#05-血で穢すべきは、手か、貌か。

#05-1:セイレネスの波動

感応値

 二〇八四年九月――。


 ヤーグベルテ統合首都近郊では、もうすっかり夏の気配は過ぎ去り、気の早い一部の樹木がその葉の色を変え始めていた。気温もだいぶ低くなってきており、早朝や夕暮れ時には、長袖がほとんど必須になっていた。


「もう半年になるのか」


 エディットは参謀本部内に新設されたセイレネス・シミュレータの巨大な筐体を眺めながら、無意識に口に出していた。そう、もう半年以上になる。あの忌まわしい襲撃事件から。アンディを永遠に失ってから。そして、カティと二人の歌姫を保護することになってから。


「半年?」

「ああ、なんでもない。イスランシオ大佐」


 エディットは今、異次元の手ことエイドゥル・イスランシオ大佐、そして歌姫計画セイレネスシーケンスの実質的技術責任者であるブルクハルト大尉と共に、シミュレータのモニタールームに在った。そこからは、大きなガラス越しに、ヴェーラとレベッカ専用の巨大な黒い筐体が見えた。改良されだいぶ小さくなったとはいえ、各辺三メートルはある立方体の箱である。その存在感は異様だった。そしてその冗談のような大きさの筐体の後ろには、半分程度のボリューム感の戦闘機用の筐体が合計二十台、まるで従者のように並べられていた。


「それで……やはり違うのか」

「桁違いですね」


 エディットの問い掛けに、ブルクハルトが即答する。ブルクハルトは見た目にはどこかぼんやりとした、特に印象に残らないことが特徴でもあるような青年である。だが、研究に、ことセイレネスに関する事柄については異様なほど熱心であり、その知識については、関係者の誰もが全幅の信頼を置いていた。士官学校襲撃事件の折、命を賭けてヴェーラたちを守ろうとしたことが評価されて、大尉への昇進を果たしていた。


 そのブルクハルトはモニタの一つを指差して説明する。


「特にヴェーラの反応値が倍、いや、三倍に迫る勢いです。レベッカも誤差では済まされない程度の上昇が見られていますね」

「ふむ――」


 エディットは腕を組み、右手で顎を摘んだ。そして、隣で無表情に戦闘モニターを眺めているイスランシオに視線を送る。イスランシオはその赤とも茶ともつかない瞳でエディットの機械の瞳を見つめ返し、そしてその病的に青白い顔に、やや鋭い表情を浮かべた。普通の将校ならそれだけで威圧されてしまって然るべき、そんな気配を放っていたが、エディットはその程度でどうこうされるほどか弱い女性ではなかった。


 イスランシオは無造作に伸びた黒茶色の前髪を乱暴にかきわけた。


「つまり、カティ・メラルティンは強力なブースターであると」

「そうなりますね、イスランシオ大佐」


 ブルクハルトは頷きながら、何かのスイッチ群を操作しては、モニタに映し出される数値を確認している。


「やはり君の所に残しておいて正解だったな」

「あなただったのか、横車を押したのは」


 エディットはようやく合点がいったといった反応を示す。イスランシオは「知らなかったのか」と意外そうな顔を見せた。軍から九月一日付でカティの所属を空軍に変更するという通達が来ていたのだが、その発効直前に突如として取り消されたのだ。――その結果、カティは未だにエディットの邸宅で寝泊まりしている。


 シミュレータの中で行われている戦闘は、エディット達の目の前にずらりと並ぶモニタで確認することができる。シミュレータ内の行動であるわけだから、どこにでも視点を動かすことができた。その中では、戦艦二隻、護衛戦闘機二十四機というヤーグベルテ軍に対し、アーシュオンは戦闘機と攻撃機合わせて二百四十機が殺到するというシチュエーションでの戦闘が行われていた。言うまでもなく、常軌を逸した戦力差である。


 だが、実際には、カティ・メラルティンの乗る赤いF108パエトーンが十倍にもなる敵機を翻弄し、そして二隻の戦艦からの対空砲火によって瞬く間に戦力差が縮まっていっていた。戦闘開始からわずか十五分の現時点で、敵機の残りは三十機もいなかった。その一方で、味方の被害は七機である。


 イスランシオは感情に乏しい彼にしては珍しく、やや興奮した声で感想を述べる。


「すさまじいな、あの子は」

「あなたから見てもそう思うのか、イスランシオ大佐」

「実戦経験はただの一度。それもF102イクシオンで。……本当なのか?」

「事実だ」


 エディットは抑えた声で断定した。イスランシオは「そうか」と唸ると、腕を組んで再び戦闘状況を眺めやる。エディットは鮮やか過ぎる機動を描いて敵機を追い込んでいく赤い機体を睨むようにして見つめる。


「イスランシオ大佐。私は空戦はド素人ではあるが、あれは天性の才能ではないかと感じている。私とて数多くの空戦を見てきたつもりだが、これほどの動きを見せるパイロットは、一般空軍にはいない」

「その目は正しい。あの子なら俺の部下とやり合うことも可能だろう。そう、一言で言えば天才だろうな。エリスの弟といい、なかなか厄介な若手が現れたものだと思っている」


 イスランシオにしては饒舌だった。作戦の際に幾らか会話をした事はあったが、ここまで長いセンテンスを聞いたのは、少なくともエディットは初めてだった。


 エディットはほんのわずかに表情を緩めたが、すぐにブルクハルトの方を向いて命じる。


「ブルクハルト大尉、次のフェイズへ」

「承知しました」


 そしてブルクハルトはスイッチを押しながらマイクに向かって呼びかける。


「えー、ヴェーラ、レベッカ。フェイズ2へ」

『了解ですー』

『了解しました』


 二人が少し息切れを感じさせるような声で応答してくる。


『セイレネス・発動アトラクト!』


 ――二人の声が揃う。


 上空からの視点では、二隻の戦艦、<メルポメネ>と<エラトー>がハッキリと発光しているように見えた。二キロの距離を取って並走する超巨大戦艦たちの周囲を、さながらオーロラのような薄緑色の光が覆っている。


「光っている……?」


 初めて目にするイスランシオは怪訝な声を上げる。エディットは目を細めて、その上空視点のモニタを注視する。機械の目が瞬きを忘れている。


「私は二度目だが」

「二度目?」

「一度目はの時だ。私は実際に発動現場に居合わせていたからな。この目は故障していたが、それでも確かに見た」

「ああ――」


 イスランシオは曖昧に頷いた。


「恐ろしい光だな」

「恐ろしい?」

「ああ。あの光、あれこそセイレネスの絶対防衛圏なんだろう、ブルクハルト大尉」

「肯定です」


 取り込み中のブルクハルトは、面倒臭そうに短く返事する。イスランシオは気分を害した風もなく、頷く。


「アーシュオンの超兵器にも驚かされたし、実際にしてやられた。だが、このセイレネスというヤツは、そんな次元のものではないという気がする。大尉、有効範囲はどのくらいなんだ?」

「ええと、今現在発動アトラクトしている範囲は、半径二百五十キロ程度ですね。カティの、メラルティンの参戦による相乗効果シナジーが出ている状態ですが」

「……すさまじいな」


 エディットとイスランシオが顔を見合わせて異口同音に言う。


 その間に戦闘は片が付いていた。残っていた敵は一瞬で掃討されていて、カティは早々に帰還フェーズに移行していた。それを見届けて、エディットがブルクハルトの方へ一歩近付いて尋ねた。


「ちなみに大尉、メラルティンが不在の時の発動範囲はどのくらいだった?」

「ざっくりとですが、二十五キロから七十キロといったところでしたね、半径で。正直、メラルティン一人が加わるだけでここまで差が出るものかとずっと懐疑的だったのですが、もうこれは確定事象ということで良いのではないかと思います」

「うむ――」


 エディットは腕を組む。


「つまり、歌姫セイレーンたちとカティは、してこそ真価が出せるということか」

「そういうことになりますね。また、相乗効果シナジーについては、とりわけヴェーラの方に顕著です」


 そう、か。


 エディットは表情の乏しいイスランシオの方を眺めやる。


「イスランシオ大佐、この後もまだ時間はあるか?」

「今日は一日オフだ。休日手当さえ出るのなら問題はないな」

「検討しよう」

「参謀どもの検討という言葉ほど、白々しいものはないな」


 イスランシオは鼻を鳴らしてエディットを凝視した。エディットも瞬きをせずに機械の瞳でそれを見返す。イスランシオの参謀嫌いは有名だったし、エディット自身も好かれているとは思っていない。ただ、度重なる戦いを経て、お互いへの信頼関係は十分に醸成されていた。お互いがお互いをであるとは認め合っているのだ。


「あのルフェーブル大佐」

「なんだ、大尉」

「データの取得が完了しました。三人は筐体から下ろしても良いですか」

「ああ、そうだな。ところでヴェーラとレベッカの状態は? この後、話をすることはできるだろうか」


 エディットは筐体の蓋が開くのを見ながら尋ねる。ブルクハルトは「だいじょうぶです」と短く答える。


「よろしい。では、直ちに六課に出頭するように伝えておいてくれ。私とイスランシオ大佐は先に行く」

「了解です」


 エディットは返事を背中で聞きながら、モニタールームから出た。その後ろをイスランシオが足音も立てずについてくる。エディットは携帯端末を取り出すと、六課の部屋に直接繋いだ。


「プルーストか。私だ。この前仕入れた紅茶があっただろう、ああ。そうだ。あれを五人分、用意してくれ。十五分で揃うから」

「……ずいぶん優しくなったものだな、ルフェーブル大佐」


 その会話を聞いていたイスランシオが、やや呆れたように言った。エディットは口の端をきゅっと吊り上げた。だが、その目つきは少し荒んでいる。


「優しく、か。本当にそうであったらなと思うよ」

「ふん。まったくもって信用ならんな、参謀というやつらは」


 イスランシオのまっすぐ過ぎる言葉に、エディットは沈黙で応じた。そうするほかに、なかった。





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