智慧の実

 なるほどねぇ。


 彼は暗黒の中で微笑した。バルムンクによって構成された闇。彼、ジョルジュ・ベルリオーズにまつわるもの以外、一切が存在しない空間である。


「――だ、そうだけど。アトラク=ナクア」

『存じておりますわ』


 そこに現れる銀の揺らぎ。彼女、アトラク=ナクアは、バルムンクの生み出す闇に干渉できる。元はと言えば、この闇はアトラク=ナクア自身の一部でもあるからだ。


「で、彼の見解は正解と言えるのかい?」

『あなたがそうだと思うのなら、そうでしょうね』


 その疑問への答えは、さながら禅問答のようだった。ベルリオーズは腕を食み、冷たい微笑を見せる。左目がぼうっと赤く燃え始める。


「なればやはり、僕の未来もまた、僕が是とするのであれば是となるのだろう」

『何かをするつもりなのかしら?』

「君がそう思うのなら、そうだろうね」


 ベルリオーズは完璧に計算された氷の微笑を浮かべ、銀の揺らぎを見据える。


「少なくとも、僕はを無駄にするつもりはないよ」

『まったくあなたは残酷な人ね。神様とかいうくだらない連中が、智慧の実を与えようとしなかったその気持ち、私にはわかるわ』

「面白いことを言うね」


 ベルリオーズは腕組みを解き、今度は後ろ手に指を組み合わせた。まるで伸びをしようとするかのようだ。


「でもね、人は蛇の策略によって、永遠の連環メビウスを駆逐された。智慧の実は確かにすべての人に継承されているのさ」

『では智慧の実を得てもなお、なぜこうまで浅薄なのでしょうね』

「継承してはいても、認知リアライズできていないから。僕はそう考えているよ」


 それからしばらく間があった。


『……あなたはそれをセイレネスを使って強引に認知させようと?』

「君がそう思うのなら、そうだろうね」


 だって、君は僕らすべての人のみたいなものだろう?


「それとも君は、人のめには反対なのかい?」

『あなたが思うように巧くいくのかしら?』


 さぁてね――。


 ベルリオーズは肩を竦めんばかりのように軽い調子で応える。


「もし仮に巧くいかなくても、その次は成功するかもしれない。僕はね、この時間軸にはさほど固執しているわけじゃないのさ」

『あなたのような人間は数百年に一度現れるけど』

「巧くいった試しがない、と」

『そうね』


 銀の揺らぎは頷いたようだった。ベルリオーズは気圧されることなく、その顔にはなおも余裕があった。


「でも僕は、恐らくはその中で最も成功に近いところにいる。そして僕は、ジークフリートによってある程度の物理的、論理的な成功を収めるに至っている」


 そこには感情は込められていない。プラスも、マイナスもない。


「これで失敗するのなら、また次の巡りの僕に何とかしてもらうとするさ。それだけだよ、アトラク=ナクア」

『そう――』


 銀の揺らぎはそう囁くと、ふわりと姿を消した。


「さぁ――」


 ベルリオーズは闇の中で呟く。


「また小さな舞台の幕を上げよう」


 まるでセリフを読み上げるかのように、ベルリオーズは淡々と告げた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます