復讐心の行方

 奥さんのこと、赤ちゃんのこと、ごめんなさい――。


 ヴェーラの言葉が頭の中でぼんやりと反響し続けている。


 午前中の実験の後で、ヴェーラがヴァルターの所へ駆け寄ってきて、そう言ったのだ。その時は何も言えなかった。今でもなんて返せば合格点だったのか、わからないでいる。


 収容所の部屋の中で、ヴァルターは悶々とする。


 かつてエルザに問われたことを、今になって鮮明に思い出す。


 ――あなたがどこかで戦っている時にこの街が燃えてしまって、私も父さんも母さんも殺されてしまったとしたら、あなたはどうしてくれる?


 ……俺には何もできやしなかった。その言葉通りになってしまったけれど、俺は戦い続けて、そして捕虜になって……。


 ――泣く? 怒ってくれる? それとも何とかして諦める?


 やっぱり俺は怒った。涙は出なかった。未だ現実を受け入れられていないのかもしれない、もしかすると。だって君の亡骸を見たわけじゃないし。


 ――誰に対して怒るの? ヤーグベルテの兵隊に対して? それとも、国民を守れなかったアーシュオンに対して?


 全部……だったかもしれない。あまりに漠然とし過ぎていて、方向性がよくわからない。もしかして、全てに対して怒っているのかもな。


 ――それをしたのか分かったとしたら。私を殺した人がにいたとしたら。あなたはどうする? どうしてくれる?


 ……わからない。


 ヴァルターはエルザの美しく整った顔を意識から振り払った。いや、エルザなんかじゃないのかもしれない。それはもしかすると、死神というヤツの姿なのかもしれない。そんな風にふと、ヴァルターは思った。


 ヴェーラとレベッカが、なぜ、で核の雨を降らせることになったのか。その顛末はエディットから聞いていた。それがいよいよ、ヴァルターを悩ませた。だが、その話を聞いて、ヴァルターの中からは、ヴェーラとレベッカへのわだかまりのようなものは霧消した。あの二人はより多くの悲劇を避けるために、を選ばなければならなかっただけなのだ。それを責めることはできなかった。エルザというかけがえのない人を失った辛さはある。


「だが、俺たちは戦争をしているんだ――」


 ヴァルターは勢いよく立ち上がり、コップに水を注いで一気に飲んだ。


 エルザが核に焼かれた事実を「仕方ない」では済ませたくない。だが、ここであの二人を憎んで何が生まれるというのか。エルザだって、そんなことはきっと望まないだろう。


 その時、ヴァルターの部屋の鍵が開けられた。


「失礼するぞ、フォイエルバッハ少佐」


 顔を覗かせたのはエディットだった。その無遠慮な態度にも、ヴァルターは慣れ切っていた。そもそもこんなプライベート空間を与えられているだけでも、ヴァルターにとっては厚遇も良い所だったのだから。


「午後の実験か?」

「いや、面会だ。それをさせねば実験には出ないと駄々をこねる奴がいてな」


 エディットは肩を竦めた。すると、そのエディットの横を通り過ぎるようにして、ヴェーラとレベッカが室内に入って来た。


「え、ちょっと待て。ここでか?」

「なに、今日は私も同席する。貴官に関する申請関連は私に一任された。手続き上の問題はない」


 エディットは外の憲兵たちに二言三言声を掛け、そしてドアを閉めた。ヴァルターはソファをヴェーラとレベッカに譲り、自分は窓を背にして立った。晩夏の日差しが背中を焼いた。


「ヴェーラ、レベッカ、謝罪は不要だぞ。もうあれは俺の中の問題だ。お前たちがどうこうしたところで何も変わらないし、何より俺がそんなものを求めてはいない」


 ヴァルターは先手を打ってそう言った。ヴェーラはヴァルターを見上げて、頷いた。そこでレベッカがぽつりと言う。


「強い……ですね」

「強い? 俺が?」


 ヴァルターはその意外な意見に驚いた。


「俺が本当に強かったのなら、あの時戦艦にぶつかっていただろうさ。だが結局はこのざまだ。捕虜になった挙句、実験に協力すらしている。こんなのはつまり、自分可愛さゆえだ」

「今でも、アーシュオンに帰りたいのですか?」

「そりゃぁ」


 ヴァルターは二人から視線を逸らす。ドアに背を預けて立っているエディットと目が合った。ヴァルターは「ふぅ」と息を吐く。


「仲間がいるところに帰りたいと思うのは当然だろう?」

「でも、アーシュオンは……」

「お前らが思うほど酷い国でもないさ、きっとな。それに、ヤーグベルテにいる限り、俺は二度と空を飛べないだろう。そいつはまっぴらごめんだ」

「でも、アーシュオンに帰ったって……」


 レベッカの言葉はかすれて消える。ヴァルターはまたエディットを見た。


「今の所、アーシュオンにも貴官の居場所はないな。貴国は貴官のことをスパイであると断定している。どういうわけか、貴官が我が軍の実験に協力しているということも、ある程度の確度でもって伝わっている」

「まぁ、そうなるな」


 情報がリークされたことについては、別に驚くには値しない。よくあることだ。


「……だったら、帰らない方がいいじゃない」


 ヴェーラがかすれた低い声で言った。


「スパイなんでしょ? 国に帰ったら銃殺刑なんだよね? アーシュオンに帰ったって、空なんて飛べないよね、普通に考えて!」

「そうかもしれない」


 マーナガルムの面子だって、今や影響力は限られているだろう。


「だったら!」


 ヴェーラは立ち上がった。そしてヴァルターの目の前へと歩いてくる。ヴァルターの視界の隅で、エディットが拳銃を抜いたのが見えた。ヴェーラはそんなことに気付くことなく、ヴァルターの手を取った。


「だったら残ってよ!」

「ヴェーラ……?」


 戸惑うヴァルターの手を、ヴェーラは力いっぱいに握り締める。


「わたしに罪滅ぼしの一つもさせてよ! ねぇ! 思う存分謝らせてよ!」

「ヴェーラ、落ち着いて」


 レベッカも駆け寄ってきて、ヴァルターの手に爪を立てているヴェーラを引きはがしにかかる。が、ヴェーラは全身の力でレベッカに抵抗した。


「国に帰っても、仲間にも会えないかもしれないでしょ!? そのまま処刑台送りかもしれないんだよね!? だったら、ここで、ヤーグベルテでずっと実験してようよ!」

「それは……」


 俺の決められる事じゃないと、ヴァルターは首を振る。しかし、ヴェーラは納得しない。まっすぐにその澄んだ蒼い瞳でヴァルターを見上げている。


「何年かしたら、きっと平和になるから! そしたらあなたのスパイ容疑とか、どっか行っちゃうから! ね? だから、それまでここにいよう?」


 そのヴェーラの横顔を見て、レベッカはハッとした。気が付いたのだ。


 これは、ヴェーラの初恋なのだと――。


 しかし、ヴァルターはかたくなだった。


「帰りたいんだ」

「わたしは、あなたにしたことを一生償ったって良い。何を言われても思われてもされても良い。それでも足りない? わたしはあなたを殺させたくない。何が何でも生きていて欲しい!」

「お前の気持ちは十分すぎるほど伝わった」


 ヴァルターはヴェーラの指を解く。ヴァルターの白皙の両手は、ヴェーラの爪が食い込んだ痕で真っ赤になっていた。


「でも、俺にはがいる」

「そんなに、、なの?」


 ヴェーラが唇を噛みながらヴァルターを見上げた。ヴァルターはその至近距離の瞳に気圧されることなく、少しだけ笑った。


「そう、だな」


 大切な人……か。


 ヴァルターはシルビアの顔を思い出す。だが、「違う」と心の中で否定する。俺には、エルザしかいない。エルザだけだから……。


「わたしは……」

「ヴェーラ、俺なんかに固執するもんじゃない。俺はいまや亡霊みたいなものだ」

「そんなこと――」

「なら、一つ約束してくれよ」


 困ったような表情を見せつつ、ヴァルターはヴェーラの肩に手を置いた。


「セイレネスで、平和を実現させてくれ。いつか」

「え……」


 ヴェーラは言葉に詰まる。ヴァルターは頷いた。


「兵器は、それ以上にもそれ以下にもなれない。でもそれは多分、もう過去の話だ。お前たちがセイレネスだというのなら、セイレネスはきっと兵器以上のものになる。平和のための剣とか、そんなチープなものじゃなく」

「でも――」

「できるかどうかは、やってみなけりゃわからないだろう?」


 ヴァルターは穏やかな声音でそう諭す。


「セイレネスでしたことを悔いているというのなら、セイレネスを使って償え。セイレネスなんてものに操られるな。あんな不気味なものに主導権イニシアティブを取られるな」


 ヴァルターは力を込めてそう言った。ヴェーラは睨むようにしてヴァルターを見つめていたが、やがて、小さく頷いた。


「わかった。でも」


 そして唇を噛む。


「わたしはあなたを助けたい」

「ありがとう、ヴェーラ」


 ヴァルターはヴェーラの左肩に右手を置いた。ヴェーラは何度か首を振り、そしてその手を取って、離した。


「あとは、政治の話なんだ、ヴェーラ。俺たちでどうこうできる世界じゃないのさ」

「わたしにもっと力があれば……」


 ヴェーラは低い声で呟いた。ヴァルターはそんなヴェーラを柔らかな視線で見つめている。


「ヴェーラ、お前の気持ちは痛いくらい伝わっている。なに、俺だって死にたいわけじゃない。命を粗末にはしないさ。可能な限り、最大限に足掻いてみせる」

「ヴァリー……」


 ヴェーラは顔を伏せ、奥歯を噛み締めた。口元を押さえる右手が震えている。


「ルフェーブル大佐、私見でいいが聞かせてもらえるか」

「なんだ」


 それまで退屈そうに拳銃を眺めまわしていたエディットが、視線を上げる。


「時間はまだ、あるのか」

「案ずるな、実験プログラムはまだ山ほど残されている」


 エディットは僅かに口角を上げた。浮かんでいるのは微笑みではなく、冷たすぎるほどに皮肉な笑みだった。


「一年か、或いは二年か。稼げてもそのあたりが限界だろうがね」


 一年か、二年――。


 それはヴァルターの命のタイムリミットだ。ヴェーラは嗚咽を隠さない。エディットは拳銃をホルスターに収めて、扉に寄りかかって腕を組んだ。


「ヴェーラ・グリエール。お前の役割は泣くことか? お前にできるのは泣くことだけなのか?」

「エディット……」

「いくら泣いたっていい。いよいよとなれば、私が全て受け止めてやる。だがな、まずはその男の言うことを聞いてやれ。セイレネスを誰よりも扱えるようになれ」


 エディットの静かな言葉を、ヴェーラは受け止めきれない。


「抑止力なんてちっぽけなもんじゃない。セイレネスは、もっと大きな力になるだろう。それをどう使うかなんて、その時にはきっともう、私たちには決められない。お前が、ヴェーラ・グリエールが、決めるんだ」

「わたしが……決める……」


 ヴェーラは俯き、拳を握りしめた。


 時間だけが淡々と進んでいった。

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