帰路にて、出会う

 夢、かな?


 レベッカは、どうしてこんな、ただ白いだけの何もない空間にいるのかと考える。


 また、マリア――?


 目の前に現れたのは、見覚えのある黒髪黒瞳の少女。


 ただ、その姿はいつもよりもはるかに鮮明で、その息遣いさえはっきりと認知できるほどだった。


 そうだ、私は今、セイレネスを起動しているんだっけ――。


 レベッカは思い至る。帰路に於いても、セイレネスの実験計画が山積していた。あれだけの戦果を挙げながらも、ヴェーラとレベッカには休息はほとんど与えられなかったのだ。「戦艦の運用コストは莫大だから、帰り道も無駄にすべきではない」という意見が議会で出され、「税金の有効利用を促す」という名目でマスコミが煽った結果である。


 としてすでに十分な知名度を獲得していたヴェーラとレベッカが、あの恐るべき戦闘能力を示したセイレネスの操り手であることは、驚きをもって迎えられた。そして、戦闘時の映像から放たれた不思議なに、それをリアルタイムで見た国民達の少なくない人数が感化された。その大半は極度の躁状態になったが、一部は酷い鬱状態に陥った。程度の差こそあれども、多くの目撃者たちが精神に何らかの変調をきたしたのは事実であった。その報告は、すでにクロフォードを通じてヴェーラとレベッカの元にも届けられていた。


「そんなことより」


 レベッカは目の前の少女、マリアを観察する。


 自分よりも若干幼く見えなくもないが、同じくらいと言われればそうとも見える。もしかすると、無垢で美しい笑顔が、幼く見せているのかもしれない。長い漆黒の髪は、その白い空間に於いてひときわ目を引いた。深淵のような黒い瞳は、レベッカを完全に捕え切っていて、逃げられる気配はなかった。


「私は実験中だったはず。あなたは、そこに干渉してきたの?」

「実験?」

「そうよ」

「そもそも、この空間は私たちのもの。そのリソースの一部を、物理層に都合よく反映させているに過ぎないのよ、お姉さま」

「何を言っているのかわからないわ」


 レベッカは眉根を寄せて、腕を組んだ。マリアは腰の後ろで手を組み、微笑む。


「マリア。あなたがセイレネスを使える、オーシュという存在だということはわかっているけれど。そして私たちもそうなんだっていうことは、なんとなく理解しているけれど」

「それだけ理解されていれば十分です、お姉さま」


 マリアの動脈血色の唇が、つい、と口角を上げた。


「私の役割はまだまだ未来にある。だから今、お姉さまたちに代わってあげることはできない。苦しみも、悲しみも、孤独も」

「未来……?」

「ええ、未来。私の役割は、次世代のたちと共にあるから」


 次世代のディーヴァ?


 聞き慣れない言葉に、レベッカは眉根を寄せる。マリアはレベッカのすぐ目の前まで歩いてやってきた。もはや距離は一メートルもない。


歌姫セイレーンは、地に満ちる。その時、世界はシフトする。そのために、お姉さまたちは存在している。私も、また」

「地に満ちる? 歌姫セイレーンが?」

「そう。歌姫セイレーンは世界を覆い、世界はに包まれる。その先にあるのが平和なのか混沌なのか、それはわからない」

「ごめんなさい、さっぱりわからないわ」


 レベッカは腕組みを解いて、右手を頬に当てた。マリアはまた、微笑む。


「十年後くらいまでには、きっとこの意味が理解できるようになるわ」

「十年……?」


 それはまた遠い未来だ。レベッカは小さく息を吐く。


「そう、十年。この歌姫戦艦バトルシップ・ディーヴァは、そのためにある。これは次世代の歌姫セイレーンを生み出すために創られた、いわば増幅器アンプリファイアだもの。そして最後はに繋がる」

「え、えきどな?」

「エキドナはエキドナ。全ての母。共鳴させる者。という媒体を経て、セイレネスの論理領域は加速度的に拡大するの」


 ええと……。


 はぁ……。


 たぶん、これ以上話をしてもよくわからないんだろうな。


 レベッカはどっと湧いてきた疲労感に、思わず座り込みたくなる。


 その瞬間、マリアがさらに一歩近付いてきて、レベッカの背中に手を回した。驚いて硬直するレベッカに、マリアが囁く。


「お姉さまたちは、決して離れてはならない。決して」

「言われなくても――」


 離れたりなんてするものですか。レベッカは強く思う。


 マリアはレベッカの瞳を探るように直視した。その表情からは微笑は消えている。


「物理層のお姉さまたちに、私の姿を見せたい。でも、それはまだまだ先。私がもっとお姉さまたちに干渉できるようになれば、少しは……」

「マリア……?」

「私は、何があろうとお姉さまたちの味方です。お姉さまがヴェーラお姉さまを想うのと同じように、私もお姉さまたちを想っています。それだけは、忘れないで――」


 マリアの姿が薄れていく。


「それじゃ、また会いましょう、お姉さま」

「待っ――」


 呼び止めることは叶わなかった。


『ベッキー! ベッキー、起きてー! おーい!』


 ヴェーラの声だった。気付けば周囲は暗黒で、マリアの痕跡の一つも見つけられなかった。さっきまでの純白の空間とは似ても似つかない。


「あ、コア連結室か」

『そうだよ、どうしたのベッキー。本気寝してたぁ?』

「う、うん、そうかも」


 やっぱり夢だったのだろうか?


 いや、だとしたら、こんなに鮮明に覚えているはずもない、か。


『もー、珍しいことしないでよ。どうしちゃったかって心配したんだから』

「ごめん、ヴェーラ。疲れてたのかも」

『まー、わたしも人のこと言えないけどさー』


 ヴェーラは声を立てて笑っていた。それは久しぶりに聞く声だった。


『それはそうと、もうドックに着いたよ』

「え、そうなの」

『あと三十分くらいで降りられるってさ。ドックにはエディットとカティが待ってるって、クロフォード准将が教えてくれたよ』


 そっか。


 レベッカはヘルメット状の器具を外し、暗い室内を見回した。相変わらず暗く、自分の指先が辛うじて認識できる程度の静かな空間である。


「帰って来たのね」

『うん。ずいぶん殺しちゃったね』

「ヴェーラ……」

『だいじょうぶだよ。わたしは、だいじょうぶ。しばらくの間悪夢はついて回るだろうけど、そのくらいは我慢できるよ』


 ヴェーラの明るい声が、暗い室内に溶けていく。


『ま、この話はさ、うちに帰ったら二人でしようよ。エディットやカティに心配はかけたくないんだ』

「そう、ね」


 レベッカは座ったまま、深呼吸をした。無味乾燥な空気が肺を満たす。


「でも、ヴェーラ。私には本音で話をしてね」

『だいじょうぶ。わかってるよ、うん』


 ヴェーラは淡々とそう応じた。


 その声はまるで空虚だ――レベッカはそう思えてならなかった。





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