二人の、出会い
この子たちが……?
ヴァルターの心の中の第一声は、これだった。
「その顔も無理もない」
例の面会室に椅子を二脚追加しつつ、エディットは言う。
「この子たちがセイレネスそのものだとも言えるのだからな」
「人、だったのか……」
「無論、依存するハードもソフトも存在する。だが、そのコアはこの二人、ヴェーラ・グリエールと、レベッカ・アーメリングだ」
エディットは右にヴェーラ、左にレベッカを座らせ、自分も腰を下ろした。ヴァルターもそれに倣う。
「初めまして、フォイエルバッハ少佐」
レベッカが小さな声で言った。ヴェーラはヴァルターの顔をじっと見つめて、両手を打ち合わせた。
「やっぱり! あの時見えた人だ」
「見えた?」
エディットとヴァルターの声が重なる。ヴェーラは頷いた。
「うん、戦闘機と戦っている時に、チラッチラッて見えたんだ。間違いない、この人だよ」
「そんなこともあるのか、セイレネスには」
エディットは腕を組んで呟いた。
「まぁ、その事は置いておこう。それで、フォイエルバッハ少佐。結論は出たのか」
「結論から聞くか。その過程から聞くか」
「そうだな――」
エディットはわざとらしく腕時計を見た。午後六時を少し過ぎたところだ。
「腹は減ったが時間はある。過程から聞かせてもらおうか。興味がある」
エディットは背もたれに右ひじをかけ、優雅に足を組んだ。ヴァルターは腕組みをしてエディットを直視している。
そのピリピリするほどの緊張感に晒されて、レベッカは冷や汗のようなものを背中に感じていた。エディット越しにヴェーラを見ると、ヴェーラは息をするのも忘れたかのように、じっとヴァルターを観察していた。
ヴェーラは、ヴァルターの顔を瞬きも忘れて見つめていた。あの戦いの中ではもっと殺気立った印象があったが、今はなんだか魂が抜けたような、ある種穏やかな空気を纏っていた。やや伸びて不揃いになった黒髪に、感情の読みにくい黒い瞳、そして、カティと同じくらい白い肌。背も高く、顔立ちも鋭利な印象で、なんとなく全体的にカティに似ているように思えた。試しに脳内で赤毛にしてみたら、「カティの兄です」と言われても違和感がない。
「なんだ、俺の顔に何かついているか?」
「ううん。なんでもないよ」
ヴェーラは首を振る。エディットはヴァルターに話をするように促した。
「貴国の研究に協力することは、当然ながら利敵行為にあたる」
「そうだな」
エディットは超然としている。ヴァルターも負けず劣らず、どっしりと構えている。そして十秒近く間を置いて、また口を開いた。
「だが、セイレネスというヤツについて、興味が湧いた。土産話にもなるしな」
「ほう」
エディットは目を細める。
「だが、貴国もクラゲ、ISMT、そしてあの戦闘機どものような
「それだ」
エディットの問いに、ヴァルターは小さく頷いた。
「俺もあいつらの正体は知らない。どうやって、誰が動かしているのかも教えられていないし、知る権利もなかった。だが、とりわけあのクラゲだが、あれはセイレネスと似ている、そう感じた」
「ほう……?」
エディットはヴェーラとレベッカを見まわした。二人は小さく頷き返してくる。
「実際にアレと戦ったこの二人も、同じ見解だ。確度は高いな」
「ああ、そのようだ。裏にいるのは大方ヴァラスキャルヴ、もとい、ジョルジュ・ベルリオーズとか、その辺になるのだろう。あの
「奇遇ながら、それには私も同意見だ」
エディットは面白そうに応じた。ヴァルターは生真面目に頷く。
「だから、興味が湧いた。今の俺には帰れる場所なんてないし。帰った所で、待っているのは緩やかな死か、急激な死か。そのどちらかだしな」
「本音はそこらへんにあるのだろう?」
エディットがニヤリと口角を上げた。ヴァルターも擦れたような笑みを浮かべる。それがヴェーラたちが目にする、初めての人間らしい表情でもあった。
「俺にはもう家族もない。あの時に死んだ」
「えっ……」
ヴェーラが小さく絶句する。ヴァルターはゆるゆると頭を振る。
「だから本国には、未練は、ない」
「でも」
レベッカが口を開く。
「でも、だからと言って、本国を裏切るような行為に手を貸す道理にはならない気がします」
「裏切るつもりはない」
ヴァルターはレベッカの目を見た。レベッカは慌てて視線を外す。
「本国は裏切らない。だが、結果としてそうなってしまう側面も出る。それだけだ」
「詭弁だが、わからんではない」
エディットは足を組み替えた。
「アーシュオンでは貴官はスパイ容疑をかけられ、その人的な価値も名声も地に落とされた。今のままでは捕虜交換のカードにすらならない。帰れない」
「そうだな」
「だから、ヤーグベルテで何らかの付加価値を付けてもらわねばならない。それを考えた結果が、今回の結論――そういうことだろう?」
「そうだ」
ヴァルターは静かな口調で肯定する。
「見ての通り暇だしな。俺は俺でセイレネスの情報収集のために、貴官らの実験に参加する。それだけだ」
「承知している。十分だ」
エディットは立ち上がり、ヴァルターに右手を差し出した。ヴァルターはその手とエディットの顔をじっと見る。
「ああ。この手では気になるか」
「馬鹿にするな」
立ち上がったヴァルターは、その火傷の痕に覆われた手を握り返す。エディットはニヤリと笑みを浮かべ、ヴァルターは不愛想にその表情を見遣った。
「一つ、訊いていいか、大佐」
「なにかな」
「マーナガルムの三機、まだ誰もやられていないか」
その問いに、エディットは少し記憶を遡ってみた。
「その知らせはないな。どころか、あれ以来、戦場に出てきていないハズだ」
「そうか」
ヴァルターは小さく息を吐いた。エディットはまた凄味のある笑みを浮かべる。
「マーナガルムに帰りたいんだろう?」
「まぁな。良い仲間たちだ」
ヴァルターは促されるまま、部屋を出て行った。あとは憲兵たちが彼を部屋まで連れて行く。
エディット、ヴェーラ、レベッカは、ヴァルターの姿が扉の向こうに消えるのをぼんやりと見送った。一息ついて、エディットが壁に寄りかかるようにして立った。
「どう思う、二人とも」
「問題はない、と思います。今のところは」
最初にそう答えたのはレベッカである。それをヴェーラが補足する。
「実験に参加したって、大事なものは見えないしね。ブルクハルト教官と接触させたらダメだと思うけど」
「そうだな、それは避けるようにしておかねばな」
エディットは頷きながら、脳内のメモ帳にその旨を書き記す。レベッカは膝の上で両手を組みながら言う。
「あの人の能力がわかれば、
「そうだねー」
ヴェーラは難しい顔をして同意した。
「今だとさ、あいつらが出てきた時は必ず呼び出されちゃうもんね」
今でも早朝日中深夜を問わず、緊急の参戦要請が出されることがある。出撃未遂を含めると、三日に一度は、戦艦のコア連結室に駆け込んでいる。遠隔での支援のみだからまだよかったものの、それでも真夜中に三日連続で叩き起こされた時は、さすがのレベッカもしばらく不機嫌になったくらいだ。
「では決まりだな。暇を持て余している私が言うのもアレだが、非戦闘時にはびっしりと実験を詰め込むことになるだろう」
「わかった」
ヴェーラは頷いて「よいしょ」と立ち上がった。そして笑いながら言う。
「だいじょうぶだよ、わたしは。って、どうしたの二人とも。変な顔しちゃってさ」
「なんでもない」
エディットは首を振った。レベッカは取って付けたような笑みを浮かべている。
なんでもないというのは嘘だ。エディットもレベッカも、今のヴェーラの微笑みの中に、深すぎる闇を見た気がしたのだ。それはヴェーラが時々見せるようになった表情だった――あの核弾頭を使用して以来。
「……無理、するなよ」
「え?」
ヴェーラはきょとんとした表情で、エディットを見ている。そして「ああ」と独り納得して、後ろで手を組んだ。
「無理してないかって言うと、そりゃしてるよ。いろいろとね。だけど、ベッキーも一緒だもん。だから、別に、まだ、だいじょうぶだよ」
あはは、と、ヴェーラは笑う。その軽い笑い声が、エディットの鳩尾あたりに突き刺さる。
だいじょうぶなんかじゃ、ないだろう?
エディットは奥歯を強く、噛み締めた。
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