#06-2:マリア

距離感

 エイドゥル・イスランシオ大佐が戦死したちょうどその頃、ヴェーラとレベッカはシミュレータにてセイレネスの調整訓練を行っていた。


 エディットと二人の歌姫セイレーンの関係性はどこか噛み合わないまま、早二ヶ月が過ぎていた。カティがいてくれれば話はまた違ったのだろうが、カティは訓練に忙しく、ほとんど家に帰ってこられなかった。


 暗い筐体の中で、レベッカは溜息をつく。ふわふわしたの波間を揺蕩たゆたっているような不思議な感覚には、未だに慣れない。その空間の中で、レベッカはヴェーラの呼吸を感じている。


 呼吸を感じられるほどにいるというのに、ヴェーラはもう手の届かないところまで行ってしまったのではないかという気がしていた。仲が悪くなったわけではない。他愛もない話もする。口論だってする。ただ、遠くなったのだ。ヴェーラの瞳の奥にある何かを、レベッカは心の底から恐れてしまっていた。


 ヴェーラ、そしてレベッカは、他人のを見ることができる。だが、その能力の発動には、少なからず精神的苦痛を伴った。見たくないものや見せたくないものの一つや二つ、どんな人間にだってあったからだ。だが、レベッカにとって、ヴェーラだけは例外だった。二人の間には何の敷居も必要ない、そう信じていたのだ。そしてお互いに全てを曝け出していた。そう、二ヶ月前のエディットとの口論以前までは。


 そんなヴェーラの心の中に、今はどうしても見ることのできない領域が発生していた。その深淵の奈落が、レベッカには恐ろしいのだ。


 ゾクッとした何かを覚え、思わず意識の中で自分の肩を抱いた時――。


『ベッキー、敵の攻撃機! 随伴艦守らないと!』


 ヴェーラの鋭い声が聞こえてきた。レベッカは激しく動揺しながらも、呼吸を整えて現状を確認する。曇天の真夜中――敵機の視認は困難を極める。だが、レベッカは半ば自動的に指示を発していた。


「仰角二〇フタマル、方位二五フタゴー、主砲一番二番、副砲一番、三式弾一斉射! 然る後に多弾頭対空ミサイル一番から八番! 各艦、弾幕展開用意!」


 何をどうすればいいのかなんて、考える必要もない。自動的なのだから。


 もしかしたら自分はただ口を貸しているだけで、指揮をしているのはセイレネスの方なのかもしれない――などと、ノイズじみた思考がレベッカの頭の中を回り始める。自分は単なるインターフェイスなのではないか、と。


『ベッキー! 弾幕展開遅い! <メルポメネ>、弾幕バラージ!』

「あ、ご、ごめんなさい! だ、弾幕上げて!」

『何やってんだよ、ベッキー!』


 ヴェーラがカミソリのような声音で責め立てる。


 空と海が薄緑色に染まり、ふわりと夜の闇を駆逐していく。セイレネスによる空間統御イージスが発動したのだ。その途端、今まさに随伴している駆逐艦へと攻撃を行おうとしていた敵の一隊が爆散した。ヴェーラの展開したセイレネスによって、文字通り物理的に叩き潰されたのである。レベッカはそのさまを半ば呆然としながら見つめていた。今や二人の能力の差は圧倒的とも言えるほどに開いていたのだ。


『ベッキー、攻撃を』

「第一波の狙点設定は終わっているわ。ええと、三割程度は――」

『やって』


 ぞくり――。


 心臓が締めあげられたのか。レベッカは怖気と苦痛を同時に味わった。


 私は、この狭くて暗いカンオケの中で何をしているのだろう。そういえば、エディットはどこに行ったんだろう。訓練開始の直前に慌ただしく部屋を出て行ったけれど。呼吸が苦しいわ、どうして――。


『ベッキー、聞こえなかった? やって!』

「ああっ、ごめんなさい!」

『早く!』

「も、モジュール・ゲイボルグ! 放てトリガー!」


 レベッカはヴェーラの気迫に当てられたかのように、上ずった声で攻撃モジュールを起動させる。ゲイボルグは、レベッカの持つ最大の攻撃手段である。ヴェーラが防御系を得意とするため、必然的にレベッカが攻撃を担当することになっていた。そう、必然なのだ。


 トリガーが惹かれるのと同時に、空が一際輝き、その反射を受けて海もまた燃え上がった。宙に向かって放たれた主砲弾が、空中で爆散した。生じた欠片たちそれぞれが、小さな高速徹甲弾と化した。そして運動エネルギーをそのままに、捕捉した敵機に向けてベクトルを向け直す。時空間の連続性を局所的に歪めることで引き起こされるこの事象もまた、一種の空間統御イージスによって引き起こされるものだった。


 まるで棘の付いた鞭を振るったかのように、敵の戦闘機たちが薙ぎ払われる。薙ぎ払われた戦闘機たちが瞬く間にエネルギーに変換され、周辺を高圧の熱波で包み込んだ。その異様な熱量に突っ込んだ後続の敵機もまた、エネルギーに変換され、さらに……と、攻撃の連鎖が続いていく。結果として、その空域一帯は反応兵器の爆心地グラウンドゼロに匹敵するような熱エネルギーに焼かれ、海も空も荒れ狂った。


「ヴェーラ、敵の第一波は殲滅。でも、第二派、第三波が――」

『核ミサイル』

「えっ……!?」

『わたしが撃つ。フォローして。どうしたの、ベッキー。訓練プログラム見なかった?』


 ヴェーラは明らかに苛立っていた。セイレネス経由だと、その感情がダイレクトに感じられてしまう。おそらくレベッカの動揺も、ヴェーラには一切のオブラートなしで伝わっているはずだった。セイレネスでは嘘がつけないのだ。


 レベッカは慌てて筐体に乗り込む前に見せられた訓練プログラムを記憶から呼び起こす。そうだ、確か――。


「航空攻撃から味方艦隊を守りつつ、敵旗艦部隊を超長距離から殲滅せよ、だっけ」

『そうだよ』

「核とは書いてない!」

『今最も合理的な超超距離からの攻撃手段は、セイレネスと核の複合攻撃。作戦の指揮権はわたしにある。味方艦隊をこの圧倒的な航空攻撃から無傷で守り抜くには、核による速攻の他にない』

「でも」

『くどい!』


 ヴェーラが苛々と怒鳴る。


『ベッキーは敵の航空部隊を引き付けて。敵艦隊を逃走させないために、殲滅してはだめ。引き留めて』

「……わ、わかったわ」


 レベッカは速過ぎる自分の心拍をなんとかかんとかして落ち着かせようと試みるが、それは尽く逆効果だった。緊張と焦りばかりが募り、口の中がカラカラに乾いてしまう。


『<メルポメネ>および<エラトー>より、核弾頭搭載巡航ミサイルを放ちます。各艦、一番から四番まで。発射ファイア!』


 二隻の戦艦から、計八発の巡航ミサイルが放たれた。いったん上空まで持ち上げられたミサイル群は、そのまま水平線の遥か彼方に向けて飛んで行く。


『わたしはミサイルを守る。ベッキーは味方艦隊を全力防御』

「放たれたら止められない……」

『わたしのセイレネスを止められなければ、ね』


 ヴェーラはそう呟いた。レベッカの視界の中に、ミサイルたちの姿が見えた。夥しい迎撃ミサイルや弾幕をもものともせずに敵のただなかに突っ込んでいく巡航ミサイルたちは、ついには全く無傷のままに敵の旗艦とその随伴艦たちに直撃した。


 水平線の彼方の空が、まるで日の出の瞬間を思わせるほどに強く輝いた。


『主目的完遂。敵戦闘機もやったみたいだね』

「ええ……」


 ちょうど二発目のゲイボルグが放たれたところだった。全機ロックオンしてからの攻撃だった。逃れられる敵機がいるはずもない。


 その瞬間だった。レベッカの意識の中に甲高いノイズが流れ込んできたのは。


「ううっ!?」

『な、なんだこれ!』


 ヴェーラにもそれは聞こえたようだ。レベッカは自分だけに起きた現象ではないことに一瞬安堵したものの、すぐに異様を察知した。ゲイボルグで生み出されたエネルギーの大嵐を突き抜けて、何かが迫ってくる。戦闘機だ。


「て、敵一機、ゲイボルグを回避……!?」

『ゲイボルグを!? そんなことがあるわけないし!』

「でも、これ……っ!」


 着弾。<エラトー>と並走していた駆逐艦が一撃で沈められた。<エラトー>にも機関砲弾が叩き込まれて、第一主砲近辺に小さくない被害が発生した。


『ヴェーラ、レベッカ!』


 システムの外からブルクハルトが緊急通信を使って呼びかけてきた。


『当該機のデータは僕も知らないものだ。何かのデータが紛れ込んだとしか思えない』


 その口調は、彼にしては珍しく、本気で焦っていた。その間にも正体不明の戦闘機は<エラトー>を執拗に攻撃していく。戦闘機は、熾烈な対空砲火をものともせずに、極至近距離を掠め飛ぶ。そのたびにバッサリと斬られたかのように、艦体に傷がついた。無敵の戦艦が、明らかに弄ばれていた。


 その様子に業を煮やしたヴェーラが吼える。


『叩き落としてやる!』


 二隻の戦艦がたった一機の戦闘機に向けて、同期射撃を開始した。そのセイレネスの力の乗った攻撃は、数分の時間をかけて、ようやく戦闘機を捉え込んだ。


 やっとで――!


 撃墜!


 レベッカは勝利を確信した。

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