現実的な平和
エディットとヴァルターの面談から一週間後――。
エディットの根城である第六課作戦司令室に、ヴェーラとレベッカが揃って呼び出されていた。エディットのデスクの脇に、二人が並んで座っている。
エディットはやや疲れたような表情で、夥しい数の紙媒体の請求書と格闘していた。
「まったく、なんでこのご時世に紙で回してくるんだか」
「大変そうだね」
ヴェーラはプルースト中尉に用意してもらった紅茶を飲みながら、他人事のように呟いた。エディットの向こうに座っているハーディが、おもむろに立ち上がる。
「大佐、あとは私の方で処理しておきます」
「ん、そっちはいいのか、ハーディ」
「あらかた終わりましたので。それに時間も時間です。二人も疲れているでしょう」
言われて腕時計を確認してみれば、すでに午後五時を回っていた。ヴェーラとレベッカは午前中からセイレネスのモジュール連結試験に参加していたので、確かに相当に疲れていると見るべきだった。
「すまんな、ハーディ。アダムスの野郎に
「了解です」
ハーディは紙の束を受け取ると、自分のデスクに戻って行った。
エディットはそこでようやく紅茶の注がれたティーカップに気付いたようで、半ば冷めたそれを一息に呷った。
「生き返った」
エディットは息を吐きながら、脱力しつつ背もたれに身体を預けた。
「自宅で話すような内容でもないので寄ってもらった。待たせて済まなかったな」
「気にしないでいいよ」
ヴェーラは言いながら、エディットから手渡されたタブレット端末を覗き込む。
「うへ、何この請求金額。戦車一台以上買えちゃうじゃん」
「えっ」
思わずレベッカもそれを見た。そして思わずメガネを掛け直す。
「<メルポメネ>の修理費……? 七百八十万
「そういうことだ。まぁ、機銃掃射による被害がその半分強なんだが」
「ひええ、それもすごい」
ヴェーラはおろおろと端末とエディットの顔の間で視線を彷徨わせる。
「残り半分は、艦体全体に及んだダメージのチェックと修繕費だ。あのセイレネス制御による無茶な機動がかなりのダメージソースになったようだ」
「うわぁ……」
「とすると、<エラトー>も、ですよね」
レベッカが恐る恐る尋ねる。エディットは溜息を吐きながら「二百八十万」と答えた。二百八十万UCと言えば、一世代前の戦車が買える金額である。高級車、百台分と言い換えても良い。
「と、そういう事情だから、今後は戦艦の操艦に関しては、セイレネスでの制御は原則禁止となる。ちょっと動くたびに数百万かかっていてはかなわんからな」
「ハードの問題は解決できなかったっていうことですね。モジュールは正確に動いたものの」
レベッカが言うと、エディットは深く頷いた。
「そのあたりがあの技術の限界かもしれん。それにしても、ブルクハルト少佐は天才だな、まったく。あんな機動が一人の人間の意志でできるようにできるとはな」
ヴェーラとレベッカはその評価に素直に同意する。ヤーグベルテで最も頭の良い人物なのではないかというくらいに、ブルクハルトの能力と実績は凄まじいものがあった。
「まぁ、そういうわけだから、今後は乗組員ともしっかりコミュニケーションをとっておくように。いざという時にお前たちを守ってくれるのは彼らだ。あの超巨大戦艦にしても、的確な操艦と、よく訓練されたダメコンがなければ、ただの巨大な的だ。一人で戦っている気になると、足元を掬われるからな」
「はい」
二人は同時に返答した。
その時、エディットの業務用携帯端末が、デスクの上で不愛想な電子音を鳴らして震えた。エディットはその発信元を見て「おや?」という表情を見せる。
「ルフェーブル大佐だ。ああ、そうか。わかった。すぐに行く」
手短に通話を終え、エディットはヴェーラとレベッカを順に見る。
「二人とも、こんな時間からで悪いんだが、一緒に来てもらえるか」
「おーけー。今日はエディットと一緒に帰れる感じ?」
ヴェーラは端末を返しながら訊いた。エディットがハーディの方を窺うと、ハーディはメガネの位置を直しつつ、「問題ありません」と頷いた。
「そうだな。一緒に帰るか」
「やった。ピザ屋さんに寄ろうよ」
「またピザぁ?」
思わずレベッカがげんなりした声を出した。エディットは苦笑しつつ、二人の肩を叩いた。
「夕食は後で考えよう」
三人は並んで参謀本部から出た。出口では、ヴェーラたちの護衛官であるジョンソン軍曹とタガート伍長が、黒塗りのセダンを止めて待っていた。
「どちらへ、大佐殿」
運転席に乗り込んだタガートが後ろを振り返りつつ尋ねる。ジョンソンは助手席に乗りこんで、周辺に怪しい人物がいないか確認している。
「捕虜収容施設だ。士官の方のな」
「了解です」
車が軍道に入り、速度を上げた。
「捕虜に会いに行くんですか?」
エディットの右隣に座ったレベッカが尋ねる。エディットは肯いた。
「そうだ。お前たちが最後に撃ち落とした戦闘機に乗っていた奴だ」
「ああ。あの白い飛行機」
レベッカはすぐに思い出す。
「ええと、マーナガルム飛行隊でしたっけ」
「その隊長さんだね」
合計一千万
「どういう原理かはわからないけど、わたしたちからの干渉が精神的なものであるとするなら、その隊長さんはそれを撥ね退ける力を持っていたということになる。未だにその精神的な干渉云々って実感は、わたしにもないけど」
「ふむ」
エディットは二人の間に挟まれつつ、腕を組んでいる。
「ブルクハルト少佐の受け売りだが……。セイレネスは物理層への干渉能力が第一義として見られがちだ。あの砲撃とか、鉄壁の防御力とかその類だな」
「うんうん」
「だが、実際の所、それら物理層への干渉というのは、論理層の書き換えの結果が表出したものに過ぎない……らしいのだが、私には何を言われているのかサッパリわからない」
エディットは額に右手を当てて首を振る。ヴェーラは左手の人差し指でこめかみのあたりをポリポリと掻いて、「んー」と唸った。
「わたしもよく分からないけど、つまり、セイレネスの干渉を受け付けないその人が、どうしてそうなのか研究したいってことだよね。受け付けない方法をさぐることと、受け付けない人に対してどうしたら干渉できるかさぐること。この二つだ」
「その通りだ」
エディットは二度、点頭した。
「セイレネスがより完璧に近付くことで、新世代の究極的抑止力になるだろう」
「平和のための兵器研究。皮肉だねぇ」
ヴェーラが嘆息する。レベッカも「そうよね」と呟いて同意した。エディットは正面を見据えて、平坦な声で言う。
「平和というのも、所詮、力関係の果ての話だ。より有利な平和を目指す。そのこと自体は特に罪だとは思わんよ、私は」
「平等な平和ってのは、ないの?」
「ないだろうな。そもそも小さなコミュニティでさえ高低上下といった関係性は存在するし、なければ成り立たない。人類皆平等だなんていうそんな夢物語を追うよりは、たとえ歪んでいたとしても、一時であれ、争いのない世界、その瞬間を目指す方がより健康的だろう?」
エディットは諭すように、静かにそう言った。
ヴェーラとレベッカは、それに同意すべきか否か、答えを出せずに黙り込んだ。
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