わたしは何をしてしまったの!?

 カティたちが見せられた資料には、当事者たち――ヴェーラとレベッカ――には決して喜ばしくない情報が記載されていた。半年前の士官学校襲撃事件の際に発動アトラクトしたセイレネスの影響が随所にて観測され、その上、漸次的に影響範囲が拡大していっているというデータだった。


 そのとは、さながらアッパー系のドラッグにも似ていた。幻覚、幻聴、頭痛、高揚感、異常な興奮状態――それに伴う相談や報告が、士官学校襲撃事件の日を境に急激に増えていた。


「見ての通り、器物破損、暴行致傷、そして強姦といった犯罪行為が、事件当夜に急上昇しております」


 ハーディは円卓の中央に三次元グラフを表示させながら説明する。


「これは誤差の範囲を逸脱した明らかな異常値であり、セイレネスとの関連性が疑われます。また、それ以後も右肩下がりにはなっているものの、明らかにそれまでよりも高い水準での推移となっており、事件当夜に起きたとの関連性があるのは明らかです」


 眼鏡の奥から鋭い眼光を放ちながら、ハーディはヴェーラとレベッカを見た。


「彼ら、異常行動を示した者たちは、脳波に一時的な異常が見られました。症状が酷い者については、一週間以上も極度の興奮状態に陥り、また、一種の禁断症状のようなものが見られた者も多数いた、という調査報告が上がってきています」

「禁断症状……?」


 レベッカは思わず呟いて、ヴェーラと見つめ合う。ヴェーラは首を傾げ、大袈裟に肩を竦めた。


 その事実は政府によって巧妙に隠蔽されていたが、それだけに信憑性は高い。なお、情報の出所はイスランシオである。アーシュオンのISMTインスマウス投下作戦によって自分の基地を蒸発させられたイスランシオは、それ以後ひたすらに危険なネットワークダイブを繰り返しては関連情報を探っていたのである。


「うちの課の調査部が裏付けも行っている。精査済みだ」


 ハーディが言葉を切るのを待って、エディットが情報を付け加えた。ヴェーラは懐疑的な表情を浮かべてエディットに向き直った。


「そんなことが……セイレネスにできる?」


 エディットは頷き、言った。


「先の異常行動の検出範囲は、士官学校の半径約百キロに限定されている。ハーディ、あれを」

「こちらの地図を見てください」

 

 円卓中央部に示された地図は、士官学校の統合首都校を中心としたものだった。時間が経過していくにつれ、地図中に赤い光点が発生し始める。士官学校にてセイレネスが発動アトラクトしたその瞬間から二時間が経過する頃には、ある一定の範囲内に赤い光が集中し始めた。十二時間後にはそれは一層顕著になり、士官学校跡地を中心とした赤い円形を描き出した。


「これは発生した犯罪の分布図です。到底偶然とは考えられません」

「だな」


 エディットは肯き、その機械の瞳でヴェーラとレベッカを見つめる。二人は唾を飲み込み、肩を強張らせていた。


「お前たちが悪いわけではない。あれは、ということだ」


 エディットはそう断定した。彼女は知っていたのだ。その手の事象が発生する可能性があるということを。だからこそ、部下の調査部を使ってあれこれ調べさせていたのだ。そしてその時に、イスランシオから情報がリークされてきたというわけだ。


「待ってください」


 カティはエディットとハーディの方に上半身を向けた。


「となると、今行っているシミュレータ訓練でも、このような影響が出てしまうのでは?」

「いえ、それはありません」


 ハーディが眼鏡のレンズを拭きながら断言した。


「ブルクハルト大尉の受け売りになりますが、シミュレータおよびシミュレータルームには、対セイレネスフィールド、ええと確か――」

「オルペウスと言っていたな、大尉は」

「ああ、そうです、大佐」


 ハーディは眼鏡を掛け直す。


「あそこにはオルペウスというセイレネス遮断フィールドが使われています。士官学校が襲撃された際には、それをしての発動アトラクトを行ったため、セイレネスの負の影響が周囲に巻き散らかされた、ということになっています」


 セイレネスの負の影響……。


 カティはその時――セイレネスが発動アトラクトした時――の状況を思い出そうと、高い天井に視線を走らせた。


 空。戦闘機。エレナ――。


 敵。機関砲。校舎。射撃――。


 星。撃墜――。


 対空射撃。退避。上空。旋回。対地攻撃――。


 発光。


 そして、沈黙。


 ……まるで連続写真だ。


 カティは眉根を寄せてもう一度意識を集中して、その写真を一連の映像に編集していく。だが、高揚感を感じたというような記憶は一瞬たりともない。ただ、ひたすらに、哀しかった――それだけだ。


 その後の記憶は、ベッドから見た景色まで飛んでいる。


 あれ……?


 そうか、を見てから先の記憶がないのか。


「ああ、そういうことか」


 思わず声が出た。エディットたち四名は一斉にカティを見た。その探るような視線の直撃を受けて、カティは一瞬ひるんでしまう。そんなカティの目を直視したまま、ヴェーラが眉尻を下げた不安そうな表情で尋ねてくる。


「思い当たることがあるの?」

「ある」


 カティは迷いなく首肯し、無理矢理に微笑を浮かべた。そうして呼吸を整えてから、今度はエディットの乾いた機械の瞳を直視する。


「自分の場合は意識の活性化があったのかもしれません。興奮状態にあった、と言ってもいいのかもしれません」

「――続けて」


 エディットは机の天板を人差し指でコツコツと叩いた。カティは頷く。


「自分はあの光を見てから病院までの記憶がありません。全く。ありませんが、気を失っていたということはありえません」

「そうですね」


 ハーディが円卓上に別の資料を提示する。


「管制レポートでは、自動操縦ではなく、手動マニュアルで着陸させたとあります。交信の記録もある」

「なに、ログを手に入れられたのか、少佐」

「はい」


 ハーディは凄味のある微笑を浮かべ、エディットはニヤリとした笑みで応えた。


「それで、ゲルファント分析官あたりは何と?」

「はっ。初めての戦闘、しかも夜間空戦の直後に、こんな音声波形になることは考えにくい。エースパイロットが訓練飛行を行った後とほとんど同じ程度のブレしか確認できない。……ゲルファント分析官のコメントです」


 ハーディはそのナイフのように鋭い視線でカティを撫で切りにする。カティは一度背を伸ばし、そしてハーディから目を逸らした。ハーディは眼鏡のフレームの位置を軽く直して、説明を続けた。


「着陸制動も極めて精確で、担当した管制官は、学生が操縦しているなどとは全く思わなかったとのこと。教官だと思って交信していたらしいですね」

「なるほどね」


 エディットは天板を叩く指の動きを止めて、ゆっくりと腕を組んだ。エディットの機械の瞳はすっかりと乾いていた。瞬きを忘れるほど集中しているということの証左である。


「だがしかし、それがセイレネスと直接関係しているというような確証は――」

「大佐、もう一つデータを手に入れています。こちらの資料を」

「……中央司令部から手に入れたのか?」


 そのデータが何であるかはカティたちにはさっぱりわからなかったが、エディットにはすぐに思い当たったようだ。


「廃棄されたデータからサルベージしました。つい先ほどです」


 しれっと言うハーディだったが、それが非合法な手段を用いた結果だということはエディットにはお見通しだった。だが、そんなことは参謀部の間では日常茶飯事だ。参謀部各課では、常に生き馬の目を抜くような諜報・工作活動を繰り広げているのだ。出し抜かなければ出し抜かれる。そして参謀部は結果が全てであり、結果が伴いさえすれば過程の是非を問われることはない。そのための調査部であり、そのためのハーディであった。


「それで、どうだった」


 エディットは腕組みした体勢のまま、ハーディの方を見た。ハーディは頷くと、エディットの肩越しにカティの端正な顔を見据えた。


「この情報は、あなたが意識を失っている間、特に最初の二週間程度は、あなたはということを表しています。その後はほぼ昏睡状態と同じ波形になりましたが、それまでの脳波は明らかに何らかの刺激を受け続けているという状態であったということが分かります。言い換えれば、と言えるでしょう」

「なるほど。メラルティンの状態は、同時期に発生した影響を疑われる患者たちの症例に似ているというわけか」

「そう考えても論理に矛盾は出なさそうです」


 ハーディは首肯した。そしてヴェーラとレベッカの方をちらりと窺った。二人はビクッと肩を震わせる。


「その当時、本人に意識があったのだとしたら、セイレネスは何らかの方法で以て、そのということになるでしょう。或いは、意識自体がないにも関わらず正常な行動ができていたということになるのであれば、いわゆる催眠操作状態マリオネットコントロールになっていたと考えるのが自然でしょうね」


 記憶を消す……?


 カティはその言葉に寒気を覚えた。それはレベッカやヴェーラもまた同様だったようで、レベッカは自分の肩を抱いて目を見開き、ヴェーラは顔を伏せて唇を噛んでいた。


「なんにしても、だ」


 その沈黙を見届けて、エディットは立ち上がった。ハーディもそれに追随する。


「セイレネスなしにはメラルティンは生き残れなかった。士官学校の被害は一層の拡大をしていただろうし、グリエール、アーメリングの無事さえ保障できる状態ではなかった。あの状況を切り抜けるには、そうするほかになかったと考えるし、そうであったから助かったとも言えるだろう。そうだな、少佐」

「肯定です」


 ハーディは各自に配布したタブレット端末を回収しながら、短くそう言った。ヴェーラはハーディの指先を凝視していたが、やがてエディットのその顔に焦点を当てた。


「大佐」

「ん――」


 振り返ったエディットは一瞬だけつらそうな表情を見せた。ヴェーラはレベッカが服の裾を引っ張るのも無視して、立ち上がった。


「わたしは、なにをしたの? なにをしてしまったの?」

「……知っている通りだ、グリエール」

「答えになってないよ? おかしいよ、こんなの。セイレネスって何なの? 何をするためのものなの?」

「ヴェーラ……!」


 レベッカが後ろからヴェーラの右腕を引っ張る。が、ヴェーラは座ろうとしない。テーブルに左手をついて、レベッカの力に抗っていた。


「大佐! ルフェーブル大佐! どうして教えてくれないの? セイレネスは、人を殺す兵器なんでしょう? それはいいの、わかってる。わかってるつもり。でも、おかしいよ。どうして? なんでセイレネス使ったら犯罪が増えるの? カティの記憶が消えるの? エレナだって消えちゃった! なんなの、それ。そんな」

「黙れ、グリエール!」


 エディットはテーブルの天板を力任せに叩いた。広大な部屋中に響き渡ったその音に、数百名の軍人たちは一斉に押し黙った。カティは思わずエディットのその怒りの形相を凝視した。室内で涼しい顔をしていたのは、ハーディ少佐ただ一人だった。


「グリエール、貴様は何を勘違いしているのだ。貴様は言われた通りにやればいい。余計な口出しをするな!」

「イヤだ!」


 ヴェーラは首を振る。


「こんなわけわかんないもの、イヤだ! 記憶とか書き換えちゃったり、犯罪行為を助長しちゃったりするような、そんな可能性があるようなものを動かすのはイヤだ! わたしにはそんなことへの責任なんて取れない!」

「責任を取る必要はない!」


 エディットは大音声でヴェーラを圧倒する。ヴェーラは気丈にもエディットを睨んでいたが、唇を噛むばかりで言葉が出てこない。カティもレベッカもおろおろとヴェーラの方を見るばかりで何の行動も起こせなかった。ハーディは眼鏡を拭き始め、騒ぎを聞きつけてやって来たレーマン大尉は階段を上った所で彫像のように固まっていた。


 エディットはその硬質な声で、畳みかけるように言う。


「予期せぬ事象、セイレネスからの人体への影響については今調査している。懸念は早急に解消されるだろう。貴様がそんなことに気遣う必要はない。ただセイレネスを実用段階にもっていけば――」

「イヤ! 絶対にイヤ! そんな誰にも分からないようなものを使うのはイヤ!」


 ヴェーラがそう言った直後、エディットはカティの脇を通過し、そして、ヴェーラの頬を思い切り引っ叩いた。


 カティが恐る恐る振り返ると、エディットは目をきつく閉じて唇を噛み、ヴェーラは左の頬を押さえてエディットを睨み付け、レベッカは涙を流しながらヴェーラを後ろから抱きしめていた。


「わがままを、言うな」


 エディットは拳を固く握り締めると、そのまま背を向けて部屋の奥へと歩き去ってしまった。エディットの後姿を追うカティの視線は、やってきたレーマン大尉によって阻まれた。普段は温和なレーマン大尉だったが、今の彼の表情は、まるで氷のように冷たいものだった。


 そのレーマンの後ろから、ハーディが言った。


「三人とも、帰って良いわ。大佐には私から伝えておきます」


 その事務的な口調に押され、三人はゆるゆると立ち上がる。去り際にカティが後ろを振り返ると、ハーディと目が合った。ハーディは腕を組んでスラリと立って、カティを冷然と見つめていた。カティはその視線に畏怖のようなものを覚え、逃げるようにして司令室から出た。そこではヴェーラが泣きじゃくっていて、レベッカがその肩を抱いて、背中をさすっていた。


「クソッ……!」


 胸の奥に冷たい怒りが噴き上がる。


 アタシは何をした? 何をしてやれた? なぜ何もしなかった?


 ――そして今、アタシは二人になんて言えば良い!?


 カティは奥歯を噛み締めて、震えそうになる自分を何とかして制御した。

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