スタジアムの銃声
エルザとその両親と共に夕食を摂っていると、突然テレビの中が騒がしくなった。バラエティ番組は即座に打ち切られ、臨時ニュースの画面へと遷移する。
「暴動、ですかね」
ヴァルターは食事の手を止めて、テレビの画面を注視した。エルザの父、アンゼルムが自家製のピザを取り分けながら、慌てた様子もなく言った。
「反戦集会が最近は多くてね。もっともその大半は平和的なデモ行進程度なのだが、たまに過激な反戦思想の連中が暴れるんだ。基地内でも情報は流れてるだろう?」
「ええ」
ヴァルターはピザを分けてもらいながら頷いた。アンゼルムも、エルザの母、ローラも、別々の戦場で負傷して退役した名誉軍人である。退役してからエルザが生まれ、それ以後二十数年に渡ってのんびりと雑貨屋を経営しているのだ。
「反戦集会の数が増えていることに関しては、軍としても危惧を抱いてはいます。が、軍が直接介入した実績はなかったのではないかと」
「直接はな」
アンゼルムは白髪の増えた黒髪を、逞しい右腕で撫で付けながら言った。
「見てみろ、あの炎は
「確かに」
ヴァルターとローラが同時に頷いた。軍に関与したことのないエルザだけが、キョトンとしている。
「軍の介入でしょうか」
「いや、黄燐弾なんぞ、管理状況はザルみたいなものだ。核兵器とは違うからな」
「誰かが横流しした、と」
ヴァルターはピザを目の前にして考え込む。テレビの中では混乱する集会参加者たちが雪崩を打って出口へと殺到していた。レポーターやカメラマンも、それに揉まれてしまっていて、中継もままならない。混乱する映像の中でも、ドームの中央部に複数名の銃を持った男女が確認できた。
「これは出口も抑えられてますね」
「だな」
アンゼルムはビールを飲みながら頷いた。そしてヴァルターの予言通り、人の波が出口からドーム内部へと引き戻されてくる。何人かは全身を炎に焼かれて狂ったように走り回っていた。銃声が間断なく響き、そのたびに画面の中で人が倒れていく。
「軍警の出動が確認できませんね」
「しないよ、これは」
「……というと?」
「無駄に損耗するとわかっている作戦に、軍が部隊を投入するはずがない。彼ら同士が共倒れになるシナリオだろうさ」
アンゼルムは諦観したように言った。彼の最終階級は中佐であり、軍の
テレビの中にはもうレポーターの姿はなかった。群衆に飲まれたか、射殺されたかしたのだろう。ヴァルターはピザに手を付ける気が起きず、エルザが注いでくれたジンジャーエールを一口飲んだ。
「反戦集会の取り締まりを、この事案一つで片付ける気でしょうか」
「そんなところだろうな。この集会はここ二年で最大規模の集会らしい。多くの指導者や支援者が参加している」
「見せしめ、ですかね」
「市民による自浄作用――まあ、軍のシナリオとしてはそんなところだろう。当事者たちは皆死ぬから、死人に口なし。そういうことだ」
「まったく」
ヴァルターは首を振った。アンゼルムやローラもおおむね似たような表情だ。エルザもなんとなく状況を把握し、ぼんやりとテレビを見つめていた。
「私は反戦派の人は好きじゃありませんけどね」
ローラが空いた皿を片付けながら言う。
「あの人たちは、兵隊と言えば皆殺人鬼だみたいに考えてますし。その兵隊に守られてるという自覚もないし」
「そうそう、この前テレビで軍隊がいるから戦争が起きるっていう論調の人が出てたわ、ばかばかしいわね」
エルザがその発言に乗っかってくる。ヴァルターは肩を竦めた。彼にはこの件に関する発言権はない。アンゼルムもそれを理解して、ヴァルターにビールを勧める。ヴァルターはいつも通りやんわりと断ってから、またテレビの方を見た。アンゼルムは腕組みをして背もたれに身体を預け、鼻息を吐いてから低い声で言った。
「元軍人や遺族が戦争反対を訴えるのはわかる。俺だって戦争なんてない方が良いと思っている。だがな、戦争を知りもせず、その実態を知ろうともせずに、いい年の連中が平日の昼間からあんな集会に参加しているのを見ると、嘆かわしくもなる。我々が矛を引いたとしたら、今度はヤーグベルテやエル・マークヴェリアが黙ってはいないだろう?」
「まぁ、そうですね」
ヴァルターはぼんやりと肯定した。こういった話の時は、明確な意思表示をしない――そんな癖がヴァルターにはついていた。彼が知らぬ間に身に着けていた、アーシュオンという国で生き抜くための処世術でもある。
アンゼルムは何本目かのビールを開けながら嘆息する。
「彼らとて、戦争で利益は得ているのだがなぁ」
「……そう、ですね」
ヴァルターはちらりとアンゼルムを窺い、そしてまたテレビの方に視線を戻す。アンゼルムはビールの缶に直接口を付けて一気に煽り、ふぅ、と息を吐き出した。
「私の考えだから君は意見を言わなくても良いが」
「はい」
「そろそろヤーグベルテも拳を振り上げそうな予感がする。それも我々が見せつけた以上のモノを持ち出してな」
「あれ以上の……」
ヴァルターはテーブルの上に視線を移した。そして可能な限り表情を消す。
「何があるにしても」
キッチンから戻って来たローラが椅子に座りながら口を開いた。
「守ってちょうだいね、ヴァルター」
「もちろんです」
ヴァルターは生真面目にそう答えた。それは本音のような、決意のような、そんな意志の現れであった。
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