヤーグベルテがみすみすあいつを返してくれるとは思えない。返されたら返されたで、ウチの国としては銃殺刑にするくらいしかない。もうあいつの容疑は確定的だし、それによる損害は致命的だ」
「そうだな、フォアサイト。それによ、ヤーグベルテだって、オルペウスとやらが開発できちまったんだから、これ以上ヴァリーに固執する理由はねぇ。だけどよ、捕虜交換するにしても吹っ掛けてくるだろうぜ」
クリスティアンが唇を尖らせてそう言った。
「アーシュオンとしては、あいつに本気で寝返られちまったら困るからな。空の女帝と白皙の猟犬を同時に相手するとか、考えただけでもゾッとするぜ。だから、ヤーグベルテはさっさと高値で売り払いたいと考え、アーシュオンはさっさと死んでほしいと思っているわけ。わかる、シルビア?」
「……ええ」
シルビアは力なく机に上半身を預けた。フォアサイトは、そんなシルビアに近付いて背中をポンと叩く。
「まぁ、運よく帰って来られたとしても、銃殺刑。何か国家へのお土産でも持っていれば、それによっちゃ助かるかもしれないけどさ」
「みやげ?」
「そそ。歌姫とかいうヤツの命とか、戦艦ぶっ壊すとか、空の女帝を葬っちゃうとかさ、そういう物騒な系統の話」
フォアサイトは凄味のある笑みを浮かべてそう言った。
「私は、彼に生きていて欲しい。私は……」
「ヴァリーに想いの一つでも伝えるってか?」
クリスティアンが揶揄するように言った。シルビアはクリスティアンを鋭い視線で睨み付けた後で、はっきりと肯いた。
「それができなければ、私は死ぬに死にきれない」
「自己満足ってんだよ、それ」
「そうよ、フォアサイト」
シルビアは荒んだ笑みを浮かべた。
「私が今こうして軍にいる意味って、それしかない」
「うっす。薄っぺら!」
フォアサイトが手を叩いて哂った。シルビアはその
「なら、あなたの生きる意味は何なの、フォアサイト」
「さぁて。考えたこともないねぇ」
「クリス、あなたは?」
「俺もねぇよ。ヴァリーがいなくなって変わったと言やぁ、毎日が酷くつまらないものになっちまったってくらいか」
クリスティアンは無表情にそう言って、頭の後ろで手を組んだ。
「おっと、勘違いはすんなよ、シルビア。俺はな、心底あいつに幻滅してる。顔を見たら殴り殺しかねないくらいにな」
「クリス、しかし――」
その時、ノックもなしにドアが開いた。
「何を轟々とやりあっているんだ」
颯爽と入って来たのは、ミツザキ大佐だった。ミツザキは軍帽を脱ぐと、左の脇に抱えた。
「おやまぁ、大佐がわざわざ自ら――」
「軽口は結構だ、シュミット大尉」
ミツザキはそう言うと、復旧がほぼ終わった滑走路の様子を眺めた。多数の
「大佐」
シルビアがその背中に声を掛けると、ミツザキはゆっくりと振り返り、軍帽を両手で弄んだ。そしていきなり核心を口にする。
「捕虜交換が正式に決定した」
「捕虜交換……!」
シルビアは目を見開いた。フォアサイトとクリスティアンは、互いに顔を見合わせる。その顔に、特定の表情は浮かんではいない。
ミツザキはその真っ赤な唇の口角を上げた。
「相手方は、ヴァルター・フォイエルバッハ。こちらは四風飛行隊の捕虜十四名。ほぼ先方の要求を飲んだ形だ」
「そりゃまたヤーグベルテに都合のよろしいことで」
「そうでもない」
ミツザキはクリスティアンの言葉をやんわりと否定する。
「これ以上、奴に実験とやらに協力されてはかなわん。おそらくオルペウスは改良されていくだろうし、四風飛行隊の全機に搭載されるのも時間の問題だ。そして我々は何より、奴が寝返ることを危惧している」
「処刑するためだけに、取り返そうと……?」
シルビアが声を詰まらせながら尋ねた。ミツザキは至極当然のごとく肯いた。
「我が国は、奴に対するネガティヴキャンペーンを展開しまくったからな。今さらそれを撤回するような胆力のある奴は、政治屋にはいないだろう」
「政治の都合で、そんな……」
「許されるのだ、ハーゼス大尉」
ミツザキはその赤茶の瞳でシルビアを
「アーシュオンは、内情はともかく、表向きは民主国家だ。シビリアンコントロールという大衆迎合システムの前には、軍人個人の都合や人権など、あまりにも小さい」
「しかし――」
「今日は野暮用ついでにそれだけを伝えに来た。最期には会えるように取り計らっておく」
ミツザキはそう言うと、軍帽を被り直して軍靴の音も高らかに部屋を出て行った。シルビアは椅子を蹴って、ミツザキを追った。
「大佐、お待ちください!」
「……なんだ?」
ミツザキは足を止めて振り返る。
「ヴァリーは、彼は、もう助からないのでしょうか」
「まぁ、そうだろうな。助かる理由があるというのなら聞くが」
ミツザキはまた歩き始める。シルビアはそのすぐ左斜め後ろにつく。
「一度。一度だけでもチャンスを与えることはできませんか」
「チャンス?」
「空の女帝を、エウロスの隊長を撃墜するチャンスを、です」
「ほう?」
ミツザキはその歩みを止めぬまま、横目でシルビアを窺う。ミツザキのスピードに苦労してついていきながら、シルビアは頷いた。
「それができれば、彼に掛けられた嫌疑も解ける。オルペウスの件もヤーグベルテの喧伝であるということができるのではありませんか」
「だが、裏切り者に戦闘機を与えるわけにはいかんだろう」
「……不審な動きを見せたら、私が、撃ちます」
「ほう……」
ミツザキは顎に手をやって、そして軍帽を被り直す。
「正直に言って、私もヤツ程の人材をみすみす失うのは惜しいと考えている。摩耗しきった我が軍に於ける最強の
「人間として……?」
「ああ、口が滑った」
ミツザキは左手を軽く振った。しかし、シルビアはミツザキの冷たい横顔を凝視していた。その顔に浮かぶ僅かな感情をも読み通そうとするかのように。
「ハーゼス大尉、良い言葉を教えてやろう」
ミツザキは唇の端をきゅっと上げた。
「深淵を覗くのであれば、深淵からも覗かれる覚悟をすることだ。さもなくば、奈落の縁から
立ち止まったミツザキは、そう言って冷たすぎる微笑を浮かべた。あまりにも整った完璧な微笑みを受けて、シルビアは総毛立った。名状し難い恐怖のようなもの――そんなものが、シルビアの爪先から髪の先までを這い上がった。
「案ずるなとは言わんが」
ミツザキはその繊細な指先でシルビアの右肩に触れた。思わず身体を硬直させるシルビアに、ミツザキは「ふふふ……」と笑みを漏らす。
「私もそのように計らってみよう。興味が湧いた。なに、情報部の連中も手を出すことはないだろう。あいつらにとって、あの男はもはやつまらん相手だ。銃殺刑は既定路線なのだからな。軍部は高価な戦闘機を無駄にするつもりかと言うだろうが」
ミツザキはシルビアの肩に触れたまま、ニヤリと笑った。
「なに、
「……ありがとう、ございます」
シルビアは頭を下げた。ミツザキは「ふん」と鼻を鳴らしてまた歩き始める。
「貴様の覚悟、本物だろうな」
「私は、彼を助けられる可能性があるのなら、私の命を賭けても良いのです」
「そうか」
ミツザキは短く答え、そしてシルビアを残して歩き去った。
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