ネゴシエーション

 待遇は悪くない。


 ヴァルターは粗末なソファに座って、ヤーグベルテの国営放送を眺めていた。テレビから矢継ぎ早に流れてくるヤーグベルテ語には最初こそ戸惑ったものの、二時間もしないうちに思い出すことができた。飛行士アビエイターは、敵国語もしっかりと学ばされるのである。


「アーシュオン駆逐、か」


 収容所に入れられて、早一ヶ月が経過していた。自分は収容所からの外出ができない他は、何不自由ない生活を与えられていた。強いて言えば部屋が狭いが、どうせ一人だ。気になるものではない。他のアーシュオン兵たちとの接触は厳しく制限され、会話は原則禁止だった。


 ヴァルターは佐官であったから、収容所内で遭遇するのは将校ばかりだった。下士官以下は別の施設で集団生活をさせられているのだろうと推測した。だが、ヤーグベルテの収容所は、アーシュオンの捕虜収容施設とは、まったくの別物だった。とにかく厚遇なのだ。強制労働のようなものもないし、マインドコントロールのようなものもない。無論、拷問の類も今の所経験していない。外で見かける他の捕虜たちの顔色も良かった。健康管理もしっかりしていて、週に一度は医師との面談が義務付けられていた。


 テレビも見られる番組こそ制限されていたが、退屈しない程度の選択権は与えられていた。とにかく、ヤーグベルテは捕虜たちを腑抜けにして返そうとしているのではないかと勘繰ってしまうほどの扱いを受けていた。


 確かに、あの戦艦が出てくれば、俺たちは逃げざるを得ないな――。


 第四艦隊は全滅したのだという。そう、たった二隻の戦艦によって、百数十隻の艦艇が撃滅されてしまったということだ。その後の戦いでは戦艦は出ていないようだったが、それでもこの一ヶ月間で、不沈空母として使っていた南洋の人工島、北部方面の陸軍拠点が矢継ぎ早に陥落させられていた。


 その時、背後で部屋の鍵が開く音が聞こえた。


「こんな時間に?」


 テレビの前に置いてある古いデジタル時計を見れば、午後八時半と表示されている。こんな時間に誰かが来るようなことは、今までなかった。少し緊張しつつ、ヴァルターは立ち上がる。それと同時にドアが開いた。


 顔に大きな火傷のある女性将校が後ろで手を組んで立っていた。その後ろにはライフルを持った憲兵が二人控えている。


「ヴァルター・フォイエルバッハ少佐」


 大佐の階級章を付けた女性将校が、青銀色の目を細めてヴァルターを凝視した。その眼力に押され、ヴァルターは思わず唾を飲み込んだ。女性将校が豪奢な金髪を後ろに払い除けて、そして右手を出した。


「思ったよりも若いな。こんな時間に済まないが、少々話でもしないか」

「話……?」


 反射的にヴァルターはその手を握り返す。


「私はエディット・ルフェーブル大佐だ。好きに呼べ」


 女性将校――エディットは、ふと表情を緩めた。


「まさかもう寝ようとしていたわけではあるまい? どうせ暇だろう。付き合え」

「それは構わないが」


 ヴァルターは不信感を溢れさせる。エディットは苦笑する。


「なら移動しよう。一応、ルールというものがあってな。そこの面会室だ」

「そうか、貴官があのか」

「ほう?」


 先頭を歩きながら、エディットは横目で斜め後ろを歩くヴァルターを見る。


「私が貴国でもそう呼ばれているとは知らなかった。如何にも、私がそのだ」

「名参謀直々のご指名とは恐れ入る。それで――」

「せっかちだな。どうせ時間はたっぷりあるだろう?」


 エディットはニヤリと笑う。ヴァルターは面会室が入っている小さなコンクリート製の建物を前に、小さく溜息を吐いた。


「まぁ、二人で話をするとなると、なかなかハードルも高くてな」


 エディットは建物に入り、数多く並んだドアのうち、一番手前側のものを掌紋認証で開けた。そして憲兵二人を廊下に待たせ、ヴァルターを室内へ招き入れる。


 そこは警察の取り調べ室のような、四メートル四方程度の小さな部屋だった。大きな窓が一つあったが、そこにはがっちりとした鉄格子がめられていた。絨毯も壁紙もない、不愛想なコンクリートの部屋である。そこに一メートル四方のテーブルが一つと、椅子が二脚、義務的に置かれている。


「築七十年にもなる古い建物だ。出入りだけは掌紋認証になっているが、空調も何もかも古くてな。来年にも立て直すとか、そういう話は出ている」

「……来年まではいたくないな」


 ヴァルターはすすめられるままに窓側の椅子に座り、エディットが着席するのを目で追った。


「さて、まぁ、こんな傷顔の女と二人では楽しくもないだろうが」


 エディットはテーブルに両肘をついて指を組み合わせた。


「最初に言っておくが、これは尋問の類ではない。私自身の興味から、私はここに来た。一応、公式の面会ということになるが、記録には残さない」

「ほう」


 ヴァルターは顎に右手をやって、エディットの青銀色の目を見つめた。


「ん? 貴官、その目、機械か?」

「さすが、戦闘機乗りたちは皆見抜くな。両目とも、紛れもなく機械の眼球だ。ついでに言えば、この髪も半分が人工物だ。若い頃に焼夷弾でやられてな」

「そうか。逃がし屋は元海兵隊という噂があったが」

「本当だ。私は思いのほか貴国では有名人らしいな」


 エディットは声を立てて笑った。ヴァルターは生真面目に頷いた。


「他の指揮官の事は知らない。だが、のことくらいは、誰でも知っている。アーシュオンでは最も嫌われている軍人の一人だ」

「それは光栄」

「で、そんな貴官が、一介の戦闘機乗りに過ぎない俺に何の用だ」

「謙遜し過ぎだな、その言いようは。貴官は我が軍に最も嫌われている戦闘機乗りだ。それと同時に、我が軍にとって最も恐るべき能力の持ち主である可能性がある」


 エディットは身を乗り出し、いきなり本題に切り込んだ。


「貴官は我が軍の最大の戦力、あの戦艦とやりあい、あまつさえある程度の損害すら与えた、人間だ」

「唯一? シルビア……うちの三番機だって機銃掃射を叩きこんでいたはずだが」

「あれはノーダメージだ」

「は?」


 いや、間違いなく直撃していただろう――ヴァルターは戦闘状況を思い出す。


「マーナガルム飛行隊の三番機は、確かに銃撃を浴びせることには成功した。しかし、戦艦には傷一つ付けることはできなかった」

「なんだと? ありえない。あの距離で傷つかないはずがない」

「それがあり得る。貴国にも同じような兵器があるではないか」


 エディットはヴァルターの目を凝視する。瞬きを忘れられたその機械の目は、早くもすっかり乾いていた。


「ナイアーラトテップ……か。あの戦艦は、あれと似たようなものなのか?」

「私の口からそれをそうだと断定することはできない。立場があるからな」

「それもそうか」


 ヴァルターは納得しつつ、腕を組んだ。確かに、ナイアーラトテップのあの防御力と同じような何かが、あの戦艦に仕込まれているのだとすれば。あの至近距離からの機銃掃射で、という事実にも納得しなければならない。


「待てよ? だとしたら、どうして俺は戦艦にダメージを与えられた? 間違いなく砲台の幾つかは吹き飛ばしたぞ」

「そうだ。貴官は戦艦の一隻に対し、少なくない損害を与えた。ご丁寧に試作兵器まで壊してくれてな」


 エディットは恨みがましい声でそう応じる。修繕費は五百万UCユニオンキャッシュを軽く超えた。最新鋭の戦車が一両調達できるような金額である。


「そこで、だ。質問がある」


 エディットは目を細める。


「あの戦艦を攻撃する時に、何かおかしな力を感じたり、何か干渉を受けたりはしなかっただろうか」

「おかしな力?」


 ヴァルターは薄暗い天井灯を眺めて記憶を呼び起こす。


「システムへの攻撃、干渉はすごいものがあった。人間業とは思えないと、うちの隊の電子戦担当が悲鳴を上げていたな」

「ふむ。他には?」

「そういえば、他の隊の連中が、トリガーが引けないとか、そんなことを言ってもいた。俺もなんだかタイミングをずらされているような、そんな感覚はなくはなかった。トリガーが重いというか、照準の軸線が微妙にずれているような気がしたというか」


 ヴァルターの答えを聞いて、エディットはようやく目を閉じた。腕を組み、背もたれに身体を預けて考え込む。


「技術本部の分析では、貴官の最後の機銃掃射によるダメージが非常に深刻だったということになっている。その直前にはマーナガルム飛行隊の三番機が被弾していた。無関係ではないだろうと私は考えているが、その辺はどうなのだ」


 あの時は、夢中だった。エルザを失い、あまつさえシルビアまでも失ってなるものかと、そんなことを考えたのかもしれない。エルザを守れず、シルビアまでも守れない――それだけは何としても避けたいと考えたのかもしれない。


 ヴァルターは沈黙する。エディットは目を閉じたまま、言った。


「貴官は戦艦からの何らかの干渉は受けた。だが、退けた。その点について、私たちは大いに関心がある。それは貴官の能力であると、技術本部は仮説を立てている」

「つまり」


 ヴァルターは腕を組んだまま、エディットを睨むように見つめた。


「俺に何らかの実験に協力しろと?」

「ふふ。察しが良くて助かる。私は鈍い男は嫌いでね」


 エディットはきゅっと口角を上げ、鋭い笑みを見せつけた。

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