青い火花

 喫煙室を出たシルビアは、俯いたまま速足で自室へと向かっていた。カンカンカンカンと靴底が床を打つ音がうるさく響いた。


 今の私は、いったい何に縛られているんだ?


 いったい何を守りたいと思っているんだ?


 シルビアは何度も何度もそう自問していた。答えはハッキリしている。知っているのだ。理解わかっているのだ。それを口にすること、それを答えだと認めてしまうことだけは、シルビア自身の理性とプライドが阻止していたが、それでも――悟って欲しいという想いはあった。受け容れられないことは知っている。だがそれでも。そんなとしての想いが、シルビアの中には確かに芽吹いていた。


 だが。


 シルビアの奥底にある、その基底ベースとなっている人格は、シルビア自身の意志に反して別なもの――すなわち国家――への従属こそを最優先事項としている。そんなことは望んでいないはずだと、この二年、いや、三年近くの間、シルビアは何度も自分に問いかけてきていた。しかし、最後の最後で、どうしてもそれを自分自身に証明できずに終わってしまっている。


 シルビアは爪を噛みたくなる気持ちを抑えて、自室へと急ぐ。


「やれやれ」


 不意に斜め後ろから掛けられた声に、シルビアは驚いて立ち止まった。知っている声だが、聞いた事のないトーン。その持ち主がコツコツとゆっくりとシルビアの前に回り込んで来た。後ろで手を組んだフォアサイトである。フォアサイトは全く表情を読み取れない影のある顔で、シルビアを見上げていた。いつも快活で能天気に振る舞っているフォアサイトと同一人物であるとは到底思えないほどに。


「ったく、情報部関係者の癖に、よく喋るよね。分かり易すぎるし」


 囁くようなその言葉に、シルビアは思わず一歩後ずさった。いつもなら平然と「何か?」とやり返すところだろうに、予期せぬ人物からの予期せぬ追及の前に、あっさりとそれを認めてしまう格好になってしまった。


「……本当に情報部なの、あんた。ありえないんですけど」


 フォアサイトがシルビアの顎を人差し指で突く。


「ま、ここじゃアレだから、あたしの本当の部屋に移動しよう。すぐそこだよ」

「……ああ」


 シルビアは観念してフォアサイトについていく。この艦内で逃げることは不可能だし、逃げたら誰が空戦でヴァルターを助けるのか――ただそれだけの理由だ。


 フォアサイトの部屋は、極端なほど殺風景だった。固定された机、放置された寝袋、そして椅子が一脚。これしかない。広さもせいぜいが三メートル四方と、決して広くはない。


「ま、座ってよ」


 フォアサイトは唯一の椅子をシルビアに勧め、自分は机の上に腰掛けた。シルビアは腰を下ろすとジッとフォアサイトの目を見つめ、その真意を探ろうとする。が、フォアサイトの目には何の感情もうかがえず、その考えを読み取ることもできなかった。


「さすがは大理石マーブル。もう落ち着きを取り戻してる。クールだねぇ」

「……用がないなら失礼する」

「せっかちだねぇ、あんたはさ」


 フォアサイトは目を細め、シルビアは無言で立ち上がった。が、フォアサイトは落ち着き払って「出られないよ」と言った。シルビアは構わずドアを開けようとした。しかし、ドアには鍵がついていないのに、何故か開かない。


「あんたが情報部かどうかなんて、大した問題じゃなくてさぁ」


 フォアサイトはシルビアを押しのけて、ドアに背を押し付けて立つ。シルビアは眉間に皺を寄せ、フォアサイトを見下ろす。フォアサイトは涼しい顔をしてそれをやり過ごし、言い放つ。


「イライラするんだよねぇ、あんたさ。煮え切らないっつの?」

「本題を言えと言っている」

「あ、そ」


 フォアサイトは髪を一度かき上げて、そしてまた机の上に戻った。


「あんた、隊長の事が好きってことだろ。好きだし、心配だし。でも隊長にはもう嫁がいるし?」

「プライベートに入り込むな。焼き殺すぞ」

「おお、怖い怖い」


 フォアサイトは棒読みでそう言い、ニヤリと嗤った。


「さて本題だけど。今あたしが確認したいことは一個だけ。あんた、今回の戦闘の件では、情報部からは何も?」

「意味が分からな――」

「あんたはんだよねって訊いてる。わかる?」


 溜息交じりに説明するフォアサイトに、シルビアは数秒間押し黙った。


「私が仮にイエスと応じたところで、それを正しいと証明できるのか? ノーというメリットはそもそもない。つまり、私の答えは、イエスだ」

「めーんどくさ! めんどくさいねーあんたは」


 フォアサイトは机の上で胡座をかいて頬杖をつく。


「複雑な事情がある事くらい、あたしにはわかってる。あたしだってあたしの任務や立場について答えてやれる立場にはないけどさ。でもね、あんた、やるべき事とかやりたい事とか、ほんとはハッキリわかってんだろ?」

「私は任務が――」

「じゃーっかしいわ!」


 その一喝に、シルビアは一瞬、顔をひきつらせた。


「あんたさー、いったい何がしたいワケ? 悶々としてる自分のツラを鏡で見て、あたしってばかわいそーとか思ってるワケ? それともそう言って欲しいワケ?」


 畳みかけるような鋭利な糾弾に、シルビアは沈黙する。


「あんたは隊長の事が好きなんだろ。隊長を守りたいんだろ、本当は。隊長の奥さんだの、情報部だの、そんな諸々なんて言い訳にしてるだけでしょうが」

「でも私には」

「うっせーっての。黙って聞けよ、アホ。あんたの任務は隊長の監視。敵の捕虜になりそうならその前に殺害。大方こんなところだろ、あいつらの与えそうなメニューから推測するとさ」

「それは――」

「うっさいうっさい! シルビア・ハーゼス。あんた、分かってると思うけどさ、今回の任務は、ああ、マーナガルムとしての任務ね。こいつは本気でヤバイ。情報部がまとめてあたしたちを殺しにかかってるとしか思えないくらいヤバイ」


 フォアサイトは机の引き出しから拳銃を取り出した。シルビアは思わず身構える。が、フォアサイトはシルビアの目の前で、拳銃を手並み鮮やかに分解し始めた。


「いいかい、あんたが隊長を殺すとか殺さないとか、そんなことはあたしにとっては些細な問題なんだ。だけどね、あんたがそんな具合にグダグダ迷っているような状態は望ましくない。女なら覚悟を決めな。あんたが隊長と心中するってんなら飛び立つ前にやってくれ。あたしたちをクソくだらないソープオペラなんかに巻き込まないでくれる?」

「……心配するな。私は期待以上には戦う」

「そうじゃなくって!」


 分解する手を休め、フォアサイトは髪を苛々と掻き毟った。シルビアはガラスの瞳でそれを眺める。


「……まぁいいや」


 フォアサイトはガックリと脱力した。そして今度は、これまた鮮やかな手つきで銃を組み立てていく。


「あんたとまともに話ができるかもと期待しちまったあたしがバカだったわ。この三年でずいぶんと人形臭さが取れてきたと思ったのに、さ。でもま、この預言者フォアサイト様の目は誤魔化せやしないよ。次の作戦、しっかりやんな」

「……善処する」


 シルビアはドアに手を掛けた。開けようとして思いとどまり、再びフォアサイトの方を振り返った。


「私は――迷っている。悩んでいる」

「ほう?」

「私は隊長が、好きだ。だが、それさえ、信じていい気持ちなのか、分からない。信じていい感覚なのか、確信が持てない。理由、足枷、そんなものに縛られ続けている自分が、ただそこから逃げるために創発つくりあげただけの錯覚なんじゃないかと。わからないんだ」

「ふふふ……くくくっ、あははははっ」


 フォアサイトは聞いた事もないような嬌声を上げ始める。シルビアは無表情にフォアサイトのその様子を眺め、内心では非常に狼狽していた。


「心配ないよ、石頭マーブルヘッド


 フォアサイトは深い海の色の瞳で、シルビアを撃ち抜いた。


「人を好きになるってのはそういうことだ。わかんないもんなんだよ。だから、好きかもって思った時はもうすでに好きってことだ。手遅れ。わかる? 手遅れ」


 フォアサイトは組み上がった拳銃をチェックして、そしてまた机の中に乱暴に放り込んだ。


「ま、そうと理解できたんならさ、あとはその時その時に任せて好きにやってりゃいい。いい年した大人なんだし。倫理的にどうかなんてメンドクサイ話は、あんたらに任せるけど、さ。ともかく、あんたは自分の定義が弱すぎる。スタートライン決めな、さっさとさ」


 フォアサイトはシルビアの横を通り過ぎて、扉を開けた。おそらくフォアサイトにしか開けられない仕掛けがあるのだろう。


 ったく、あの色男――。


 フォアサイトは歯噛みしたい気分だった。実力も人望もある。容姿だって端麗と言って差し支えない。根暗な性格がマイナスポイントになってはいるが、総合得点は上の下くらいにはなるだろう。だが、あいつは女心が分からなさすぎる。おかげでシルビアのような素直過ぎる人間が、立場と心の間に挟まれて身動きが取れなくなってしまう。


 まったく、やれやれだ。


 フォアサイトは首を振り、シルビアの腕を掴んで部屋の外へと押し出した。


「フォアサイト」

「なんだい、シルビア」

「……作戦が終わったら、ゆっくり話そう」

「ふふ、喜んで」


 フォアサイトはそう言ってから、部屋のドアを閉めた。


「ったく、盗み聞きとは趣味が悪いよ、クリス」

「げっ、バレてた?」


 部屋の隅にはクリスティアンが腕を組んで立っていた。


「いくら気配を消していても、預言者フォアサイト様は誤魔化せないっての」

「はいはい、恐れ入りました」


 クリスティアンは頭を掻いてそうおどける。フォアサイトはニヤリと笑って尋ねた。


「んで、どう思った?」

「んー? 別にどうとも。シルビアは情報部の人間で、それ以上でもそれ以下でもねぇし。やることやってるうちは、俺は別に何もしやしねーよ」

「あんたらしいや」


 フォアサイトは肩を竦めると、クリスティアンを部屋から蹴り出した。


「あつつつ……乱暴だな、おい」

「作戦前に一寝入りすんの。今回ばかりは万全の体調で行きたいからね。さ、ね!」


 フォアサイトはシッシッと追い払うような仕草をし、そして乱暴にドアを閉めた。


「ったく乱暴なんだからよぉ」


 取り残されたクリスティアンは、どことなく愉快そうに呟き、自分の部屋へと帰って行った。

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