薄ら寒い余韻

 アーマイア・ローゼンストックのあの微笑が、人形のように冷たく整ったあの微笑みが、記憶から消えない。瞼の裏に焼き付けられでもしたかのように、目を閉じれば蘇ってくる。


 ヴァルターは執務室のデスクチェアに深く腰掛けて、腕を組み目を閉じていた。アーマイア・ローゼンストックの言った言葉が強くこびりついている。


「対セイレネス……」


 セイレネスとは、ヤーグベルテで開発中の技術および兵装の名前だということだ。ヤーグベルテがを持ち出してきた時に、切り札になり得る人材、それがヴァルター、クリスティアン他数名の飛行士アビエイターたちなのだという。


 応接用のソファにだらしなく横になっていたクリスティアンが顔だけをヴァルターに向けて言った。


「なんなんだろうな。それにヤーグベルテがあんなバケモン開発してるとしたら、戦争のカタチって奴が変わっちまうぜ」

「俺たちがISMTインスマウスとか持ち出した時点で変わってるだろ」

「ちげぇねぇ」


 クリスティアンは面白くなさそうに肯定すると、「よいしょ」と掛け声をかけて上半身を起こした。


「で、わかったか? ヒトエ・ミツザキ大佐の事」

「中央参謀司令部第二課に、ミツザキ大佐という人物がいる」

「まじか! 中参司!?」


 飛び上がるようにしてソファから降りて、ヴァルターの所へ駆け寄ってくるクリスティアン。ヴァルターが示したディスプレイの中に、組織図が映し出されていた。


「中参司の二課っつったら」

「殲滅戦の二課だ」


 ヴァルターは大きく息を吐き出した。グスマン准将率いる冷酷無比な集団、それが二課である。彼らが指揮を執る戦闘では、原則として捕虜が発生しない。彼ら二課が出てくると、ヤーグベルテの指揮権限は半ば自動的に「」の第六課に切り替わる。二課が投入されてくるような作戦に遭遇してしまった場合、ヤーグベルテとしては逃げるしかないのだ。


「ちぇ、ドーソン提督もついに参謀部の指揮下か」

「……そうなるのだろうな」


 ヴァルターはやれやれと肩を竦めた。クリスティアンは唇をひん曲げてあからさまに嘆息する。


「お目付け役がついちまったからには、さすがに猛将ドーソン提督といっても今まで通りってわけにはいかねーよな」

「だな」


 その時、ヴァルターの携帯端末にメールが届いた。


「ん? フォアサイトとシルビアも召喚されていたようだ」

「俺たちと同じ話されたのかな」

「だろうな」

「あーそだ、隊長」


 素っ頓狂な声を上げて、クリスティアンが後ろからヴァルターの肩を抱く。


「シルビアっつったら、あのあと進展あったのかよ」

「はぁ?」

「まぁたまたぁ!」


 ヴァルターは眉を顰めた。クリスティアンが何を言っているのか、ようやく理解したからだ。


「俺にはエルザがいる。あいつとは何もない」

「シルビアの奴、なんでかしらねーけど、お前さんにぞっこんだぜ?」

「知るか」


 ヴァルターは冷たく言い捨ててクリスティアンの手を払った。


「そういう態度って、女からしたら一番堪えると思うんだよな、俺様の豊富な経験から言わせてもらうとよ」

「俺が浮気をしたわけじゃない。シルビアだって理解してる」

「そうじゃなくてよ」


 クリスティアンはまたソファの所に戻ってドカッと腰を下ろした。


「理屈じゃねーんだよ、そういうの」

「だからなんでも――」

「お前の言葉はナマクラなんだよ。だから痛ぇ。余計に痛ぇ。なまじ柔らかく傷つけられるから、諦めもつけられねぇ。スパッと斬り捨てられた方が、相手は、シルビアはまだ納得できるんじゃねーのって話」


 クリスティアンはしばらく天井を睨んでいたが、やがて立ち上がり、右手を振りつつ部屋を出て行った。


「……仕方ないだろ」


 俺はそんなに器用じゃないし、お前ほど上手いことも言えない。


 ヴァルターは心の中でそう吐き捨てた。


 数分の間、ヴァルターは眉間に皺を寄せつつ指を組み合わせてPCのディスプレイを睨んでいた。そこにあるデジタル時計は、午後四時半であることを示している。外はまだ燦々さんさんと明るい。


 その時、ヴァルターの携帯端末が鳴った。滅多にならない音声着信音に、ヴァルターは驚き二秒ほど硬直した。


「誰だ?」


 見たことのない発信元番号だったが、軍用の携帯端末への着信に出ないわけにもいかない。


『フォイエルバッハ大尉だな?』


 それはさっきまで聞いていた声だった。つまり、ヒトエ・ミツザキ大佐である。


「はっ、肯定であります」

『ドアを開けろ、目の前にいる』


 そう言われて、ヴァルターは慌ててデスクの上にある開錠ボタンを押した。出て行くのは自由にできるが、入るためにはヴァルターがこのボタンを押してドアを開けるか、ヴァルターによる掌紋認証でロックを解除しなければならない。


「敬礼は不要だ」


 立ち上がって右手を上げかけたヴァルターに、書類を小脇に抱えたミツザキはそう言い放った。ヴァルターは中途半端に上げた右手とミツザキを見比べ、やがて手を下ろした。


「アーマイアの方に急用が入ってな。他の予定がすべてキャンセルになってしまった」


 ミツザキはベレー帽を脱ぐと、そのままソファに腰を下ろした。ヴァルターも自席に座っているわけにはいかなかったので、ミツザキの前に移動して促されるままソファに座る。差し向かいになった二人だったが、ミツザキは帽子を両手で弄んでいるだけだったし、ヴァルターは居心地悪そうに指を組み合わせては離すという手遊びを繰り返していた。


「それで大佐――」

「ああ、こいつを持ってきた」


 ミツザキは持参した書類をテーブルの上に投げ出した。


「受領書……ああ、PXF-001レージングのですか」

「二機分な。本日付で貴様らの部隊に所属が移る」

「予定では来月……」

「そもそもあれは私が手配したものだ。チェックリストは全てクリアになっている。引き渡しを前倒しにするのも、もはや私の自由だ」


 ヴァルターは書類を受け取って、それがコピーであることを確認する。彼らの上官であるドーソン中将の受領サインが入っている。


「これはここに来るための口実みたいなものだ」


 ミツザキはベレー帽をテーブルの上に置いた。そして背もたれに両腕をかけ、優雅に長い足を組んでみせた。その所作に、ヴァルターは一瞬だけだが、見惚みとれた。


「ところでフォイエルバッハ大尉。今から私とデートでもしないか」

「デート!?」

「はははは、言葉の綾というヤツだ」


 ミツザキはその赤い唇の端をきゅっと上げつつ、赤茶の瞳でヴァルターを見つめた。ヴァルターには階級の事もあり、拒否権はない。


「ハーゼス中尉もそろそろ着く頃だろう」


 そう言った矢先、部屋のドアがノックされた。ヴァルターが開錠すると、少し狼狽えたような様子のシルビアが入って来た。そしてミツザキの姿を見つけて直立不動の敬礼を行う。ミツザキは面倒くさそうにそれに応じ、ゆっくりと立ち上がった。


 ミツザキはヴァルターの肩を叩きながら囁いた。


「では行こう。女二人とデートと言うのも乙だろう、大尉」

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