#07-2:新たなるカード
ポリティカル・パフォーマンス
午前四時五十三分、南東諸島全域を守護する第八特務海兵隊旅団司令部より、交戦報告が上がり、大至急参謀部全課に共有された。
「おはようございます、大佐」
夜間の指揮を行っていたレーマン大尉がエディットに敬礼する。エディットはそれに応えるのも時間の無駄だと言わんばかりに、自席のところへと速足で移動する。
「状況の報告を」
「はっ」
レーマンはその厳つい顔に緊張を貼り付かせ、司令室のメインモニタを指し示した。
「あれが、ちょうど三十分前に八特海兵旅団より送られてきた報告です」
「クラゲだな」
「はい。クラゲもといナイアーラトテップとその艦載機により、八特海兵旅団司令部が奇襲されたようです」
「そこは把握している。司令部からはその後の報告は?」
「第一報の他、ありません。沈黙しています」
そこでレーマンはメインモニタの画像を切り替える。島嶼の相互監視カメラからの映像だった。水平線の彼方で、巨大な爆発が発生している。
「あれの爆心地が八特海兵旅団司令部です」
「……反応兵器か?」
エディットは手元のタブレット端末を操作し、はたと手を止めた。
「地形が変わった?」
今まさに入って来た情報だった。衛星からの写真では、立ち上るキノコ雲のおかげで何がなんだかわからない。
「八特の残存部隊からの報告ですね」
レーマンもその情報を確認して頷く。他の島に駐留していた部隊が、ようやく報告を上げてきたのだ。
「司令部に対してはISMTが使用されたと思われる……か」
エディットはそう言いながら、当時の電探監視ログを取り寄せる。タブレット端末に映し出されるログは、実に閑散としたものだった。それを覗き込みながら、レーマンは眉根を寄せる。
「ログ的には平和そのものに見えますね」
「弾道ミサイルの類の発射も確認されていない。レーダーには何の痕跡も残されていない。となるとISMT説はおそらく正しいな」
クラゲやその艦載機の姿は、邀撃部隊によって確認されている。
ISMTという単語がメインモニタに表示されるのと同時に、喧騒に包まれていた司令室がしんと静まり返った。その静寂の中、擦過音と共にドアが開いて、ハーディ少佐が入って来た。
「遅くなりました、大佐」
「朝方まで会議があったのだろう。休んでいないのではないか?」
エディットはハーディの肩を軽く叩き、そう気遣う。
「私は元狙撃屋ですから。二、三日眠らなかったところで、判断力に影響は出はしません」
「そうか」
ハーディの髪は少し濡れていた。シャンプーの仄かな香りがエディットの鼻腔をくすぐった。おそらく帰宅してシャワーを浴びていたら呼び出された――そんなところだろう。
ハーディは自分のタブレット端末を手に取ると、即座に状況を確認し始めた。まるで冷徹な表情で端末を睨むハーディの横顔は、エディットには途轍もなく頼もしいものだった。ハーディはレーマンから補足説明を受けつつ数分で状況を掌握する。そしてその硬質な声で言った。
「ついに来た、という感じですね」
「そのようだ」
この一年間、アーシュオンによる攻撃は散発的なものばかりだった。参謀部の統一的な見解としては、「アーシュオンの新兵器の実戦試験のための軍事行動」である。だが、今回のこれは違う――エディットとハーディはそう考えた。
「第七艦隊は?」
「南洋だ。いつでも報復できる位置にはいる」
エディットは渋面になってそう言った。ハーディは無表情に眼鏡の位置を直す。
「鳴り物入りのミサイル駆逐艦、ですか。使わないに越したことはありませんが」
「あの第七艦隊に、核ミサイルが配備されていることが重要だ」
エディットはハーディに負けず劣らぬ硬い声で言う。
リチャード・クロフォード大佐率いる第七艦隊は、ヤーグベルテの切り札である。今や第七艦隊の動きは最高軍事機密であり、参謀部の中でも知る者は限られている。そして基本的な運用はクロフォードに一任されているというのが現状であるため、味方にとってもまた神出鬼没な存在でもあった。彼らの動きをつぶさに知っているのは、クロフォードとのコネクションを持っているエディットただ一人である。
「レーマン大尉、状況に変化があれば報告してくれ。指揮は第一課だな?」
「肯定です。それでは私は自席に戻ります」
「分析班に映像解析レポートを急がせてくれ。他の課に出し抜かれたくはない」
「承知しました」
レーマンは微妙な表情を浮かべながら、下りのエスカレータに消えて行った。
「ハーディ少佐、宛先に君が入っているメールは任せる。あとでまとめ」
「十五分ください。全部目は通しました。急ぎの用件はありません」
「あ、ああ」
腹心の仕事の速さに半ば唖然とする。忍耐強い人材を探していたらハーディに行き着いたのだが、ここまでの処理能力は期待してはいなかった。だからスカウトしたエディットにとって、非常に嬉しい誤算だったと言える。
その時、デスクの中にしまわれていた参謀部名義の携帯端末が着信を知らせた。エディットは舌打ちしながら電子錠を開け、その発信元の名前を見てなんとも微妙な表情を見せた。おもむろにイヤフォンマイクを付け、通話を開始する。
「第六課ルフェーブルです」
発信者は参謀本部副部長であった。曰く、政府は今回のアーシュオンからの奇襲攻撃を侵攻作戦であると断定した。そして、それに対し、全面交戦を決定した。
『政治屋にしては仕事が早いな。何かあったっけ』
「選挙でしょう」
『ああ! 下院の中間選挙か』
すらっとぼけたおじさん、という印象の副部長だったが、その実態はおそらく狸だ。彼は参謀畑の人間ではないが、味方を選ぶ能力には長けている。第六課が最新設備を持っていることも、人材的に非常に豊富であることも、全てこの副部長のおかげである。実績の欲しい副部長と自由にやりたいエディットとの、利害の一致があった。とかくこの副部長、エディットのやりたいようにやらせてくれるのである。金は出すが口は出さない――理想的な上司であるとエディットは思っている。
「島ごと司令部爆破。推定死者数、民間人含めて五千余名。これだけやられて黙って見ていれば、与党への風当たりは強くなるでしょうからね」
『だが、逆襲に出たとて潰滅させられてしまっては、選挙どころではないのではないか?』
「アーシュオンもヤーグベルテを滅ぼそうとしているわけではありません。我々がいなくなれば、軍事強国エル・マークヴェリアが控えてますからね」
『そんなものかねぇ』
「そんなものです。この統合首都にISMTを打ち込んでこないのが証拠みたいなものですよ、副部長」
『まぁ、君が言うならそうなんだろう。戦争の原理を説明できるのは経済学者とも言うしなぁ』
副部長の言葉を聞き流しつつ、エディットは参謀部謹製のブラウザを眺めていた。このブラウザの中では、関連する情報が次々と自動的にリンクされて、次々とサマリを作成していく。これは先日リリースされたガジェットなのだが、エディット曰く「便利すぎる」であり、ハーディ曰く「脳が退化しそうだ」である。それほどまでにこのブラウザの判断力は確かだった。開発者はセイレネスの運用責任者であるブルクハルト大尉であるのだが、ブルクハルトとしては「ふと思いついたから作ってみた」程度のものであったらしい。なお、この開発功績によって、年明けには少佐への昇進が決まっている。
「副部長」
『なんだね?』
「どうしてもブルクハルト大尉を六課には?」
『唐突だな。その話は私からも技術本部に掛け合っているが、断固ノーという姿勢だ。技術本部には目をつけられたくないのでなぁ』
「……わかりました。ですが、引き続きはたらきかけをお願いします」
『ところで』
声のトーンを落として話題を変えてくる。
『セイレネスの方はどうなっている?』
「報告書の通りです。
『うむ……』
沈黙が落ちる。副部長が第六課に肩入れしている理由の一つが、六課が運用管理責任を負っている「セイレネスの可能性」に目を付けたからだ。
『あの子たちを君と共に生活させているのは――』
「理解しています」
エディットは反射的に割り込んだ。舌打ちしそうになるのを
『それもまたデータといえばデータか。ならば仕方ないなぁ。第三課の方になるか……』
「第三課……」
エディットは唾を飲み込んだ。背中を向けて座っているハーディの手が止まっていた。
『それもまた仕方ない。T計画もそろそろ予算の示しもつけねばならんしな。中間選挙も、なぁ』
「……そうですね」
エディットは無表情のまま、奥歯を噛み締めていた。
『一刻も早くセイレネスを実戦試験に挑めるレベルにしてくれ。頼むよ』
「……はい」
エディットは椅子に深く腰掛けつつ、不貞腐れたようにイヤフォンマイクを外してデスクの上に投げ捨てた。ふと視線を上げると、ハーディが椅子を回してエディットの方を振り返っていた。その眼鏡越しの冷めた視線を受けて、エディットは肺の中の空気を全部吐いた。
「私は――」
「結構です、大佐。大佐の迷いはわかります」
「助かる」
エディットは顔を両手で覆い、呟く。
「子どもの世話というのは案外難しいものだ」
「あの子たちは、もう子どもではありませんよ」
ハーディはそう言うと、また椅子を巡らせて自分の端末に向き合った。
子どもではない――。
エディットはしばし、その言葉の意味を考え込んだ。
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