カティとヴェーラの対話

 電話の発信者はヴェーラだった。


「うん、ああ。それなりに元気でやってる」


 カティはロビーの窓際、自販機のすぐそばのソファに移動した。夜と言えども空軍基地は完全には眠らない。遠くではジープが走っていたし、少し視線を動かせば、帰投してきた高高度偵察機SR91ブラックイーグルの冷却処理をしている整備兵たちが見えた。


 その一方で、総司令部と言えども、夜間は共用部の照明が半分になるし、空調も最低限を残して切られてしまう。薄暗くなった天井を見上げ、カティは小さく溜息を吐いた。さすがに白くなるようなことはなかったが、それでも少し寒い程の室温だった。


「え、また?」


 カティは眉間に皺を寄せた。


「また倒れたのか。そうか。うん。心配だな」


 レベッカがセイレネスシミュレータを使った訓練中に倒れた……そう聞いたのはもう何回目だろう。とにかく頻発していた。だが、軍の調査は未だ結論を出せていないし、シミュレーション訓練を止めさせるようなこともしていない。今やセイレネスすらマスコミの、いや、国民の注目を集めている。訓練の無期限中止など、国民に受け容れられるような状態ではなかった。今やヤーグベルテの命運は、この得体の知れないシステム・セイレネスに懸かっていると言っても過言ではなかったからだ。


「ああ、こっちは大丈夫。無事かどうかはニュース見てればわかるだろ、うん。ああ、わかったよ、ちゃんと連絡する。うん、約束する」


 カティはヴェーラの言葉一つ一つにきちんと反応する。ヴェーラはなにやら電話の向こうで捲し立てているようだが、カティは苦笑のようななんとも言えない表情を浮かべて頷いたり相槌を打ったりしている。


 十分以上続いたヴェーラの話は、最初のレベッカの件以外、言ってしまえばどれもこれも他愛のないものばかりだった。だが、カティはヴェーラのしてくれる話であればどんな話題であっても嫌いではなかったし、無駄だとも思ったりはしなかった。ヴェーラの快活な声を聞くだけで、たまった疲れも鬱屈した心も、すっと軽くなっていくような、そんな気がしていた。


「うん、今日は二機。八機目。明日のニュースに出るだろうね」


 撃墜数の話だ。


「そうだな、結構キツイ。人を……殺してるんだし」


 何人かは脱出したのを見た。だが、確実に数名の命は……この右手の人差し指で奪い去ってしまったのだ。彼らにだって守りたいものはあっただろう。彼らの無事を祈る人だっていたことだろう。だが……。


 そんなカティの気持ちを悟り、ヴェーラが「カティはわたしのために生き残るの」と力説した。


「そうだな。敵に同情してる暇はないよな」


 カティはヴェーラに気取られぬように溜息を吐いた。


「そうだ。姉さんは最近どうなんだ? 飲み過ぎてないか?」


 今やエディットの事を「姉さん」と呼ぶことに抵抗はない。これはエディットのスパルタ教育の成果である。


「そうか。まだ喧嘩を? うん、叩くのは良くない。良くないな。でも、姉さんだってどうしようもないこともあるんだろうさ。優しくしてやってくれよ」


 苦笑しながらそう言い、カティは立ち上がって自動販売機の所へ向かった。紙コップが落ちてきてコーヒーを注いでくれるという形式のアレだ。ポケットからカードを取り出して、自販機の読み取り機にかざす。そしてコーヒーのボタンを押して……から、カティは自分の過ちに気付いた。


「しまった。砂糖抜きにしなかった……」


 先に「砂糖抜き」と「ミルク抜き」のボタンを押さなければならないのだった。そんな失敗を恨めし気に呟くと、端末の向こうでヴェーラがケラケラと笑った。その平和な笑い声を聞くだけで、カティは「まぁいいか」と思ってしまう。いつもなら舌打ちの一つもしているところだ。だがしかし、出てきた薄茶色のコーヒーを見て、カティは少なからずげんなりした。口を付けて二度目のげんなりだ。


 げんなりはしたものの、捨てるのももったいないので、カティは仕方なくその紙コップを持ったまま、さっきの窓際席に移動した。そこは空気がしんと冷えて停滞していた。


「アタシは……そうだな。お前はイヤだって言うかも知れないけどさ。うん、今は早くアタシを助けてくれないかなって、思ってる」


 カティは素直にそう言って、コーヒー(のようなもの)に口を付ける。案の定、口の中が一気に甘くなる。炭酸飲料でうがいをしたくなるくらいの粘つき加減だった。


「正直、結構きつくて。二ヶ月で十一回の出撃。交戦九回だろ? しかもどれもこれも激しい戦闘だし。だから、お前たちがいてくれたら、少しは楽になるんだろうなって毎日思ってる」


 本音だった。カティは知らぬ間に、本音を一気に吐き出してしまっていた。それに気付いて、カティは渋面になった。


「……すまん、勝手な話だったな」


 結局、盲目的にセイレネスに期待している国民たちと同じじゃないか。自分には彼らをくさす権利はないんだな、とカティは思った。カティは自分への罰として、どろどろに甘いコーヒーを胃の中へと流し込んだ。喉と食道に無駄な重さを残し、胃の中に食い込んでいくその甘さ。それは罰とするには十分過ぎるほどの、過酷な味わいだった。


「……うん。そう言ってくれると助かる。良い子だな、お前」


 初めて会った時は、ヴェーラは可愛くて小さな子という印象だった。でも今はもう「子ども」ではない。大人に程近い、少女だった。身長だってもうそれほど伸びないだろうし。会う度にヴェーラとレベッカは大人に近付いている。だが、は変わらない。時間を経て再会しても、変わっていくのはあの二人だけだった。


「でも本音を。アタシには本音をぶつけて欲しいんだ。アタシはお前ほど頭よくないし、それにあんまり他人の心とかわからないし。だから、言われなきゃわからない。わかってないと思う。だから――」


 ふと窓ガラスを見ると、そこに映っている自分は笑っていた。そこにいる鏡像の自分は、久しく見ていない表情をしていた。


「ああ、わかった。ワガママにだって付き合うさ。うん、約束」


 カティは紙コップを握りつぶしてゴミ箱に投げ入れた。それは狭い紙コップ専用入口を通じてゴミ箱の中に落ちて行った。見事なコントロールだった。


「ベッキーと姉さんにもよろしく言っといて。ああ、うん。そりゃ姉さんとは時々メールはしてるけど。でも言っておいてくれよ、そこにいるんだろ、姉さん。……うん、頼む」


 二人の関係性はちっとも修復されてはいないんだな、と、カティは改めて認識する。


「ああ。うん。気が向いたら。それでいい」


 ヴェーラの苦し紛れの提案を受けて、カティは「くっくっ」と喉の奥で笑う。変なところで頑固なんだからな、とカティは小さく付け加えた。電話の向こうでヴェーラが膨れたのが分かった。それが可笑しくてカティはまた笑った。


「ごめんごめん。悪かったよ。ああ、うん、おやすみ」


 それから挨拶を何度も交わして、ようやくカティは通話終了のボタンを押した。


 ヴェーラと飽きるくらい一緒にいたい。ベッキーも交えてあれこれどうでも良いようなことも含めて喋り明かしたい。姉さんとワインを飲みながら大人の話だってしてみたい。姉さんのプライベートを根掘り葉掘り聞き出して、少し困らせてみたいとも思う。


「ホームシックかな……」


 カティは溜息を吐いて、その時、その息が白くなっていることに気が付いた。やれやれと首を振り、携帯端末の画面を眺める。電池残量が少し減っていた。


「充電しなきゃ」


 次は自分から掛けてみようか――毎度、そう思う。でもなぜかそんなに簡単な事なのに、カティは躊躇してしまうのだ。そして、迷っているうちに、ヴェーラから電話が掛かってきてしまう。いつもそうだった。


「アタシはどうしようもない寂しがり屋なんだろうな」


 わかるだろ、ヨーン。


 カティは総司令部を出て、星のない空を見上げた。


 上を見なければ涙がこぼれてしまいそうだった。

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