カウンターアタック

 ヴェーラがカップをソーサーにカタンと置いた時だった。


 レベッカが「あっ!」と声を上げて、カップを持ったまま立ち上がった。その目は眼鏡のレンズ越しに鋭く、メインモニタを射抜いていた。


「どうした?」


 エディットは思わず怪訝な表情を浮かべ、つられるようにしてメインモニタの方を見た。


「ハーディ少佐、何かあったか?」

「電磁波および爆炎の干渉が酷くて、海上の様子は何もわかりません」


 ヴェーラはソーサーをエディットのデスクの上に置くと、ゆっくりとした動作で立ち上がり、言った。


「……来る」


 その瞬間に、海上の煙が一息にして晴れた。海面には何もいなかった。アーシュオンの三個艦隊は一隻残らず消滅してしまったのか――ともかく、何の痕跡も見当たらなかった。海は驚くほど穏やかで、まるで何事もなかったかのように平和に見えた。


「どういうことですか、これは」


 プルーストが紅茶のポットを中途半端な姿勢で保持したまま呟いている。


「いた! あそこ、拡大して。左上!」


 ヴェーラが言う場所を的確に拡大していくハーディ。三度目の拡大で、ようやくそれが中心に現れた。紛れもない、ナイアーラトテップである。


「ふん。AX-799がこのクラゲを駆除できるというのなら、アダムスの野郎を少しは見直してやるところだ」


 エディットは椅子の背もたれに全力で身体を預けながら顎を上げる。その口調には二種類の期待が込められていた。クラゲを撃退できる兵器であることを証明できるのならば良し、失敗してアダムスの顔と経歴に泥が付くのならなお良し――。


 AX-799もクラゲを発見したらしく、その非常識とも言える全火力をクラゲに集中し始める。たちまちのうちに海面は爆炎に飲まれたが、誰もがこの程度であの化け物を退治できるとは思っていない。


「お手並み拝見」


 エディットはプルーストに頷きかけて紅茶を注いでもらいつつ、意地悪く言った。ハーディも見物に回ることを決めたようで、デスクの上にあった自分のカップにインスタントコーヒーの粉を投入する。気を利かせたプルーストがそのカップを持って給湯室へ走る。ハーディは眼鏡の位置を直しつつプルーストを見送り、そのよく引き締まった美脚を組んだ。


 ヴェーラは四杯目のお代わりを頼もうかどうか悩んでいたが、レベッカに脇をつつかれて、遠慮することを決める。


「……なんかお菓子欲しいな」

「ヴェーラ! そんな状況じゃないでしょ!」


 レベッカが常識的な指摘をしている間に、ハーディの手元にコーヒーが届けられ――状況が動いた。


「あっ」


 ヴェーラとレベッカが同時に声を上げる。ハーディがすぐさま自分の端末の方へ視線を送り、報告を上げる。


「クラゲより艦載機、二、いや、三。さっきの三機とは……少し違いますね。ロイガーではないかもしれません」

「新型か?」


 エディットが面倒くさそうに尋ねると、ハーディは眼鏡のレンズを光らせながら義務的に答えた。


「さっきのは装甲形状こそ違いましたが、恐らくロイガーのマイナーチェンジ機種でしょう。今回のは……今メインモニタに出しましたが、推定出力で七割増し。機動性もロイガーのものでは計算が合いませんね。新型、つまり本作戦の真打と考えても良いかと思います」

「インターセプタは目くらましか!」


 エディットは自分の端末にも表示されているその新型機の観測データを、思わず身を乗り出して覗き込んだ。その後ろでヴェーラがガタンと立ち上がる。


「あれは、さっきまで飛んでた三機とは比べ物にならないよ!」

「そうね、の音圧が全然違う」


 ヴェーラとレベッカは顔を見合わせた。


 さっきの三機の時に感じた音の絡まり合い。それはただのに過ぎなかったのだと、二人の歌姫は気が付いた。そしてこの三機は完全なを形成する――この三つの音源による連携攻撃は後に「コーラス」と呼ばれる名称を与えられる。


 その三機のツルギのような戦闘機は、瞬く間にAX-799の直下一千メートルまで空を駆け上がってくる。AX-799はそれらを叩き落とそうと火力を集中させるが全く通用しない。AX-799から多数のUCAV無人戦闘機が発進して、その三機の新型機に立ち向かっていく。だが、歯牙にもかけられずに粉砕されてしまう。


「勝てるわけない」


 空になったカップを両手で包み込むようにしながら、ヴェーラが呟く。レベッカも小さく肯いた。エディットはその様子を横目で見つつ、ふぅ、と息を吐いた。


「莫大な予算がこのザマか」


 エディットは紅茶を飲み干すと、カップをソーサーに置いて、億劫そうに立ち上がった。そして先ほどと同じように、メインモニタの前に仁王立ちになって状況を眺め始める。


 AX-799からの映像が乱れ始めた。機体のダメージが蓄積されていっているのが、画面の左端に並ぶシステムログからも読み取ることができる。


「プルースト少尉、ここはもう良い。レーマン大尉を手伝ってこい」

「イエス・マム」


 プルーストは紅茶のポットをエディットのデスクの上に置き去りにして、階下へと消えて行った。


「テラブレイカー、か。アレの搭乗員たちとて、厳しい訓練を受けた精鋭だっただろうに」


 助かる可能性は万に一つもない。高度四万メートルからの脱出自体、非常に困難だ。その上、周辺空域には致死量の放射線が飛び交っている。


 その時、ハーディが「そら来た」と言いながら通信を仲介した。


「大佐、第三課から通信が入っていますが」

「準備はオーケーだ」

「繋ぎます」


 その途端、アダムス中佐がメインモニタの中に現れた。先ほどまでかっちり撫でつけられていた髪が台無しになっている。アダムスは血走った目を見開きながら、大きく右手の人差し指を突き出している。


『ルフェーブル大佐! 我々はあの新型機の存在を知らなかった! 情報が隠蔽されていたと考えている! テラブレイカーであればロイガーなどおそるるに足りぬものだった!』

「ふん、ここに来て泣き言か?」


 情けない奴――エディットは心の底からアダムスを蔑んでいる。


『私に恨みを持っていたのはあなただ、エディット・ルフェーブル大佐!』

「それは心外」


 エディットはスッと腕を組んだ。


「私を嫉み羨んでいたのは貴様の方ではないか。私にとって貴様など、取るに足りぬ相手だ」

『それゆえに、私に情報を隠したのですね、あの新型機の! ロイガー以上の敵機が現れるなど、我々の想定外だ!』

「ふん、私が個人の感情でそんなことをする女とでも思っているのか、貴様は。私が個人的感情で動く女だとするならば、先ずは貴様の額に風穴の一つでも開けてやっている所だ」


 エディットはハーディの方をちらりと見遣った。ハーディは胸に手を当てて「お任せください」と言わんばかりに一礼する。エディットは唇を少し歪めて冷たい微笑を浮かべる。


「アダムス中佐。私に対する暴言や虚言であれば好きなだけ喚いていても気にもならない。だがな」


 エディットは声のトーンを急に下げた。周囲の空気が凍り付くほどに冷たい声だ。


「私が聞き捨てならないのは、想、定、外、という言葉だ!」


 表情のない機械の眼球と、凄絶な火傷の痕、そして温度を微塵も感じられない鋭い言葉。その三つの合わせ技に、アダムスは明らかに怯んだ。


「教科書通りに線を引いて、効率よい引き算と足し算をするのが参謀の仕事だと思っているのなら、貴様に三課の統括などちゃんちゃらおかしい! 我々参謀の采配一つで兵士は死ぬ! 兵士を殺すのは我々だ! わからんのか、彼らの声が! 彼らがどれほど痛み、恨み、呪うのか、貴様にはわからんのか!」


 AX-799のダメージログだけがひたすらメインモニタの端を駆け上がっていく。ハーディはそれを見ながら無表情に情報の整理を行っている。


「いいか、アダムス。我々は計算問題を解いているわけではないのだ。我々にとっての、それは前線の者たちにとって何だ? わからないこと、それは恐怖だ。恐怖でしかない。どんなものからでもどんな手段ででも、手がかりを集めろ、探せ、考えろ! だなどというふざけたことを抜かす前にやれることはある。だなどと思考停止して、現場を捨てるな! ふざけるな!」

『しかし、それは――』

「黙れ、クソ野郎!」


 エディットは不動の姿勢のまま、そう吐き捨てる。無表情で不動のままそんな暴言を吐くものだから、オーバーアクションに騒ぎ立てるアダムスの滑稽さがより一層引き立った。ヴェーラとレベッカは首を竦めて身体を小さくして、その嵐が過ぎ去るのを待っていた。


「最後に一つ助言してやる。傾聴しろ、アダムス。いいか、我々が引き算をする時はな、それは誰かに死ねと言っている時だ。そして足し算をする時というのはな、誰かにこれから死んで来いと言っている時だ。それが参謀の言葉であり、これが参謀の責任だ。? それはな、最悪の、クソの付くほど最悪の言い訳だ。わかったか、アダムス。参謀の本分を弁えろ!」


 実はハーディでさえ、ここまで激昂したエディットを見たことがなかった。遥か第三層にまでエディットの怒声は届いていたし、その剣幕をまともに受けた者たちはほぼ例外なく冷や汗をかいていた。そもそも、エディットはもともと穏やかな性分ではない。


「大佐、テラブレイカーがちます」


 ハーディの報告が上がる。メインモニタの中で蒼白になっているアダムスは、それでもなお、口元を歪めるようにして哂っていた。


『あれには脱出装置も――』

「即死相当の放射線の嵐の中をどうやって生き延びるというのだ」


 実際の所、脱出装置を使う前にAX-799は空中分解を始めていた。天空の要塞がばらばらと崩れて燃えながら落下していく。その中には人間の姿も含まれていた。


「見世物は終わりか、アダムス。祝辞は送ってやる。搭乗員数十名と莫大な予算を注ぎ込んだ試作機一機と引き換えに、敵三個艦隊の殲滅を成し遂げた偉大な業績に対してな!」

 

 結果として撃墜されてしまったとはいえ、戦果は戦果だった。アーシュオン本国の三個艦隊を殲滅したなどという前例はないのだ。これにより、アーシュオンは百隻以上の艦艇と、三万人を超える軍人を喪失したことになる。それは決して小さい数値ではないはずだった。また、ロイガーを凌ぐ超高機動戦闘機の存在や性能もつまびらかになったということも戦果としてカウントしなければならない。クラゲもといナイアーラトテップがその運用能力を有していることも。


『ふん、当然です。T計画はまだ始まったばかりですからな』


 アダムスはそう言うと一方的に通信を切った。その姿が画面から消えるのを待っていたかのように、ヴェーラが「なにあいつ」などとぶつくさと言い始める。レベッカも同意しているのか、特に止めるようなことはしない。エディットは大股で自席に戻り、腰を下ろすと座面をぐるりと回してヴェーラたちの方を振り返った。


「これが現実というヤツだ、グリエール、アーメリング。ネットニュースではもうじきこのについて華々しく書き散らす事だろう」

「……大戦果」


 ヴェーラはジト目でエディットを見つめる。レベッカは顎に手をやって、少し考え込む。


「この戦果を元に、テラブレイカーは量産を開始。それによってヤーグベルテは、アーシュオン本土への機動兵器での攻撃手段を手に入れる、と」

「え、でもベッキー、それじゃあの新型に――」

「さっきアダムス中佐が言っていたでしょう? ロイガーなら何とかなったって」


 レベッカは眼鏡のフレームを右手の人差し指で少し押し上げた。ヴェーラはその謎の迫力に頷いた。


「兵器というのは必ず超克ちょうこくされるものよ、ヴェーラ。核兵器がそうされたようにね」


 レベッカらしからぬ強い語気である。そしてエディットの機械の瞳を見つめ、レベッカは問い掛けた。


「私たちもあのテラブレイカーと同じですよね、大佐」

「……切り札だ」


 エディットは目を逸らさずに、しかし、短くそう答えた。レベッカは曖昧に頷き、ヴェーラの方へ顔を向ける。


「ヤーグベルテは専守防衛の姿勢をこの百数十年間貫いてきた。でも、多分それはもう終わるわ。だって、ここまで酷い目に遭わされてきたんだもの。そしてヤーグベルテはたった一機で三個艦隊をに出来るような、圧倒的な力を手に入れた。たまった不安、鬱憤、不満……捌け口を求めたそれらの感情は、あっという間に世論を作る」


 レベッカは一つ息を吸い込んだ。そして続ける。


「ヤーグベルテは民主主義国家。選挙が国を動かす以上、国は世論には抗えない」

「そか」


 ヴェーラは頷いた。


「税金徴収の名目もできる。国防費はうなぎのぼり。歌姫計画にしてもT計画にしても一気に加速していくよってことだね」

「ええ」


 レベッカは静かに肯定した。エディットはくるりと座面を回して二人に背を向け、静かに呟いた。


「二人とも、帰って良いぞ。もうここでは面白いことは何も起きん」

「……はい。行くわよ、ヴェーラ」

「うん」


 二人は手を繋いで立ち上がり、静かに司令室から出て行った。


「アレックス、二人の帰りの車の手配を」

「すでに手配済みです」

「……助かる」


 エディットは疲れた声でそう言い、もはや何も映していないメインモニタをじっと睨み据えた。


「平和主義の民主主義国家……か」


 今となっては、その響きはひどく白々しく感じられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます