この戦いが終わったら――

 シルビアが送ってくれた先は、ヴァルターとエルザの新居だった。エルザはシルビアも一緒にどうかと誘ったりもしたが、シルビアは固辞した。それは社交辞令のようなものでもあったし、女同士の腹の探り合いなんていうつまらないことに対する興味もなかったからだ。それにヴァルターを困らせること自体、シルビアの中の良心やプライドと言ったものが傷付く要因になり得る。数日内に控える大きな戦いを前にして、その手の要素は極力排除しておきたいとシルビアは考えていた。


 表向きはあくまでドライに。想いは――。


「それでは〇八〇〇マルハチマルマル時にお迎えに上がります」


 シルビアは機械のようにそう言うと、愛車に乗って走り去った。エルザはシルビアを見送ると、ヴァルターの手を取って家の中へと導いた。


「今日はね、ちょっとしたパーティ」

「えっ?」


 なんかの記念日だっただろうか、と、ヴァルターは慌てて記憶の中を掘り起こす。結婚記念日でもないし、出会った日でもない。当然、誕生日でもないし……。家の中はいつも通り清潔で、特に何か装飾があるわけでもない。ただ、テーブルの上にはいつもより豪勢な料理が並んでいた。


「ごめん、今日、なんかあったっけ?」

「サプライズよ、サプライズ」


 エルザは鼻歌交じりに椅子に座る。ヴァルターも軍服の上着だけを脱いで、いつもの場所に腰を下ろした。


「今日もヤーグベルテと一戦あったみたいね」

「ああ。北部方面だな」


 そんな小競り合いがあったこと自体、すっかり忘れていた。ヴァルターはグラスにワインを注ごうとして、ワインクーラーの中でジンジャーエールの瓶が冷えていることに気付く。思わず手に取ってラベルを確認するが、どう見てもジンジャーエールだ。


「あれ? これ、ジュースだけど」

「いいの。間違ったわけじゃないわよ? アルコールが良かった?」

「いや、たまには休肝日があってもいい」


 ヴァルターはジンジャーエールをグラスに注ぎ、軽く掲げて見せた。エルザも「かんぱーい」と言いつつ掲げ、一気に呷った。


「やっぱり、生姜は良いわね。スッキリするわ」


 エルザはニコニコしながらそう言い、ヴァルターに料理を勧めた。ステーキを中心に、パスタサラダ、生地から作ったピザ、ポタージュスープ、海藻のサラダ……まるでレストランのコース料理のようだった。


 ますますいぶかるヴァルターだったが、エルザはノーヒントである。エルザはさっそく料理を食べ始め、ヴァルターもそれに流されるようにステーキを口に運ぶ。


「ねぇ、ヴァリー。連日ヤーグベルテと戦闘があるみたいだけど」

「三日から一週間に一回程度だな、実際に砲火交えるのは」

「十分多いわ」


 エルザはジンジャーエールを飲みながら、少しだけ暗い顔をする。


「テレビやネットでは、連日大勝利が報道されているけど、正直私は懐疑的よ、には」

「エルザ。どこに耳目があるかわからないんだから、滅多なことは口にするなよ」


 ヴァルターはである。ヤーグベルテ系アーシュオン人は、いついかなる時も優遇されているし生活も保障されているが、それは彼らが国家に対して従順である場合に限られる。つまり、ヤーグベルテ系は、どんな時でも情報部あるいは保安部にマークされていると言っても良い。ヴァルター程の知名度、階級になればなおのことだ。現に今だって、シルビアという情報部関係者が、任務中はほぼ常時ヴァルターの隣にいる。


 エルザはしばらく黙ってパスタサラダをモリモリと食べていたが、やがて意を決したように顔を上げた。


「ねぇ、ヴァリー。休暇って取れる?」

「休暇?」

「だって、ここずっと出撃もないでしょ? だからちょっと有給って奴をいくらか取って欲しいのよ」

「結構消化したつもりだけど」


 ヴァルターは首を傾げる。エルザから休みを取ってくれと頼まれたことは今まで一度もない。強いて挙げれば結婚式の直前直後くらいだが、それは別にエルザに頼まれるまでもなく、軍から半ば強制的に取得させられたものだ。さすがに大尉(当時)が慶弔休暇も取れないと言われてしまうと、軍の士気にも関わるからである。


「それにな、エルザ。次の海戦での出撃が決まったんだ。詳しくは話せないけど、とにかく大きな戦いになる可能性がある」

「そ、そうなんだ」


 エルザはジンジャーエールを手酌しつつ、少し慌てた様子を見せた。


「どうしたんだ一体。何かあったのか?」

「あったよ」


 エルザは真面目な顔をして、ヴァルターをじっと見た。


「実はね、今日病院行ってきたんだ」

「えっ……!?」

「産婦人科ってやつ」


 そこまで言われて、ようやくヴァルターは状況を理解した。


「三ヶ月だったよ」

「ほ、本当か!」

「本当本当。でもまだ安定期じゃないから、実は悪阻つわりもけっこうものすごくて」

「全然気付かなかったよ……」


 ヴァルターは頭を殴られたような衝撃を覚えていた。ここのところ暇に開かせてきっちり定刻で帰ってきていたというのに。毎日顔を合わせていたというのに、悪阻の一つにすら気付かなかった自分の迂闊さに、ヴァルターは少なからずショックを受けた。


「いいのよ、ヴァリー。一生懸命隠し通した私の勝ちってことで。でもま、今日母子手帳ももらって来たから、今日が記念日ってことで」


 エルザは新しいジンジャーエールのボトルを冷蔵庫から取ってきて、ヴァルターのグラスに注いだ。


「ああ、物取って来るとか、そういうのは俺がやるよ」

「いいのいいの。やれる範囲で頑張るから大丈夫よ」


 エルザは幸せそうにニコニコと笑うのだった。


「ところでヴァリー、名前なんだけど」

「気が早いなぁ。三ヶ月だろう?」

「お腹に話しかける時に、名前がないと不便なのよ。決めてくれる?」

「んー、いきなり言われてもな……」


 ヴァルターはスープを飲みつつ、考える。エルザはジンジャーエールを注ごうとして、やめた。その代わりに水差しから水を注いだ。


「ま、そうよね。ところでヴァリー、出撃っていつ?」

「明日。さっき決まった」

「と、突然なのね……」


 エルザの顔が曇る。


「ヴァリー、約束してよ。生まれた瞬間母子家庭とか、そういうのイヤだからね。絶対帰ってきてよ」

「ああ。そういう話なら、意地でも生きて帰ってこなきゃならないな」


 強敵はいる。作戦も厳しい。敵の切り札が何かもわからない。


 それでも――。


「大丈夫、必ず無事に帰って来るし、ヤーグベルテの連中も蹴散らすさ」

「いつも通りに?」

「いつも通りにだ」


 ヴァルターは生真面目に答えた。エルザは頷いて、また微笑んだ。


「じゃぁ、帰ってくる時までに、名前決めておいてよ」

「男? 女?」

「さぁ? まだわからないわよ」


 エルザは「あと三ヶ月くらいしないとね」と付け足した。ヴァルターはそんな知識はまるでなかったから、素直に驚いた。


「じゃ、じゃぁ、帰ってくる時に決める。行き道は戦いに集中したい」

「もちろん。あなたが生きて帰ってくるのが大前提だもの。子どもの名前考えてて撃ち落とされましたなんて、シャレにもならないわ」


 エルザは声を立てて笑った。そしてステーキに豪快にかぶりつく。


「いわゆる……みたいなのよね。やばいわ、ほんと」

「たべつわり?」

「なんでもいいから常に食べていたいっていう。太ると医者に怒られるってネットで書かれていて。妊娠中毒症とか、いろいろあるんですって」

「そうなんだ」


 エルザが太った姿なんて想像できないけどなと、ヴァルターは思う。だが、子どもができればいろいろと変化するものなのだろう。


「それにしても、俺が親になるのか」

「そうよ、ヴァリーパパ」

「なんか、正直言うと、実感がまだ湧かない」

「そんなもんよ、男親なんて。今日突然聞いたわけだし。でも、しっかりするからそのつもりでね」


 エルザは右目を瞑った。


「あ、そうそう」

「ん?」

「というわけだから、シルビアさんと浮気とか絶対だめだよ。この時期、男は浮気しやすいって」

「するか、馬鹿」


 ヴァルターは笑いながら手を振った。エルザは腕を組んでヴァルターを見つめた。


「でも、シルビアさんは明らかにあなたに気があるのよね」

「俺にはそのつもりはない。まぁ、任務では四六時中一緒ではあるけど」

「ま、いいわ」


 エルザは軽やかに言い放った。


「あなたが浮気なんてしたら、一発でわかるわ。そのくらいの目は持ってるつもりよ、私」

「わかってるさ。俺はそんなに器用じゃないしな」

「知ってる」


 エルザはまた右目を閉じた。


「あなたには三つの宿題があるよ、ヴァリー」

「みっつ?」

「そ。一つは、絶対に生きて帰ること。二つ目は、赤ちゃんの名前を考えること。三つ目は、シルビアさんとハグより先のことはしないこと」


 ハグまでは許してあげるからね、と、エルザは小さな声で付け足した。ヴァルターは左手で頭を掻き、「オーケー」と言う。


「任せておけ」

「待ってるからね、ヴァリー」


 そう言ったエルザは、この上なく美しい笑顔を見せた。


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