セイレネス vs ナイアーラトテップ

 ミサイルは全て掌握している。総数、三十六。全て十発型のMIRVだから、最終的には三百六十発の弾頭を制御、防衛していくことになる。全てを命中させる必要はないが、最低でもナイアーラトテップのうちの一隻は撃沈せしめる必要があった。


 おそらく八割強の弾頭は迎撃されてしまうだろうと、ヴェーラは計算していた。統合首都と、主戦場の距離はあまりにも遠い。その物理的距離の差から生じるわずかな情報時間差タイムラグが、完璧な制動や防御をできなくするのだ。弾道ミサイルに対する対弾道弾の迎撃精度は非常に高い。少しでもセイレネスによる干渉が緩めば、たちまち迎撃されてしまうだろう。


 わたしたちが前線にいさえすれば――。


 ヴェーラは思う。もしそうなれば、核弾頭は一発の無駄もなく、全てが敵の頭上に降り注ぐことになるだろうと。だけどそれは――。


「おっといけない。集中、集中……!」


 ヴェーラは目の前に浮かび上がる各種モニタを一通り眺めまわし、そして「よし」と気合いを入れ直す。頭の中での群れがループし始める。浮揚感が高まり、意識が高く高く持ち上げられていく。頭の中をが満たし、ヴェーラを一種のトランス状態に近付けていく。脳内で跳ねまわるの粒が揃いはじめ、波となり、一つの美しい波形へと変じていく。


 最優先目標・ナイアーラトテップの状況を確認する。まるで戦場の空にいるかのように、ヴェーラには最前線の様子が克明に見えていた。ナイアーラトテップは深度八百メートルで航行中だ。深度八百といえば、通常の潜水艦の最大深度にほぼ等しい。その中を時速八十キロ近い高速で動き回っているというのは、やはり驚異的な機動性であると言えた。


 分厚い水の層をものともせずに、ヴェーラの視覚はナイアーラトテップの姿を捉えていた。直径三百メートルほどもある円形の上部構造と、その下に何本も見える長い触手――なるほど確かにだった。


「これがナイアーラトテップ……」


 ヴェーラは意識の手でそれに触れようと近付いた。


「つっ……!」


 ばちん、と、その手が弾かれる。その一瞬、女の子の姿が見えたような気がした。


『どうした、グリエール』


 エディットが声を掛けてくる。その声は、まるで自分が水中にいるのではないかと思う程に、歪んで反響した。


「だいじょうぶ。ナイアーラトテップを視認しました。第七艦隊に近い方。これ、わたしたちを認識してる可能性があるよ」

『どういうことだ?』

「わたしの知覚が弾かれて。接触できない。明らかに無人兵器とかの類じゃないよ、これ」


 ナイアーラトテップのコア部分には、セイレネスに対抗するシステム防壁が張り巡らされている。そしてその中には、


『知覚が弾かれた?』


 ブルクハルトが思わず言った。


『ということは、そいつにはオルペウスが実装されてるってことか』


 アンチセイレネスとでも言うべきシステム、オルペウスが実装されているということは――。


 ブルクハルトは数秒間沈黙する。


『ヴェーラ、レベッカ、何としてもそのクラゲを撃沈するんだ。一隻でも良い。確実に仕留めろ』

『待て、ブルクハルト少佐。私にもわかるように説明しろ』

『ルフェーブル大佐、つまり、アーシュオンの方が先に、艦船にセイレネスを搭載したという可能性が高いです。遠隔操作などではなく』


 二人の会話を聞きながらも、ヴェーラはそのナイアーラトテップの実態を探るべく、繰り返しアプローチを続ける。ヴェーラの後ろにはレベッカの気配もあった。二人の感覚は、ナイアーラトテップのすぐ上あたりを飛んでいた。


『ヴェーラ、これって……。聞こえる?』

「うん、金切り声だ、これ。むちゃくちゃだ」


 ヴェーラは眼下を高速で泳いでいるナイアーラトテップを睨み据える。そのは、ヴェーラの意識に容赦なく切り込んできて、集中力を著しく低下させてきた。


 そのには明確な敵意、いや、殺意が込められていた。憎悪や嫌悪などは一切ない、ただの純粋な殺意だ。その音の刃は、ヴェーラとレベッカの意識を容赦なく殴打していく。


「こいつっ、やってくれたな!」


 危うく集中が完全に切れそうになったヴェーラは、そう怒鳴ることで何とか意識を繋ぎ止めた。何が起きたのかは明白だった。ヴェーラとレベッカがターゲティングしているナイアーラトテップからの先制攻撃である。


「エディット、間違いない。こいつ、歌姫セイレーンだ。仕様は違っても、たぶん、根本は同じだと思う」

『アーシュオンに歌姫セイレーンだと!? やれるのか、グリエール』

「やるよ、こいつは危険すぎる。やれなかったら艦隊は全滅しちゃう」


 ヴェーラは弾道ミサイルの機動を確認した。確認するといってもレーダーやシステムログを見るのではない。ただ、見上げただけだ。それだけで必要な情報のほぼ全てがヴェーラの中にとなって流れ込んでくる。そのの津波を受け止め、解析し、理解し、観測する。その作業は論理空間の中で行われ、物理時間としてはコンマ数秒の間に処理される。


「もどかしい!」


 一千キロ上空に辿り着くのももどかしい。再突入なんて待っていられない。その数分が全てを決める。


 ヴェーラは叫んだ。


「ミサイル、コントロール・アイハヴ! 一番から十八番まで、上昇キャンセル。強引に目標に投下する。十九番以降はそのまま上昇、のち、終末局面ターミナルフェイズへ!」


 猛烈な速度で上昇していくミサイルのすぐ隣に、ヴェーラの意識の目が辿り着く。すでにそこは宇宙空間である。満天の星が輝き、地球は足元でほんのり青白く光っている。月は思ったよりも遠くにあった。


「ベッキー、聞こえる?」

『問題ないわ。迎撃ミサイルが上がっている。どうすればいい?』

「誘導は全てわたしがする。ベッキーは迎撃ミサイルへ対処して。弾幕代わりにブースターと一番から九番まで使って構わない。十九番以降のミサイルの防御も忘れないで!」


 ヴェーラはてきぱきと指示を出す。


「問題は十番から十八番までのミサイルで、クラゲの防御を貫けるかどうか。相手がオルペウスを使っているというなら、そこから先は実力勝負になる」

『そうね。ヴェーラ、私も攻撃に回らなくて平気?』

「君がいてくれた方が心強いけど、ミサイルが撃ち落とされたら意味がない。ベッキーはとにかく防御を最優先で!」

『了解。チャンスは一回よ、ヴェーラ。防御は任せて』

「うい」


 ナイアーラトテップの中にいる誰かからの干渉は続いている。酷く掻き乱された音圧の向こうに、少女の姿が見え隠れする。巨大なクラゲの中に在る。それが敵方のセイレネスだ。


 強引に軌道を捻じ曲げられた十八発のミサイルが、成層圏を猛然と滑り落ちていく。弾頭の一つが弾け、迎撃ミサイルの群れを叩き落とした。切り離されたブースターが細かく砕けて、迫ってくる迎撃ミサイルに対する盾と化す。超高高度の空は熾烈な爆炎に晒されて、大気を広く白熱させる。


 ミサイルが大気を滑る。ヴェーラはその軌道をさらに捻じ曲げる。その様はまるで指揮者コンダクタだ。意識の中で両手を振るうだけで、ミサイルが思いのままに機動する。それらはナイアーラトテップのほぼ真上に滑り込み、そして落下を開始する。数百キロの高度からの加速しながらの落下。弾頭が分離し、各個の小弾頭は一層の加速をしながらただ一点を目指して落ちていく。


「行くよ、ベッキー! 弾頭を守り切って!」

『すごい数の迎撃ミサイル! 弾頭、三機分借りるわ』

「マークしたのを使って。上昇中のもガード頼むよ」

『了解』


 危機を感じたのか、ナイアーラトテップが海中深くへ潜ろうとする。だがその時には、百を超える弾頭のうち約半数が海中に突入していた。


「逃がすもんか!」


 水の抵抗は凄まじかったが、それでもヴェーラは無理矢理に水を引き裂き弾頭を奥へ奥へと押し入れていく。それは数秒かからずにナイアーラトテップの外殻へと到達し、炸裂する。その運動エネルギーと科学エネルギーの全てが外殻に叩き付けられるが、その最初の数発はセイレネスのような何かで弾き返された。


 でもこれは計算済みっ――!


 ヴェーラは残りの弾頭の半数を、ナイアーラトテップの下に潜り込ませた。そして一気に炸裂させる。ナイアーラトテップはその衝撃に耐えかねて海面近くまで急浮上させられる。


「まだまだぁッ!」


 さらに半数をその腹の下に潜り込ませて爆破。


 ナイアーラトテップが完全に海面に姿を現した。


 ヴェーラの中に響くが、透き通る。


 空中に放り出されたナイアーラトテップの上部構造に、残った約三十発の弾頭が殺到した。弾頭が次々とひしゃげながら直撃するが、セイレネスのような力で起爆を阻害される。


「つ、ら、ぬ、けえええええええええええっ!」


 ヴェーラの中のが、膨れ上がった。圧力が高まり過ぎ、ヴェーラは眩暈と頭痛さえ覚えた。


 残り十発。


 頭が破裂しちゃう――!


 残り六発。


 でも――。


 残り四発。


 わたしが失敗したら、何万人も死ぬ――!


 残り二発。


 が急に消えた。ヴェーラの中の苦痛が消える。落ちていく。


 大気の中を落ちていく。


 残り一発。


 最後だ。これが。


 ヴェーラはその弾頭に手を触れた。赤熱したそれは、まっすぐにナイアーラトテップの上部構造の中央を目指す。


『ヴェーラ!』


 レベッカの手がヴェーラの意識に触れる。


 途端、が戻って来た。二重の螺旋を描くは、やがて和音となる。


 それは深く高く響いた。


 弾ける。


 炸裂する。


 轟々たる輝きに、ナイアーラトテップが包まれた。


 ひしゃげる。


 焼ける。


 があがる。


 ――。


 それはヴェーラとレベッカの作り上げた和音の中に、絡みついた。


 そして長く余韻を残し。


 消えた。

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