#09-シーソーゲーム

#09-1:前進

静かすぎる夜

 二〇八六年八月二十八日――暗黒空域、戦死。


 「八・二八の悲劇」とも呼ばれるこの事件は、瞬く間に世界中を駆け巡った。イスランシオに続いてシベリウスまでも失った四風飛行隊は、急速に発言力を低下させた。AX-799も量産にまでは至っておらず、セイレネス搭載戦艦も未だ建造中であり、結果的に空軍、海軍、そして四風飛行隊がそれぞれに発言権を求めて水面下で睨み合うこととなった。


 シベリウスの戦死に伴い、マスメディアも当然のように大暴れした。イスランシオに続き、シベリウスもまた寝返ったのだという説。最初からアーシュオンから送り込まれたスパイだったなどという説すら湧いて出た。見る人が見れば、どれもゴシップの域を出ない下劣な記事であったのだが、メディアリテラシーを磨いてこなかった大多数の国民達には、さも真実の一端であるかのように受け取られさえした。


「カリスマの不在……か。属人化に甘んじてきた報い、ね」


 リビングのソファに深く身体を沈めて、エディットは目を閉じた。シベリウスが戦死してからのこの一ヶ月間は特に、自分が政治をしているのか軍事をしているのか、わからなくなる。


 四風飛行隊。彼らなしに国土防衛が成り立たないのは、シベリウスがいない今だって変わらない。それにも関わらず、四風飛行隊への風当たりは強くなる一方だ。それに付け込んで、アダムス中佐率いる第三課は空軍の予算を上積みしようとし、エディットら第六課は歌姫計画セイレネスシーケンスの継続性確保のために予算を守ろうと必死になった。エディットとハーディは有力上院議員らに働き掛けるため、彼らのもとをほぼ日参していた。これはもう、完全に政治の世界の仕事だった。


 うんざりする、本当に。


 私はいったい何と戦っているんだ。


 エディットはそのだらけた姿勢のまま溜息を吐いた。Tシャツとジーンズの隙間から、引き締まった腹筋がちらりと見えていた。


「でも、姉さん」


 キッチンから、ヴェーラの可愛らしいエプロン――ピンク色の生地の端々にフリルがついていて、胸元にはデフォルメしたウサギのキャラクターがプリントされている――を着けたカティが出てきた。その手にした皿には、牡蠣のアヒージョが盛り付けられていた。カティがワインのツマミにと用意したものである。オリーブオイルの仄かな香りが、エディットのささくれた気持ちを優しく撫でていく。


「なぁに、カティ」

「海軍の予算は何とかなったんだよね」

「幾らか上積みできたけど、ね」

「ならよかったじゃない」


 カティは皿をテーブルの上に置いて、エディットの左斜め前のソファに腰掛けた。テーブルの上には他に、すでに栓の空いた赤ワインとグラスが二つ、そしてバゲットの入った大きな皿が置かれていた。


「んー、美味しそう!」


 エディットはさっそくバゲットの上にアヒージョを乗せて口に運ぶ。


「あなた、四風飛行隊で料理を学んでるの?」

「まさか」


 エディットの飛ばすジョークに、カティは笑う。そして二つのグラスにワインを注いだ。


 カティもエディットも多忙を極めているし、カティはほとんどエウロスの基地にいる。休日に一緒に過ごせる機会は一月に一度あるかないかだった。もっとも、それでもヴェーラやレベッカに比べればまだ大分マシなスケジュールではあった。二人はほぼ休みなしでセイレネスの調整作業に駆り出されている。今日も本当は休日予定であったにも関わらず、スケジュールの遅れを取り戻すために急遽呼び出されて行ってしまったっきり、午後七時半現在、まだ帰ってきていない。


「海軍の予算は増えたけど、つまりあの子たちの負担も増えたってことなのよ」

「そっか」


 カティはワイングラスを持ち上げる。エディットも小さく掲げ、そして口を付ける。そして「ほぅ」と息を吐いた。


「四風飛行隊はどこの隊も最盛期の半数しかいない。機体だって何とか最新鋭機を回しているけど、生産ラインも限界が近いわ。工場が幾つかやられちゃってるからね」

「それで、未だ一度も実戦に出てないセイレネス?」

AX-799テラブレイカーはセイレネスとセット運用するのが妥当っていう結論が参謀本部本会議で出たことだし」


 なるほど――。カティはアヒージョを咀嚼しながら、エディットの疲れた表情を盗み見る。エディットはその視線には気付かず、次のバゲットに手を伸ばす。


「姉さん、あのロイガーと、なんだっけ、ナイト何とか」

「ナイトゴーント」

「それ」


 カティはワインをまた飲む。カティは酒にめっぽう強い。いくら飲んでも赤くもならない。


「奴らの正体、つかめた?」

「見当はついてる」


 エディットは機械の眼球でカティを見る。


「いわゆるアーシュオンの超兵器群は、基本的なシステムは一緒。――セイレネスとね」

「えっ?」


 思わず訊き返すカティである。


「セイレネス!? アーシュオンが?」

「そう。ヴェーラやレベッカたちにはって。歌が」

「歌……」


 カティは視線を鋭くして、ワイングラスに映る自分の顔を睨んだ。


「どうしたの? 何か覚えでも?」

「……あるよ。イスランシオ大佐が撃墜されたあの戦闘の時、アタシはしっかり見たんだ。奴らの戦闘機が、薄緑色に……士官学校でセイレネスが発動した時に見た、あの色に光ったのをね。でも、シベリウス大佐でさえ、それには気付かなかった」

「あなたにしか、見えなかった?」


 エディットの問い掛けに、カティは「わからない」と首を振る。


「でも、だとしたら。セイレネスの技術をアーシュオンが持っているのだとしたら……!」

「そ。だから、海軍は既存設備や装備を縮小してでも、セイレネスへの予算を倍々ゲームのように当て込んでいる」


 つまり、セイレネスにすがる以外の道がない――。


 ヤーグベルテは、もはやそこまで追い詰められている。


「そのエプロン、似合ってるわね」


 エディットはカティが付けたままにしているピンクのエプロンを指差して微笑んだ。カティは「あっ」と呟くと、慌ててそれを外す。


「かわいかったのに」

「こんなデカ女、かわいいなんてガラじゃないよ」


 カティは少し目を伏せて言った。その横顔を見て、エディットは柳眉を下げた。


「あなた、強くなったのね」

「え、どういう文脈、それ」


 カティはエディットを見て、そしてぽりぽりと頭を掻いた。


「ああ、そうそう。暗い話題ばかりでもないわよ。正式には明日公表されるけど」


 エディットは空になった二人のグラスにワインを注ぐ。カティは「?」を浮かべながらもワイングラスを手に取った。


「カルロス・パウエル。覚えてる?」

「教官の弟だよね。ユーメラで飛んだ」


 忘れるはずもない。候補隊に於いても前例のない好成績を上げているエリート中のエリートだ。カティをも凌ぐのではとさえ言われている。


「候補隊から正式にエウロスに異動になるわ」

「へぇ! 楽しみだな」


 カティは素直に喜んだ。先月の戦闘でエウロスは実働戦力を半数にまで減らされてしまった。一人でもまともな飛行士パイロットが補充になるのはありがたかった。


 珍しくカティの表情がほころんだのを見て、エディットはさらに追い打ちを仕掛けた。


「それで、あなたの二番機になる」

「ん?」

「あなたの、二番機」

「アタシの?」


 意味が分からず、カティはエディットの顔を凝視した。エディットはワインを飲みつつ、言う。


「軍隊ってね、外向けの宣伝ってすごく大事なのよ」

「外向け? 国民向けってこと?」

「そうとも言う」

「ええと、話が繋がらないんだけど……」


 困惑するカティを見て、エディットは喉の奥で「ククッ」と笑った。そしてワイングラスを少し高く掲げた。


「おめでとう、カティ。エウロス飛行隊隊長殿」


 エディットの機械の瞳は乾いていた。


 カティは、絶句した。









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