歌姫との面談

 カティを交えた実験の後、ヴェーラとレベッカ、そしてヴァルターは、施設内にある小さな会議室に場所を移していた。ちなみにカティは空軍司令部からの緊急の呼び出しに応じて早々に出て行ってしまっていた。


 一応体裁上はこれが歌姫セイレーンと捕虜の初めての会話の機会、ということではあるのだが、同じ部屋で幾度も実験をしているのだ。エディットの目を盗んでの会話程度なら幾度もしてきている仲ではある。ブルクハルトはそんな事には全く関心がないので、気付いても止めようとはしなかった。


「今日はゆっくりお話ができるね」

「話、ねぇ」


 ヴァルターは手近な椅子に腰を下ろす。ヴェーラとレベッカも直径二メートルほどの円卓を挟んだ反対側に腰を下ろした。


「わたしたちは、あなたに興味があるの」

「興味?」

「うん。今日の実験で、ますます興味が湧いたよ。カティとすごく似てるんだよ、あなたは」

「あの女帝と?」


 ヴァルターは少しだけ身を乗り出した。ヴェーラはレベッカを窺い、レベッカは肯きを返す。


「セイレネスで触れた時、そのの調子、仕掛けられる攻撃のタイミング、隙……そういったもの全てが良く似ているんです」

「うんうん」

「そう、なのか」


 ヴァルターは二人の歌姫を交互に見た。美しい少女たちだった。もしかしたら二十歳くらいなのかもしれないが、それでもまだ少女の域を脱していないように見えた。二人は白いブラウスと濃紺のタイトスカートを身に着けていた。海軍の夏服なのだろう。階級章はついていない。二人が軍服を着てくることはたまにあった。だが、基本的には自由らしく、今時の女の子たちが着るような服を着てくることが多かった。二人はヴァルターが見たこともない程の美少女であったから、どんな服装でも十二分に似合っていた。


「ヴァリー?」

「えっ」


 ヴェーラに愛称で呼ばれて、思わず思考を引き戻される。


「ヴァリーでいいかな? フォイエルバッハ少佐だと、なんか堅苦しくて」

「堅苦しい名前で悪かったな」


 ヴァルターはそう言いつつも「好きにしろ」と右手を振った。


「じゃぁ、わたしのことはヴェーラでいいよ。ベッキーはベッキーでいいんじゃないかな?」

「ちょっとヴェーラ、勝手に進めないでよ。しかもなんか適当だし」


 レベッカは唇を尖らせて抗議した。ヴァルターは調子を狂わされていることを自覚しつつ、すっかり伸びてしまった前髪を掻き上げた。


「改めて……といったところか。よろしく頼む、ヴェーラ、ベッキー」

「よろしくね、ヴァリー」

「よろしくおねがいします」


 二人は天使の微笑みを見せた。


 それからはしばらくはお互いの距離感を探るような会話が続いた。


 そしてやがて、双方の被害についての話題に移る。


「三百万、か」


 ヴァルターは首を振った。ISMTインスマウスによる空襲によって与えた損害については、もちろんある程度知っている。四風飛行隊ボレアスの基地があったセプテントリオの殲滅についても、アーシュオン中央参謀司令部は随分と派手に戦果をアピールしていた。だが、それはあながち誇大なものでもなかったのだ。


 それを知って、ヴァルターは改めてISMTインスマウスなる兵器の恐ろしさに身震いした。だが――。


「三百万というのは、俺の国だって同じだ。核を何発撃ち込まれたと思ってる」


 ヴァルターが言うと、ヴェーラとレベッカは顔を見合わせて沈黙した。ヴァルターは息を吐きつつ、指の骨を鳴らした。そして首を回すと、今度は頸椎がバキバキと音を立てた。


「トゥブルクという町については知っているか?」

「トゥブルク……」


 ヴェーラは何度かその名を繰り返して「あ」と顔を上げた。


「ジェスター要塞の隣の町だ。ええと、確か――」

「あの町は文字通り全滅した。俺の妻と妻の両親も、死んだ」

「えっ……!?」


 ヴェーラは思わず腰を浮かせた。そのヴェーラの右手を引っ張って、レベッカは着席を促す。しかし、ヴェーラは動かなかった。そのこめかみにはうっすらと汗が浮かんでいた。


「ふぅ」


 ヴァルターは熱くなりかけた息を吐いた。脳の温度が急激に下がっていくような気がした。


「やっぱり、お前たちか」

「べ、ベッキーは悪くないんだから! やったのはわたしだから!」


 ヴェーラはいよいよ完全に立ち上がり、自分の胸に手を当てた。ヴァルターはその勢いに苦笑し、首を振った。


「いいんだ。きっと苦しむこともなかっただろう。爆心地だったらしいから」

「ご、ごめんね……」


 ヴェーラは深く頭を下げた。そんなヴェーラの背中を、レベッカは優しくさすっていた。しかし、その表情は険しい。ヴァルターは言った。


「謝ってもらって、何かが解決するわけでもない。わだかまりが増えるだけだ」


 ヴァルターはまた髪に手をやった。なんとなく落ち着かない気分になっていた。


「それに、謝ったからと言って、次がないわけじゃないだろう」

「そうだけど――」


 ヴェーラは座れなかった。膝が固まっていた。


「それに、恨むなと言われても、それは無理な相談だ。だがな、俺たちは戦争をしているんだ。ルール無用の戦争をね、迷いもなく、まっすぐに」


 淡々とそう語るヴァルターだったが、ヴェーラにも、レベッカにも、その胸中を名状し得ない何かが吹き荒れているのが見えていた。見ているだけで心がざわつく。それほどに激しい嵐だった。


「俺は戦場でまたお前たちに出会ったら、躊躇なく引き金を引くだろう。それが一番簡単だからな」

「今は?」

「今?」


 意外な問いをされ、ヴァルターは目を丸くした。ヴェーラは目を上げ、ヴァルターをその空色の瞳に捉える。


「刺し違える覚悟があるなら、今、わたしたちを殺すくらいわけないでしょ?」

「馬鹿を言うな。ここは戦場じゃない」


 ヴァルターは憤然として答える。ヴェーラは「そうかな」と首を傾げた。レベッカはおろおろと二人の間に視線を彷徨わせている。


「わたしたちはきっと、これから何千、何万って数の人を殺すんだよ? アーシュオンの人にとっては何処までも追いかけてくる悪夢のような存在になるんだ。あなたが自国民の事を考えると言うなら、仲間の事を思うと言うのなら、今ここで、わたしたちの首の骨でも折ってしまえばいい。もちろん、あなたもただでは済まないだろうけど」

「やらないさ」


 ヴァルターは肩を竦めた。


「やろうと思えばできるだろう。廊下の憲兵が飛び込んでくるまでの間に、お前たち二人を殺せと言われれば、可能だろう。だがな、俺は飛行士アビエイターだ。俺の戦場は空だ」

「でも――」

「くどいぞ、ヴェーラ・グリエール。俺は戦闘機に乗ってる時にしか人を殺さない。これは飛行士のプライドだ。どれほどお前たちを恨んでいようが、俺はお前たちを手に掛けたりはするつもりはない。やるなら戦場で、あの戦艦ごと葬ってやる」


 ヴァルターは語気荒く言い、そして、椅子の背もたれに体重を預けて天井を見る。


「まぁ、正直、はらわたは煮えくり返ってる。エルザのためにも何かしなくては、とも思う。だが、それはきっとそんなことじゃない。お前たちの国の三百数十万。俺たちの国の三百数十万。それだけの死を無駄にしない、土足で踏みにじらない、ただ一つの方法がある」

「ただ一つの……?」

「そうだ」


 ヴァルターは身を起こし、テーブルに両肘をついた。


「戦争をやめることだ」


 ヴァルターの口から出たその言葉に、ヴェーラとレベッカは絶句する。


「もっとも、そう簡単にはいかないだろうが。だが、セイレネスは戦いを変えるだろう? 良かれ悪しかれ、何らかの大きな変化を起こすだろう? 戦争の方略は撹拌かくはんされる。戦略は変わる」

「でも、そんな簡単には行かないよ」

「お前たちがそんなことを言っていてどうする。セイレネスは圧倒的だ。ISMTもクラゲも、セイレネスがいる以上、もはや圧倒的ではない。だから、何もかもを利用しろ。そうすれば或いは、戦争は終わるかもしれない。一時的とはいえ、握手を交わす瞬間がくるかもしれない」


 ヴァルターは静かに語る。ヴェーラもレベッカも手を繋ぎ合ったまま、じっとその話を聞いている。


「それに、そうなれば、俺も無事に国に帰れるだろうしな」

「ヴァリー……」


 ヴェーラは噛み締めるようにその名を呼んだ。


「奥さん、殺しちゃったんだね、わたし」

「腹の中の子どもも一緒にな」


 ヴァルターはさらっと答えた。その瞬間、ヴェーラの両目から涙がこぼれた。


「うそ……。わたし……」

「泣くなよ、ヴェーラ」


 ヴァルターは腕を組み、天井を見上げた。そしてそのまま、じっと目を閉じる。ヴェーラのすすり泣く声と、レベッカの「だいじょうぶだから」という囁きだけが、延々室内を支配する。


「ベッキー……」

「なに?」

「わたしたち、何を見てたんだろう? わたしたち、見てたのは、数?」

「そんなことない」


 レベッカがかすれた声で否定した。


「私たちが見たもの、聞いたもの。それは数字なんかじゃなかったでしょ!」

「ちがう!」


 ヴェーラはこれ以上ないくらいの大きな声で、レベッカの言葉を否定した。窓ガラスがビリビリと震えるほどの声だった。レベッカは首を竦め、ヴァルターは驚いて目を開けた。


「名前も知らない。顔もよく見えない。その人たちの生活も、何も知らない。わたしたちは最後のあの瞬間の、苦しみと驚きを目にしただけ。大勢の、何百万もの人の痛みを目にしただけ。だから、わたしたちは何にも知らないんだ。ネットの情報をちょっとだけ具体的にしただけの、そんなものに触れただけで。だから、わたしたちはきっと何も理解できてないんだ」


 ヴェーラの口調は強かったが、底知れぬ冷たさがあった。レベッカは言葉を失い、ただ潤んだ目でヴェーラを見つめることしかできない。


「わたしは多くの人を殺した。敵とか味方とか、軍人とか民間人とか、そんなのどうでもよくて。でも、わたしはんだ」

「私たち、だよ、ヴェーラ」

「違うよ、ベッキー」


 ヴェーラは首を振った。その蒼い瞳には、レベッカの心の中を見通しているかのような深さがあった。レベッカは息を飲む。


「ヴァリーの奥さんと子どもを殺したのは、わたし。それは、事実なんだ」

「でも私だってたくさん……!」

「数じゃないんだ」


 ヴェーラは冷たい表情でヴァルターを見た。


「わたしにとって今一番大切な人は、ヴァリーの奥さんと、赤ちゃん。だって、私が唯一その存在を確かに知っている人だから。わたしは、多くの人を殺した。ベッキーもその何分の一かは殺した。でも、わたしは」

「ヴェーラ、それは違うわよ」


 レベッカはヴェーラの背中を撫でながら、諭すように言った。


「背負わせて、私にも。私たちはいつだって二人一緒だった。だから、全部半分ずつにするべきなのよ」

「そうだな、ヴェーラ」


 ヴァルターはゆっくりと立ち上がった。


「お前がそうやって一人で抱え込むなんてのは、フェアじゃない。お前が罪の意識に潰されそうになっているのはよく分かった。だがな、そんな必要はない」

「必要なくなんてない」

「ないと言っている」


 ヴァルターは首を振る。


「これは戦争だ。そして、お前たちはだ。兵器が罪を着せられるなんて馬鹿げた話だ。悪いのは、お前たちにそんなことをさせた大人だろう? お前たちがそうせざるを得ないような道に追い込んだ大人たちだろう?」

「でも、引き金を引いたのはわたしたちなんだ」

「だから、そんなことはどうでも良いって」


 ヴァルターはつかつかとヴェーラたちの所へと近付いた。そしてヴェーラの頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。


「うわっ、なに?」

「俺もうまいこと言えるような人間じゃなくてな」


 ヴァルターは少し困ったような表情をした。


「ただ、言っておく。俺はエルザの事で恨みごとを言うのはやめた。ヤーグベルテを憎むのをやめる」

「ヴァリー……?」

「だから、そんなに自分を責めるな」


 ヴァルターはそう言うと、部屋の扉を開けて、待ち構えていた憲兵たちに連れて行かれてしまった。


 ヴェーラとレベッカは扉が閉まるのを見届けて、そして溜息を吐いた。


「ね、ヴァリーもそう言っていたし。だから」

「ごめん、でもやっぱり納得いかないんだ。わたし、笑ったりしたらいけないんだ」

「ヴェーラ……!」

「ごめん。少し、放っておいてくれる?」


 ヴェーラはテーブルに突っ伏して、そして泣いた。


「ヴェーラ……」

「出て行って。一人でいたいんだ。落ち着いたら行くから、一緒に、帰ろ」


 ヴェーラはすすり上げ、しゃくりあげながらそう言った。ヴェーラの心のシャッターは、完全に閉ざされていた。


 すっかり闇に落ち込んでしまったヴェーラの心を読み取り、レベッカは肩を落として部屋から出て行った。

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