#14-2:sense of guilt

重たすぎる罪の石板

 家に帰ってからも、ヴェーラはリビングのソファの上で膝を抱え、じっとテレビを見つめていた。一言も発さず、レベッカが入れてくれた紅茶にも口をつけず。時刻は午後五時。まもなく日が暮れる頃だ。


「ねぇ、ヴェーラ。気に病んでもどうにもならないんだよ? 仕方がなかったんだよ?」

「仕方がないで納得とか、できるわけないし」

「でも――」

「だから」


 レベッカの言葉に割り込み、ヴェーラは言う。その目だけが動いてレベッカを捉えている。薄暗くなってきた部屋の中でも、その眼光は異様に鋭く光って見えた。


「だからね、ベッキー。わたしは、自分のしたことを受け入れなきゃならない。だから今、その努力をしてる」


 ヴェーラは自分の胸を押さえ、肺に溜まった空気を押し出そうとするかのように力を込めた。


「わたしはね、今、わたしが殺した人たちのことを考えてる。目を逸らし、耳を塞いでいた自分に、さっき気が付かされたから。確かにわたしたちは見た、聞いた。でも、それは理解したということとは雲泥の差のあることだった」

「でもそんなことしても! どうしようもないじゃない!」


 レベッカはヴェーラの隣に腰を下ろし、その両肩を揺さぶった。ヴェーラの髪が大きく乱れる。


「どうしようもなくなんてない!」


 ヴェーラはレベッカの手を振り払った。


「これはね、わたしの中の、わたしの気持ちの問題なの!」


 その声は鋭かったが、感情らしい感情は見えなかった。レベッカはたまらずヴェーラの肩を抱く。その身体を強く抱きしめる。


「そんなことしてたら、あなたが壊れてしまうわ! ダメ、やめるの!」

「わたしがこの手で殺した三百数十万。その何倍かの怪我した人。その何倍かの家族や大切な人。その苦しさ、哀しさ、痛み。わたしにはそれを受け止める義務があるんだ!」

「目を覚まして、ヴェーラ!」


 レベッカは両手でヴェーラの頬を押さえる。ヴェーラはその手を引きはがそうとしたが、レベッカは歯を食いしばってそれに抵抗した。


「私たちはこの先も、また同じことをするかもしれない。させられるかもしれない。それに、それだけじゃないよね? 私たち、船だってたくさん沈めた。飛行機だってたくさん落とした。殺してきたのよ、他にもたくさん。それを全部受け止めるの? 全部理解しようとするの? 全部、全部……」

「それでも」


 ヴェーラの目は澄んだガラス玉のように透き通っていた。


「それでもね、わたしは受け止めたいんだ。自己満足だと言うなら言えば良いよ。無駄だとか無理だとか言いたいなら、言っていれば良いんだ。それでもね、わたしは殺してきた人たちを思う。知りたいと思う。受け止めなきゃって思う」

「できないのよ、そんなことは!」


 レベッカはヴェーラの頭を胸に抱きしめた。ヴェーラは逃げようとするが、レベッカの腕は力を緩めない。静かな全力の攻防が、そこに発生していた。


「いい、ヴェーラ。私たちの心は小さすぎるのよ。それだけの人のことを受け止めるには! 私たちはそんなに強くないの。心なんて脆いものなの」

「だったらさ! わたしなんて壊れちゃったって良いんだよ! さっさと壊れた方が良いんだよ! そうでしょ、だって、わたしたちは殺したんだよ? 大勢の人を。この手で。何も知らず、何も知ろうともせずに、ただ命令だからって理由で。たくさん、たくさん殺したんだよ!」


 知っていたら、できなかった……だろうか。知っていたら、命令を拒絶できていただろうか。レベッカは自問する。だが、答えは出ない。


「ヴェーラ」


 レベッカはさらに腕に力を込めた。ヴェーラはなおも逃げようともがく。


「私ね、あなたの言うことは理解できる。でもね、それは私たちが感じるべき重さなんかじゃない。そんなのはね、自己満足って言うの。無理な事なの。それにね、そうしたからって、誰がどうなるものでもないの。そんなことで壊れちゃうなんて、私の大切なあなたが壊れちゃうなんて、私には耐えられない。無駄とか、それ以前の問題なの。わかって、どうか」


 レベッカは囁く。ヴェーラの抵抗が弱まる。


「ベッキーは平気なの?」


 涙声が、レベッカの胸の方から聞こえた。


「わたしは、あの人の、ヴァリーの大事な人を殺したのよ。お腹の中の赤ちゃんも。ご丁寧に三発も撃ち込んで、私はあの人の奥さんを消し飛ばしたのよ」

「そんなの、偶然じゃない。偶然なのよ」

「偶然で殺されてたまるか!」


 ヴェーラはレベッカの手を勢いよく振り払って立ち上がった。


「そう、偶然だよ。確かに偶然さ。偶然なんだよ、全部。でもね、わたしたちがこうなっているのは偶然と言える? こういうことをしちゃっているのは、これからもしていくことは、偶然?」

「それは――」

「どうしようもないんだ。しなきゃならないんだ。ヤーグベルテの人々を守るために、ヤーグベルテの人々が平和で生きられるようにするために、わたしたちはわたしたちの役割を果たさなきゃならない。それしかないから。わかってる。わかってるんだ、そんなこと。そして、多分死ぬまでやめられないってことも、わかってる」


 アーシュオンとの停戦でもなければ。いや、本当の世界平和がやってきてでもくれなければ。それはきっと、歌姫セイレーンとして、死ぬまで歌い続ける必要があるということだ。声が枯れようが、涙に嘔吐えずこうが、人々は歌い続ける事だけを望むだろうということだ。


「でも、だったら! わたしはわたしに出来ることをしたいんだ。そうじゃなきゃ、胸が痛い。痛いんだよ。つらいんだよ……!」


 ヴェーラのガラスの瞳から涙が流れ出る。


「わたしは、わたしは、いったい何をしたの? 何をしてきたの? 何を、していくの……」

「ヴェーラ……」


 レベッカは言葉に詰まった。無力だと感じた。ヴェーラは問い掛けてきているだけなのだ。レベッカが答えられないと知った上で。


「わたし、あの人の大事な人を殺したんだ。それだけじゃない。あの人の心の一部も殺したんだ。想像してもみてよ。亡骸すら見れなかったんだよ? 最後の姿も、声も、思いも、何にも伝えられないままなんだよ? だからわたしは」

「でもそんなことしたって!」

「無理とか無駄とか、もうイヤだ! ベッキー、君は何もしていない! 現状に諾々だくだくと従って、してきたことを見ないふりして! これからすることにだって、敢えて従っていくんだよね。その罪の重さも、十字架の大きさも見ないようにして。気付かないようにして。違う!?」


 いつになく激しい語気に、レベッカは気圧された。右目から涙がこぼれた。でも、黙っているわけにはいかないとも、思った。


「私は、私だって、あなたと同じことを考えたわよ! でもね、できないのよ。どう考えても無茶なのよ。私には受け止めきれない。私は自分を壊してしまうほど、自分を追い込むことはできない。臆病と言うなら言ったら良いわ! 私は臆病なんだから。それは事実なんだから。だから、知ることなんてできない。顔を、声を、仕草を。そんな事知った人を殺すなんてできないから。だから気付かないふりもする。見ていないと信じようとする。見てきたモノを悪夢だったねで片付けようとさえするわ!」

「だったら、ベッキー、君の分までわたしが背負う」

「バカなことを言わないで!」

「こんな大虐殺、誰も責任を負わないなんておかしい! でしょ!? 命は何よりも大切なんだ。それを容易く奪えるわたしたちは、存在からしてどうかしてるんだ!」

「それは私たちの責任じゃないでしょう!?」


 レベッカは立ち上がってヴェーラの肩をがっちりと掴んだ。ヴェーラは煩げにそれを振り払おうとする。しかし、レベッカは歯を食いしばって耐えた。


「それに、大虐殺の責任を負うべきは、命令を下した人。参謀部のあの人でしょう!? 元をただせばアーシュオンの大空襲でしょう!?」

「でも今最強なのはわたしたちだ。わたしたちが責任を取らなければ、誰が首を斬られたってそんなものはパフォーマンスだ!」

「冗談じゃないわ!」


 レベッカはヴェーラの頬を叩いた。力いっぱい。


 ヴェーラはその重たすぎる一撃で、ソファに叩き付けられた。


「やったな……!」

「私にはね、あなたも私自身と同じくらい大切なのよ! だから、そんな大切なあなたが壊れていくのをみすみす見逃すわけにはいかないの!」

「なら!」


 ヴェーラは立ち上がり、レベッカの後頭部に手を回して髪を思い切り引っ張った。レベッカは歯を食いしばって痛みに耐える。ヴェーラはレベッカに顔を近づけて、叫んだ。


「なら、君も一緒に壊れてよ!」

「イヤよ! 私は壊れたくない! 絶対にイヤ! この手がどんなに罪にまみれようと、どんなに咎人とがびとだとそしられようと、私は自分を守りたい! 絶対にイヤよ、私は壊れたくない!」


 レベッカは血を吐くような語勢でそう言った。ヴェーラはそんなレベッカを凍てついた蒼い瞳で凝視する。レベッカの身が竦んだ。でも、レベッカは黙らなかった。


「あなたにどう思われたって構いはしない! これが私の意志。私は、私が壊れるのも、まして、あなたが壊れるのも許さない。絶対に。絶対によ! だからもうあなたを彼には会わせない。エディットに言うわ!」

「それは君に決められるようなことじゃない。君がそう言うのなら結構。わたしはわたしのやり方で生きる。邪魔はさせないから!」


 ヴェーラが絶縁状を叩き付けてきた――レベッカは確かにそう感じた。

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