競合

 エディットは自分の執務室にて、部屋の灯りを点けもせず、ソファに座り込んでいた。首を持ち上げる力も入らなければ、そうしようという気力すらどこかへ消えてしまったようだ。両目の暗視モードが低出力で実行されているおかげで、真っ暗な部屋の中がほんのり薄緑色に見えていた。その視覚は、テーブルの上の花瓶に焦点を当てている。


 エディットは溜息をつきながらケロイド状になっている右手を持ち上げる。さっきヴェーラの頬を打った、醜い手だ。


「はぁ……」


 溜息が止まらない。全身の筋肉が弛緩することを強く求めていた。それほどまでにエディットの全身は緊張していた。頭も胸の奥も痛い。


 ドアがノックされたので、エディットは仕方なく立ち上がってデスクの上にある開錠ボタンを押した。すぐにドアが開き、「あっ」という声が上がる。真っ暗なことに驚いたのだろう。


「もう、大佐。電灯は点けておいてくださいといつも言っているじゃないですか」


 声の主はハーディだ。ハーディは慣れた手つきで部屋の灯りを点けると、エディットが再び腰を下ろしたソファの向かい側に座った。勝手知ったるなんとやら、である。


「さっきのは、見苦しかっただろうな」


 エディットはソファにだらしなく身体を沈めたまま、ぶつぶつと言った。ハーディは曖昧に首を振る。


「私は大佐の事情も、あの子たちの心情も理解できます。ですから、どちらの言い分が是である、とは言えません」

「相変わらず優等生な回答だな、少佐」

「恐縮です」


 ハーディは皮肉に皮肉で応じた。アレキサンドラ・ハーディ少佐は、もとは海兵隊の狙撃手である。それも飛び切り凄腕のスナイパーである。射殺した敵兵の数は、三百を下らない。勲章も幾つも与えられている。狙撃兵という特性上、忍耐力に関しては参謀部全体を見てもトップクラスであるということは保証されていた。海兵隊から参謀部に異動して今年で五年目になるが、ハーディの纏っている一種独特な雰囲気は狙撃兵時代と何ら変わるところがない。エディットもかつては海兵隊に所属していたが、ハーディのような狙撃手とは住む世界が違った。一対一で戦うことになったとしたら、エディットではハーディには決して勝てない――それはもう事実であった。


「アレックス――」


 エディットはハーディを愛称で呼んだ。二人きりの時に限っては、エディットはハーディの事をアレックスと呼ぶ。


「お前はいつでも冷静なんだな」

「狙撃屋ですからね、一応」


 ハーディは涼しい顔でそう答えたかと思えば、一転して厳しい表情を見せる。


「前線でも見たくないものはたくさん見てきましたが、参謀部ここはその比ではありませんね」

「……違いないな」


 エディットはぼんやりと天井灯を見上げた。エディットにとっては必要以上に明るいその電灯に、エディットは目を細める。ハーディはそんな具合に無気力オーラを噴出している部屋の主に、直球を投げつけた。


「大佐があれほど激昂した理由は、アダムス中佐の件……ですか?」

「……そうだ」


 エディットは、何度目かわからないが、溜息をついた。アダムス中佐が主導権をとって進めているアーシュオン侵攻作戦計画のための新兵器開発計画が、何年も前から歌姫計画セイレネスシーケンス進められていた。裏ではと呼ばれていたその計画が、恐るべき報復計画であったと知ったのは、約四か月前、つまり五月のことだった。昔の写真をカティに見せ、酒に付き合わせた、あの日だ。


「AX-799、テラブレイカーでしたね」


 ハーディは記憶の中からその名称を掘り起こす。


 高高度戦略攻撃機テラブレイカー。それこそがT計画こと『テラブレイク計画』の根幹となる兵器だった。四万メートル以上の超高高度から対地砲撃を実施する空中要塞である。衛星とリンクした精密砲撃、ミサイル基地としての能力、そしてもちろん、超重爆撃機としての運用も可能だという。なお、これらの情報も、イスランシオ大佐や第六課の調査部員の諜報活動によって集められたものである。 


「だが、あんな鈍重そうな兵器が役に立つのか? 甚だ疑問なのだが」

「ごもっとも。よほどの高速、或いは攪乱能力がなければ、レールガンの餌食になるでしょうね。しかし、アダムス中佐は保身に関しては間違いなく天才です。勝算がなければ、こんな計画の責任者にはならないでしょうね」

「その点に関しては全く同意だ」


 エディットの語気にようやく圧力が戻って来た。エディットは、アダムスという男は卑怯で卑小であると思っていたが、それでも侮って良い人物だとは考えていなかった。敵に回せばこの上なく厄介な男であるということは、紛れもない事実だった。第六課としても、アダムスの率いる第三課に出し抜かれたことは、一度や二度ではない。その上、何故かアダムスはエディットを目の仇にしている節があった。


「さらに悪いことに」


 ハーディが右手の人差し指で、眼鏡のフレームの位置を直す。


「国民世論は、今こそアーシュオンに報復を……という方向に傾いています」

「水は低きに流れ、か」

「そうですね」


 ハーディはあっさりとした口調で肯定する。エディットは苦笑する。


「事実を語って聞かせたとしても、現実が変わるわけではない、か」

「肯定です、大佐」


 微塵の躊躇もなく応じる副統括である。


「しかし大佐。大佐の懸念されていることはわかります。テラブレイカーが万が一にもアーシュオンの本土を空爆するようなことがあれば、我々は先の核攻撃およびISMTと呼ばれる兵器による無差別大量虐殺についての是非を問う権利をうしないます」

「それもあるが――」

「戦争で死ぬのは軍人だけで十分です」


 ハーディは吐き捨てるようにして言い切った。エディットは気圧けおされて、自分の言葉を飲み込んだ。ハーディは眼鏡をはずして胸ポケットに入れ、そして眉間の辺りを指でつまむようにして押さえた。


「彼らへの憎しみだけで、私はここまで軍人をやってきました。私は彼らを憎み続け、罵り、見下し続けたい。しかし、我々が彼らと同じことをしてしまったら、私は彼らを憎む理由を喪ってしまう。私が冷徹に敵兵を一人一人撃ち殺したことにすら、言い訳が立たなくなってしまいます」

「アレックス――」


 ハーディの本音を聞いたのは初めてだった。そんなエディットの姿を、ハーディの黒い瞳がジッと捉える。


「大佐の立場が辛いものであることは理解しているつもりです。あの子たちがテラブレイカーの破壊行為を見ることになったら、それを止められなかったご自身を責められるであろうこと。あるいは、あの子たちがその代わりに破壊行為を行うことになる未来――そうなったらますますご自身を責めることになるだろうこと。大佐は将来的にはその二者択一しかないことをご存知だからです。違いますか」

「……答えるわけにはいかない。だが、少佐なら判断できるだろうな」


 言葉を選んだ回答に、ハーディはほんのわずかに口角を上げた。


「大佐のお気持ちは、あの子たちも理解するでしょう。聡明な子たちですからね」

「だといいが――」


 エディットはおもむろに立ち上がり、ゆっくりと両腕を回した。肩が酷く重く、頭痛すらし始めていたからだ。ハーディも立ち上がると、少しだけ背を逸らせた。


「状況をコントロールするのが我々参謀部です。しかし、全てをどうにかできるわけでもありません。ただ、その時になって後悔をためにできる行動は、意外と多く転がっているものかも知れません」

「……そうだな」


 エディットは火傷の痕が痛々しい右手で、髪の毛をかき上げた。半分は人工の毛髪である。外見上は全く見分けがつかないが、触れてみれば明らかに質感が違っていた。


「自分は――」


 ハーディは眼鏡を掛け直し、エディットをまっすぐに見つめる。エディットも目を逸らすことなくそれに応じた。


「私は子どもが苦手ですから。ですから、ああいう時、私はどうしたらいいのかわかりません。でも大佐なら、大佐のする事ならきっと、あの子たちは理解しようとするでしょう。たとえその時は」

「私を恨んだとしても、か」

「はい」


 ハーディはあっさりと首肯した。その時、エディットは少しよろめいた。


「大丈夫ですか、大佐」

「ああ。少し疲れたのかもしれない」


 思えば少し身体が熱い。頭がぼうっとしているような気もする。本当に疲れているのかもしれない。そんな具合にエディットは思う。アダムス中佐が最大のストレッサーとなっていることは言うまでもないが、それ以外にも情勢の不安定化や、それに伴う参謀部全体での対策会議なども連日行われている。保安部からの調査もここの所頻繁に行われていた。それに加えて、カティのなかなか回復していかない精神状態についても気がかりだったし、そこにきてさっきのヴェーラのあの抵抗である。これで心労が溜まらない人間などいないだろう。


「大佐、提案ですが。動物でもお飼いになられては?」

「なに?」


 自分のデスクでバッグに荷物を詰め込んでいたエディットは、思わぬ言葉に顔を上げた。何かの冗談かと思ったが、ハーディの表情はいつも通りに硬質なものだった。


「私がペットを? 冗談だろう。私は自分の世話さえできん女だぞ」

「あの子たちは喜ぶのでは?」


 そんなものだろうか?


 でも、あの子たちならば、動物を大切に育ててくれそうな気はした。


 ようやく迷いが生じてきたエディットに対し、畳みかけるようにしてハーディは言った。


「私の従妹が公営のペットショップのオーナーをやっています。もしそういう方向であれば、私に一言頂ければ」

「わかった。まぁ、そうだな。しばらく時間をくれ」


 エディットは帰り支度をすっかり済ませると、ハーディと並んで執務室を出た。

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