特例措置

 カティ、ヴェーラ、レベッカの三人は、ブルクハルトに言われるままに、参謀部第六課の作戦指揮司令室に移動した。


 司令室と言っても、カティたちが入れるのは最上階(第一層)の入口近くのごく一部の領域である。司令室は三層で構成されており、エディットやハーディ少佐といった首脳部が最上階・第一層に陣取り、レーマン大尉やプルースト少尉といった中間管理職級が中層・第二層に、そして最下層・第三層には情報分析班、探査班、敵性行動予報班などがひしめき合っている。幸いにして今は戦闘状況ではないので、どことなくまったりと穏やかな空気が流れていた。だが、ひとたび戦闘が発生したら、その空気は一瞬にして変わる。視察に来ていた参謀部本部長が、そのあまりに殺気立った雰囲気を目の当たりにして、コソコソと逃げ帰ったという実績すらあった。


 エディットは、オンとオフの切り替えが明確である。オフタイムでは(多少手が出るのが早いという問題点はあるにせよ)よき保護者として振る舞っているが、オンタイムでは極めて論理的で、つまり、冷徹な軍人だ。何事にも臆せず、妥協もしない。部下に対する厳しさは、他のどの課よりも苛烈であり、陰では「鬼のルフェーブル」とさえ呼ばれている。だが、その厳しさは常に公平であり、信賞必罰を徹底していたから、部下たちからの不満の声はさほど上がってはこなかった。


 プルースト少尉に案内され、カティたちは司令室の片隅にある円卓についた。エディットがカティたちの到着に気付き、すぐにイスランシオを連れて三十メートルばかりの距離を歩いてくる。この司令室はまるで空母の艦橋のように、とにかく広いのだ。


 カティは真っ先に立ち上がり、イスランシオの方に向かって模範的な敬礼をした。ヴェーラとレベッカもそれに倣い、どことなく中途半端な敬礼をする。エディットは二人の歌姫の微妙な表情に思わず苦笑しつつ、イスランシオの方を振り返った。


「紹介する。イスランシオ大佐だ。メラルティンは知っていて当然だが、初対面だったな?」

「肯定であります」


 カティの声は緊張に少し震えていた。それはそうだ。あの「暗黒空域」と並び称される天才、「異次元の手」エイドゥル・イスランシオ大佐その人を前にして、緊張しない飛行士パイロットなどいない。ましてイスランシオは表情に乏しくとにかくとっつきにくい印象の男である。


「そう緊張するな、カティ・メラルティン。お前は強くなるだろう。シベリウスが手放しで褒めていた理由も、さっきのシミュレータの様子でわかった」

「こ、光栄であります」

「ふむ。良い目だな」


 イスランシオはカティのその紺色の、鋭い光を放つ目を見てそう言った。それを隣で聞いていたエディットはほんのわずかに口角を上げる。


「イスランシオ大佐、天狗になられても困る。褒めるのはその程度にしてもらえるか」

「……だから参謀は面倒なんだ」


 イスランシオはそう呟くと、カティの隣に腰を下ろした。至近距離に座られたカティは、掌にじっとりと汗をかく。さっきのシミュレーションの時以上の緊張感が、カティの背骨を貫いている。そんなカティを見て、さすがのイスランシオも少し困ったような表情を浮かべて、カティの肩をポンと叩いて言った。


「取って食うわけではない。シベリウスならいざ知らず、俺相手にそこまで緊張するな。なんだか悪いことをしている気分になる」

「はっ、あ、えっと……」

「さ、不純異性交遊はその辺にしておいてもらおうか、イスランシオ大佐」


 エディットは腹心のハーディ少佐を呼びつけてから、パンと手を打った。


「イスランシオ大佐、あなたにはもっと重要な話があるだろう? そのための来訪ではないのか」

「ふん、耳が早いな、さすがに」


 イスランシオは驚きもせずに頷いた。


「カティ・メラルティン、君には四風飛行隊の入隊訓練に参加してもらう」


 さらりと言われたその言葉に、カティは思わず口をパクつかせた。隣のヴェーラ、その隣のレベッカの二人は顔を見合わせて歓声を上げている。


「訓練自体は十月からを予定しているが、それまではシベリウスの所で準備運動をしてもらう。実戦を目にする機会もあるかもしれない。なお、君には拒否権はない」

「質問はしても良いようだぞ、メラルティン」


 間髪入れずにエディットが補足する。


 カティは混乱した。まだ上級高等部の訓練すら終えていないのに、まさかあの四風飛行隊の入隊訓練に参加することになるなんて、と。通常、四風飛行隊は空軍で数年間の実戦を経て初めて入隊資格を与えられる。学生上がりでの入隊など、それこそ以来の快挙ということになる。


「なぜ、自分が選ばれたのでしょうか」


 カティは率直に訊いてみた。その時、プルーストが「遅くなりました」と部下と二人で五人分の紅茶を持ってやってくる。


 イスランシオはその紅茶の香りを一通り確かめてから、じっとカティを見つめた。至近距離で見つめられ、カティは背中に汗を感じた。


「俺やシベリウスは単純にスカウトしたい気分だったわけだが、軍としての答えを求めているのであれば、『宣伝だ』と言わざるを得んな」

「せんでんー?」


 ヴェーラが思わず口を挟んだ。が、エディットの鋭い視線で黙らされる。


「先の攻撃を受けて、ヤーグベルテは全体にして厭戦機運が高まっている。敗戦ムードと言ってもいいだろう。そして歌姫計画セイレネスシーケンスにしても、実行フェイズにはまだ幾らか障害が残っている。手っ取り早く効果的な喧伝を行うためにもってこいの人材、それがお前だ」


 イスランシオは紅茶のカップを手にしたままゆっくりと立ち上がる。


「漁村襲撃事件での唯一の生き残りにして、士官学校襲撃事件ではF102イクシオンを駆って果敢なる反撃を行い、、勇敢なる悲劇の天才飛行士パイロット。それが上級高等部卒業を待たずに、四風飛行隊へと異例の配備。……マスコミが喜びそうなネタだろう?」


 一息で淡々とそう言うと、イスランシオはカップを置いて、またカティの肩を軽く叩き、颯爽と部屋を出て行った。流れるような一連の動作に、エディットですら口を挟めなかったほどである。


 それと入れ替わるように、先ほど呼ばれていたアレキサンドラ・ハーディ少佐がやってきて、カティの隣に腰を下ろした。そして持参したノート端末をテーブルの機器に接続し始める。会議の準備をしているのだろうなと、カティは物珍しそうにそれを観察する。ハーディ少佐は顎が細く、目と眉の感覚が狭い。どちらかというと肉食昆虫的なシルエットを持った女性将校である。黒髪黒目と合わさって、その黒フレームの細い眼鏡は、彼女の鋭角的なシルエットをいっそう鋭利に見せていた。

 

 その間にトム・レーマン大尉がやってきて、メンバーの前にタブレット端末を置いた。


「大佐、先ほど要請のあった情報は全て入れておきました」

「ご苦労、大尉」


 エディットはさっそく端末の電源を点けて、中の情報を確認した。


「ああ、そうだ、レーマン大尉」

「はい」


 やや戦々恐々とした様子で、第二層に戻ろうとしていたレーマンは振り返った。


「さっきのシミュレーションのデータも、明日の昼までに分析を終わらせておいてもらえるか」

「ええと、大佐。それは阿鼻叫喚が予測されますが」

「構わん。死ぬことはないだろう」


 エディットは全く生真面目な調子でそう言い放つ。レーマンは「やれやれ」と言わんばかりにお道化どけて肩を竦めて白目を剥いた。それはエディットの背中側で行われた行為であり、エディットからは見えない。が、ヴェーラからは丸見えとなる位置関係だった。思わず噴き出したヴェーラに、全員がいぶかし気な視線を向ける。


「あー、いや、なんでもないよー。なんでもない! だいじょうぶ!」


 慌ててフォローするヴェーラだったが、その顔はちっとも大丈夫そうではなかった。ハーディはいち早く事態の真相に気付いたのだが、彼女は眼鏡を苛々と掛け直しただけで結局何も言わなかった。


「ハーディ、さっそくだが始めてくれるか」

「了解しました、大佐」


 ハーディはそう言うと、説明を開始した。

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