#04-2:神々の諍い

可能性

 さて――。


 質量を伴う闇。流動体のように纏わりつく闇。蠢動しゅんどうする闇。


 その闇を打ち払う銀色の炎の中に、ヒトエ・ミツザキの姿はあった。闇は炎を食らおうとひたひたとその周囲を巡り続けるが、ミツザキの姿にはその指一本とて触れられない。


 シルビア・ハーゼス、か――。


 ミツザキは見ていた。ヴァルターとシルビアの逢瀬を。さも当然のように。


 彼女の想いは理解できないではない。だが、当事者たちがどう足搔あがこうと、或いは何もしなくとも、未来に於いて発生し得る可能性事象のバリエーションはさほど多くはない。


『でも、少しくらい可能性を与えてあげても良いのではなくて?』


 ミツザキの中にある別の意志体がそう告げる。


『未知ゆえの希望――それがパンドラ。未知で在り続けることは、そのままでいられるということは、限りない幸福なのよ』


 ――そうかな。


 ミツザキには、が哀れに見えて仕方がなかった。


『貴女は、そして私は、あの子たちに可能性という仮面をかぶった絶望を――』


 言うな。


 ミツザキは闇を凝視する。闇に映るのは自身の姿であり、自身という意志体を生み出している根源だ。即ちそれは銀色の揺らぎ。ファウストの右、あるいは左に立つ何かだ。


 私たちはつまるところ同一だ。被っている仮面ペルソナが違っているだけのな。


仮面ペルソナとはつまり役割ロール。私は貴女の望み通り、貴女という役割ロールを付け加えた。貴女はその仮面の下で、その意味を考えるべきだわ』


 支配者ぶるな、この奈落ガップの悪魔め。


『支配者。言い得て妙ね。でもそうと言うのなら、貴女も同じなのだけれど』


 哄笑混じりに揶揄するその声に、ミツザキは唾を吐きかけてやりたい気分になる。ミツザキとて知っている。自分という存在は、まるでこの宇宙のように、の中からたまたま発生しただけのものに過ぎないことを。生まれたとも言えるし、宇宙発生の頃からいたとも言える。ただ明確に言い切ることができるのはただ一つ、ヒトエ・ミツザキという意志体は、銀色の揺らぎそのものであるより後に生まれたという事実だ。


 だがな、アトラク=ナクア。我が本体――とでも言えば満足か。


『そうね、それはただの事実に過ぎないけれど、そう呼びたいのならそう呼ぶと良いわ』


 ふん。だがな、我が本体よ。私はヒトに賭けている。ヒトは面白い。彼らは神にすらサイコロを振らせるだろう。そう思っている。


『あらそう。ご自由に』


 アトラク=ナクアと呼ばれたその意志体は突き放すように言う。


『貴女とて散々見てきたでしょうに。彼らは神にサイを振らせるかも知れないけれど、彼らは神にすら絶望を見せたのよ。それ故に彼らはことわりの中に囚われることになったのだから』


 捕えているのは貴様だろう、そのティルヴィングで――。


『私がことわりの円環を管理するのもまた、運命。このメビウス状の円環は、表も裏もなく。ただ巡り、繰り返す』


 そこからの逸脱を試みるのもまた、一興ではないか。


『試行してご覧なさい。私という意志体の一端末がどの程度、円環の巡りに抗えるものか。でも、私は貴女のその行為おこないを興味深いという理由で是認するけれど、そこにいる天使のような悪魔はそうはいかないと思うわよ』


 天使みたいな悪魔、ね――。


 ミツザキは目の前の闇を睨み付けた。するとそこに金の揺らぎが生まれた。


「ハルベルト・クライバー……いや、ツァトゥグァか」

「ふふふ……」


 豪奢な金髪に碧眼の青年は優雅に笑みを浮かべて立っていた。ハルベルトは金髪を掻き上げ、歌うように言う。


「斯く在るべき、斯く在るべし。しかして、斯様かようになりぬ」

「そうやって円環を維持管理してきた貴様だが、今回はどうかな」

「さぁ」


 ハルベルトは肩を竦め、大袈裟に首を傾げて見せる。それがミツザキの神経を逆撫でしていく。


「貴様が何をしようと勝手だが、私の邪魔はするな、ツァトゥグァ」

「あらあら――」


 ハルベルトは凄絶な笑みを浮かべた。普通の人間であればその表情は天使のごとき美しさに感じるところであっただろうが、残念ながらミツザキには通用しなかった。彼女にはその笑みは、奈落の亡者が飢えと渇きに喘いでいる時に浮かべる虚ろな表情にしか見えていなかった。


「汚らわしい――」


 ミツザキは嫌悪の情をこれ以上ないくらいに込めて、吐き捨てる。


「アトラク=ナクアの所業を止めもせず」

「ゴーストナイトの件だったら、まぁ、そうね。謗りを受けるのも致し方ないけれど」

「役割を放棄して逃げ出した身で偉そうに」


 あの場でミスティルテインを確保できていれば。カティ・メラルティンを在るべき姿に進化させられていれば。あの時に、この天使のような悪魔が役割を全うしていれば。犠牲はあの娘一人で済んだのだ。


 だが、この天使のような悪魔は、それを是とせず、より多くの犠牲を強いる未来を選ばせたのだ。。斯くして、ミスティルテインとなるべきあの娘は、災禍の母たるエキドナになる未来を決定付けられてしまった。、である。


「彼女の情報端末の一つに過ぎないあなたにそこまで言われる所以ゆえんこそないと思うけれど。でもそうね、利害が一致している限りは邪魔にはならないと思うけれど。ヒトエ・ミツザキ……でしたっけ、この時代のあなたの名前は」

「知っている事を訊くな」

「ふふふ、そうね。知っている事は訊かないわ。ただね、ヒトは興味深いわ。何度その自滅の歴史を繰り返し見ても、やはり面白いもの」

「ふん」


 ミツザキは腕を組み、血色の瞳でぎろりとハルベルトの姿を睨み据えた。


「今回もそうやって高見から嘲弄しているがいい」


 言葉を叩き付けられたハルベルトだったが、彼は何も言わなかった。ただ、その碧眼で、ミツザキの視線を跳ね返しただけだ。


「私は今度こそ、は防いでみせる。レクイエムは歌わせない。そのためならば、最大の咎人にも、最も憎まれる悪魔にでも、なんにでもなってみせよう」

「その理の円環のうちでね。――足掻いてみると良いわ、ヒトエ・ミツザキ」

「言われるまでもない」


 ミツザキはハルベルトの姿をした天使を射抜こうとするかのように睨み続ける。


「ツァトゥグァ。私はアトラク=ナクアの情報端末に過ぎないが、同時に不確定事象の一端でもある。貴様にも私の行為おこないの帰結は読めぬはずだ」

「我はアルファなり、オメガなり、最先いやさきなり、最後いやはてなり、始めなり、終わりなり」

「――黙示録か」


 そこでミツザキは堪え切れぬと言った具合に、声を立てて嗤い始めた。


「貴様が神を騙るか、ツァトゥグァ! ヒトに絶望し、賽を振る度胸も喪失なくし、ただその永劫の牢獄に閉じ込めたる無能なる神を騙るか!」


 その糾弾を受け、ハルベルトは緩やかに腕を組んだ。


「ふふ、故の、神よ。あたしはより高位の存在の啓示を受けてここに在る。あなたがアトラク=ナクアによって生み出され、操られているのと同様にね」

「貴様もまた私と同じというわけか」

「そうと言うのなら、そうでしょうね」


 やや無関心そうに、ハルベルトは応じ、そして面倒くさそうに右手を振った。


「ところで、あたしはあなたの本体の方に用があるのだけれど」

「残念ながら、アトラク=ナクアは休業中だ」

「あたしと話す口は持っていないと言うわけかしら?」

「そう、あの使は、居留守中だ」

「あらそう。なら出直すわ」


 ハルベルトは金の揺らぎに戻った。


「あたしには時間は無限にあるもの」

「ヒトは神をも殺すだろう」

「盲目のファウストにそれだけの力が?」


 いつしかそこには金と銀の揺らぎしか存在しなくなっていた。


「ヒトを侮ると今度こそ円環が切れるやもしれんぞ、悪魔め」

「あらあら――。ならばあたしはそれを阻止するために、蓋然がいぜん性という遊びを潰していくほかにはなさそうね」


 やや苛立った声を残し、金の揺らぎは姿を消した。


 残された銀の揺らぎは少しずつ闇に溶けていく。


「すまぬな、ヒトよ……歌姫セイレーンたちよ。こうするほかには――」


 揺らぎが消えた。完全な無。完全なる虚無だけが、そこに在った。


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